その強い瞳。
真っ直ぐで、吸い込まれそうになる。
その瞳に映されると、まるで金縛りにあったかのように、体が固まってしまう。
「小磯…」
 駅のホームで佇む男子学生とベンチに座り込んでいる女子学生。否、正しく言うと男子学生が“二人”だ。
 一人は女子の制服を身に纏い、はたから見れば女学生にしか見えない風貌。だがその中身は小磯健二というれっきとした男子である。
 彼はちょっとした理由があり、所謂女装癖というものを持っていた。そんな彼が電車に乗って自宅へと帰る最中、なんと痴漢にあってしまったのだ。
 健二は初めての体験に、吐き気がこみ上がる嫌悪に、そして自分が女装していることがバレてしまう恐怖に震えていた。だがそんな時、助けてくれた人物が現れ難を逃れることとなった。
 だが、その人物とは健二の学校の有名人であり、同じクラスでもある池沢佳主馬。
「…今は無理に喋らなくてもいい。けど、このままここに居るのも気分が良くならないだろうし…その、良かったら俺の家で休まないか?ここから近いんだ」
 佳主馬が気遣うような優しい声色でそっと話し掛ける。それは嬉しい言葉ではあるが、こんな状態で佳主馬の家に上がることなんで出来ない。けれど、このまま放っておかれるのも辛いものがある。
「今日は誰もいないし…あのさ…俺が放っておけないんだ。小磯が気にすることはなにもないから」
 優しい言葉に、思わず目頭が熱くなってしまい瞼をきつく閉じると、肩にそっと手を置かれて佳主馬の温もりが伝わった。その瞬間、健二の中で何かが弾けた。
「……小磯…?」
「…ごっ……ごめ…ん…なさ…」
 緊張の糸が切れた、というべきなのだろうか。健二の瞳から大粒の涙が溢れては零れ落ち、スカートにポツポツと染み渡る。
 止め処なく溢れる涙を抑えることなんて出来ず、健二は細い体を震わして、口元に手をやり声を押し殺しながら泣き続けた。
 そんな健二を静かに見つめていた佳主馬は、少し困ったような表情をしつつも健二の肩に置いた手は離さず、彼が落ち着くまではこのままがいいと判断し、健二の横に腰を下ろす。
「大丈夫」
 佳主馬の口からポツリと呟かれた言葉は、周りの人々には聞き取れない声の大きさだったが、健二にはちゃんと聞こえた。自分に向けて言われた言葉だと分かると、更に涙が溢れてくる。
 どうして彼はこんなにも自分に優しくしてくれるのだろうか。不思議でならない。だが、今はその優しさが健二を支えてくれた。
 どのくらい時間が経ったか分からないが、少しずつ落ち着いてきた健二は体の震えも治まりつつあり、それを手から感じ取っていた佳主馬の唇から安堵の吐息が零れる。
「…落ち着いた?」
 そっと声を掛けてくる佳主馬にまだ視線を合わせられない健二だが、こくりと頷いて返事をした。まだ、この状況で目を合わせられる勇気は無い。
「歩ける?」
 すっと立ち上がった佳主馬が健二を見下ろしながら訊ねる。
 もし健二が立ち上がれなさそうなら、抱き上げてでも連れて行こうとしていたが、彼は何とか立ち上がった。だが体がふらついておりたっているのもやっとといった様子である。
「小磯、俺に寄りかかっていいから」
「ぁっ」
 佳主馬は自分と健二の鞄を片手で持つと、空いているもう片手で健二の腰をしっかりと抱えるように持ち、ゆっくりと歩き出した。
 いきなりのことだったので驚いた健二だが、正直自分ひとりでちゃんと歩けるか心配なくらい体が不安定だったので、佳主馬の言葉に甘えて体を預けつつ歩く。
 触れ合っている体から伝わる温もりに、健二は不思議と安心しつつ佳主馬の家に向かっていった。

「今、飲み物持ってくる。まだ気分が悪いようなら布団に横になっていいから」
 佳主馬の家に着くと彼の部屋に通され、部屋の隅に綺麗に畳んでおいてあった布団を敷きながらそう言われて健二は恐縮してしまう。
 だが体は正直で、佳主馬が部屋から出るとのろのろと布団があるへいくと、ふかふかと柔らかそうな敷布団にダイブした。
 ちゃんと日に干しているであろう布団の柔らかさとお日様の匂いに思考がまどろみつつ、ふとあることに気付く。
「…ぁ…池沢、くん……の…におい…」
 先程まで間近にいた佳主馬の匂いを布団から感じると、健二はそのまま意識を落とした。

