2011年5月。昨年の夏に起きた、あの夏の出来事からあっと言う間に月日は流れ、気付けば夏も間近である。
 池沢佳主馬はあの夏から恋をした。叶わない恋だと分かっていても、それでも欲してやまない。
「今晩和、健二さん」
 OZのチャットで会っているのは、共に戦い深い絆が結ばれた相手―小磯健二。
 まぁ、深い絆が結ばれたといっても、佳主馬だけではなく陣内家の皆が言えることであり、家族愛に近いものかもしれないが。
 だが佳主馬は違う。健二を恋愛対象としてみているのだ。
『今晩和、佳主馬くん。この間の試合見たよ!やっぱりキングカズマが一番強いね!』
 元々キングファンでもある健二が興奮しながら言うと、佳主馬は苦笑してしまう。そこまでして言うものではないと、冷静に思う佳主馬なのだが、やはり好きな人にそう言ってもらえるのは嬉しいものだ。
「ありがとう。また試合があるときは連絡するから、見てね?」
『勿論だよ!』
 とても嬉しそうに笑いながら何度も頷くその姿が可愛らしい。年上の、しかも男のひとに可愛いなんて言うのは失礼かもしれないが、やはり健二は可愛いと思う。
「あのさ、健二さん…このゴールデンウィークって忙しい?」
 佳主馬は口から心臓が出てしまうのではないかというくらいに緊張しつつ、それを顔に出さないようにしながらさり気なく言う。
『うーん…特に何もないから忙しくはないけど…数学オリンピックに向けて問題集やってるくらいかな?』
 健二の言葉に、喜び半分がっかり半分。だが予想していた返事だったので、佳主馬は心の中で溜息をついた。
 健二は、昨年は逃した数学オリンピック日本代表の座をかけて、あの夏以降から猛勉強していたのである。そして、春に行われた日本代表選抜で枠を取ったのだ。
 後は本番に向けて、毎日の勉強とは別に数学オリンピック対策の問題をかなりの量こなしているらしい。
「そっか…」
 健二が数学オリンピックに出場することはとても嬉しいことなのだが、今年はその分だけ会えないし、こうやってチャットをするのも頻繁には出来ない。だから、せめてこのゴールデンウィークは会いに行きたかった佳主馬だが、健二の邪魔をしてはいけないと諦めるしかなかった。
『佳主馬くん?』
 何処か沈んでいる佳主馬を心配そうに見ながら声をかける健二に、何でもないよと返すことしかできない佳主馬だった。
『…佳主馬くんは、忙しい?』
急に問い掛けられると驚くが、特に用事がないことを思い出すとコクリと頷く。
『あ、あのさ…もし…迷惑じゃなかったら、名古屋に遊びに行ってもいい?』
「えっ?!」
 思いもよらない健二の発言に思わず大きな声を出して驚く佳主馬。健二はそんな佳主馬を見て驚いてしまった。
『いや、あの、ほんと迷惑じゃなかったらなんだけど…』
「全然迷惑じゃない!てか、健二さんはいいの?!」
 興奮して身を乗り出し、パソコンの画面に映る健二にずいっと近寄る。言い方が悪いが、数学バカの健二はインドアでもあり、休みの日も言えにこもって数学の参考書を解いたりすることばかりなので、これは夢なのだろうかと思うくらいに驚きだ。
『うん。去年からずっと数学漬けだし、たまには外に出て気分転換しなきゃと思って。それに、佳主馬くんの妹さんにも会いたいから』
 ふにゃりと笑いながらそう言う健二の姿に、佳主馬は心臓を破裂するのではないかというくらいに脈打たせる。
 そういえば、去年に佳主馬の妹が産まれてから、健二はずっと会いに行きたいと言っていたことを思い出した。
「健二さん来て!…あ、その…母さん達も喜ぶから…」
 キャラに似合わず興奮して大きな声を上げていた佳主馬だが、我に返ると恥ずかしげに顔を赤くさせて健二から視線を逸らして言う。
 そんな佳主馬の姿を微笑ましく見つめていた健二は、自分に弟がいたらこんな感じなのかなぁ、と思っていたりする。