 夢の中で、両親に挟まれて笑いあっている自分がいた。とても幸せそうだ。けれどもこれは夢。
 昔のように笑い合うこともなく、冷たい視線と言葉が交差する両親を見ていて、胸が痛む。
 だがどうすることも出来なくて、自分はただ部屋にこもり、目と耳を塞いで時が過ぎるのを待っているばかり。
 好きな数学にのめり込むようになったのは、両親の仲が悪くなったのがあるのかもしれない。
 現実から目を背け、無心に、数に溺れる――

「――そ―いそっ…小磯!」
「っ!?」
 驚きに、ひゅう、と息を飲み込むと今まで息をしていなかったかのように体が酸素を求め、荒く短い呼吸を繰り返す。
 すると体が持ち上げられ、上半身が起きた体勢となって温かい何かに包まれながら、背中を撫でられた。
 落ち着かせるように何度も背を撫でる手の温もりに、健二はやっと現実を思い出してハッとする。
「…ぁ…あ、れ…?」
 寝起きの擦れた声を上げて、目の前が赤いことに首を傾げると頭上から吐息がかかった。
「………へっ…?」
 顔を上げると、至近距離にあるのはクラスメイトの顔。
「随分うなされてたけど…大丈夫?」
「えっ?あ、う…?」
 健二は軽くパニック状態に陥り、何はなくともまずは落ち着こうと頭の中で素数を数え始めた。
 少し落ち着いてきた所で、健二は佳主馬の部屋にきて休ませてもらっており、ふかふかの布団に寝転がった所までを思い出す。
「え、っと…ぼく…」
「寝てたんだけど、随分うなされて泣いてたから起した。顔色が良くないな…」
「ふあっ?」
 こつんと、額同士が合わせられ、視界いっぱいに佳主馬の顔が広がって健二は間の抜けた声を上げると思考が停止した。
「熱はなさそうだけど…ん?小磯…?」
 目を見開いて固まっている健二を不安げに見つめる佳主馬。だが、そんなことをされては余計に固まってしまう健二。
 そんなに仲良くもないのに、こんな至近距離で、しかも格好良く学校で人気のあるあの佳主馬に、こんなことされたら健二でなくとも固まってしまうだろう。
「まだ具合悪いか…?」
「へっ?!あ、やっ、う…い、いえっ…も、もうだいじょ、ぶ…です…」
 慌てて下にうつむくと、思わず敬語になりつつ左右に首を振る。少し寝たこともあってか、気持ち悪さも無くなり大分元気になった。
「クラスメイトなんだし、敬語使わなくていいよ」
 苦笑しながらそう言った佳主馬は、健二からそっと離れる。
「ぁ…」
 佳主馬が離れたことにより、健二は自分が彼の腕の中にいたことにやっと気付いた。赤いTシャツにジーンズというラフな格好の佳主馬は、制服姿の時とはまた違った印象で思わず見とれてしまう。
(あ、さっき起きた時目の前が赤かったのは池沢くんのシャツの色だったのか…って、僕、抱きしめられてたってこと…?)
 先程の、自分の背を優しく撫でる手や、体を包み込むように抱きしめられていた温もりを思い出し、うつむくと恥ずかしさと申し訳なさとで赤面し、体を縮こまらせた。
 痴漢に助けてもらい、具合の悪い自分を家に招いてくれて介抱してくれて、至れり尽くせりである。
 学校ではクールな印象しかなく、近寄りがたいオーラを感じていた健二は佳主馬とこんなに喋ったことが無く、彼がこんな風に気さくに話し掛けてくれたことが驚きだった。
 そして、こんなにも優しい人物だと、初めて知った。
 人は見た目だけで判断していけない、とあらためて思った健二である。
(…ぁっ…!)
 ぼんやりと佳主馬のことを考えていた健二だが、重大なことを忘れていたことに気付いた。
(そ、そうだ…言わなきゃ…っ…)
 健二は、手のひらをぎゅっと握り締め、緊張した面持ちで、意を決して顔を上げる。
「…い、池沢、くん…っ―――」


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中途半端ですみません;