『ありがとう。あっ、何日ならいいなか?』
「明日からでもいいよ。良かったら家に泊まっていきなよ。ゴールデンウィーク中、ずっと居ていいし…」
 最後は自分の願望なのだが、つい口にしてしまうと余計に顔が熱くなる。
『流石にずっとじゃ迷惑だって』
遠慮する健二だが、その顔は嬉しそうだ。佐久間以外にこんな風に一歩踏み込んで仲が良い友人は少ない健二にとって、佳主馬の言葉はとても嬉しかったのだ。
「無理にとは言わないけど…一泊くらいはしていったら?」
『んー…じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな』
 意外と言ってみるもんだ、と佳主馬は思いながら小さくガッツポーズをする。これで健二と二人きりで過ごす時間がぐんと増えた、と思うだけで舞い上がるくらいに嬉しい。
 夏希には悪いが、健二を諦める気持ちはこれっぽっちも無い。夏希とは違って頻繁に会えない分、使える手は何でも使い、何としてでも健二との距離を縮めていきたいと強く思う佳主馬は燃えていた。
「母さんには僕が伝えておくから、健二さんは泊まりにくる準備して、早く来てね」
 自分でも子供っぽいと思いつつも、そう言って健二を急かす。
『あはは、分かったよ。じゃあ明日に名古屋行くね?』
 だがそんな佳主馬の我儘に二つ返事でOKをする健二。そんな優しさに、ますます好きな気持ちが大きくなる。
「迎えにいくから、待ってる」
 緩んでしまいそうになる表情を引き締めながらそう言うと、健二は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「じゃあ、明日からよろしくね?」
『こちらこそ』
 佳主馬もつられて微笑むと、いきなり健二が顔を赤くさせて固まってしまう。そんな健二の様子に驚いた佳主馬は目を丸くさせて首を傾げた。
「健二さん、どうしたの?」
『えっ!…あ、いや、その…』
 真っ赤な顔のまま視線を逸らして口をもごもごとさせている健二を見ると、自分の良いように捉えてしまう。
(健二さんも、僕のこと好きだといいな…)
 勿論、恋愛感情でと思いながらも、まさかそんな上手いことはないと佳主馬は心の中で自分に言い聞かせた。
『あ、あのさ…今から言うこと聞いても、怒らない?』
「ん、別に怒らないよ」
 健二さんに言われることなら、どんなことでも許しちゃうんだろうな、と思う。恋は盲目だ。
『佳主馬くんってさ…ほら、あんまり笑わないじゃん?』
 それは自分でも自覚していることなので、素直に頷いて肯定する。自分で言うのもあれだが、表情を表に出すことが少ないと思っている。
『さっき、佳主馬くん笑ったからさ…それが、綺麗だなって思って…』
「えっ…」
 健二の言葉に佳主馬は思い切りドキッとした。まるで恋する乙女のような台詞ではないか。
『へ、へんなこと言ってごめんね!…じゃあ、また明日』
「あ、うん。新幹線乗ったらメール頂戴ね」
『うん、分かった。お休みなさい』
「お休み、健二さん」
 いくつか言葉を交わすと健二はチャットルームからログアウトした。
「……脈ありってことで、いいんだよね…!」
 佳主馬はまたガッツポーズをすると、高ぶる気持ちを抑えられず小刻みに震えて勢い良く立ち上がる。
「健二さん、絶対振り向かせてみせる・・・!」
 自分にもチャンスはあるのだと、佳主馬は不敵な笑みを浮かべながら呟いた。

end.


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こういうのって、まだ佳主馬は幼い感じが出るのではないかと思って書いた気がします。
子供らしさというか…わくわくどきどき、というか(笑)
こういうくっつきそうでくっつかない二人も好きです^^