「そっそそそそんなっ!」
 ブンブンと両手を振りながら顔を赤くさせた健二は、佳主馬からの言葉に頭の中が真っ白になり、何故だか思わず佳主馬の両手を掴んでしまう。いきなりのことに佳主馬は驚いた風に目を丸くさせるが、そんな彼には気付いてないのか健二は首をブンブンと振っていた。
「違うっ違うよっ!」
 何が違うのか分からない佳主馬はきょとんとしながら健二を見つめると、健二は漸く動きを止めて顔を俯かせてしまう。そんな健二の様子を窺うように佳主馬は静かに見つめていたが、ふと掴まれている自分の手と彼の手から伝わる熱に気付き、その心地好さに少しの間だけ瞳を閉じた。
 何故だろうか、この手に掴まれているだけなのに、酷く気持ちが安らぐのは。自身がイジメられていたこともある所為か、他人との、ましてや家族でさえも接触を拒んでいた時期があった。だがそれは、祖父であり師匠でもある万助のお陰で心身共に鍛え上げられ、他人との必要最低限の接触は出来るようになれた。けれども人との関わり合いがまだ苦手で、しかも思春期真っ只中なナイーブな年頃である佳主馬は心の壁をつくることで己を守ってきている。
 けれど、あの戦いの後からそれは変わりつつあった。少しずつながらも自ら家族の輪へといくようになり、夕食時も皆と一緒に食卓を囲むようになり、そして、健二ともっと仲良くなりたいという気持ちに気付いたのだ。
 これは佳主馬にとっては、大きな変化だった。
「あの時…」
 健二がぽつりと呟くと、我に返ったようにはっとして瞳を開く。思わず思考の海に意識が向いており、ぼんやりとしてしまった。
「あの時、何度もラブマシーンにパスを書き換えられて、もう時間がなくて、暗算で解いてた時…」
 健二がいうあの時、誰もが最後の希望を健二に託しており、そしてそれに答えるかのように健二はあの短時間で難解なパスワードを解いた。その後、動けなくなる程に心身共に疲れ果てていたことは彼の様子を見れば一目瞭然である。全ては健二のお陰で、世界が、陣内家が守られたのだ。
「頭の中が数字でぐちゃぐちゃになってて、パスを解くのでいっぱいいっぱいで」
 それはそうだろう、と佳主馬は静かに頷く。あんなパニック状態の中で、冷静でいる方がおかしいくらいだ。
「もう指を動かすのもいっぱいいっぱいで…でも、そんな中で…聞こえたんだ、佳主馬くんの声」
 健二が一つ一つの言葉をしっかりとした声で言い放つ。
「佳主馬くんが、ラブマシーンを倒してくれたから、だから、僕も頑張れた」
 きゅっ、と佳主馬の手を掴む健二の手の力が強められ、それと同時に健二がゆっくりと顔を上げた。
「お礼を言わなきゃいけないのは、僕の方だよ」
 真っ直ぐに佳主馬を見つめるその瞳は怖いくらいに澄んでいて、思わず飲み込まれそうな感覚に陥る。ごくり、と無意識に生唾を飲み込む佳主馬は、何時の間にか手に汗が滲んでいた。
「有難う、佳主馬くん」
 真剣な眼差しが、ふと優しいものに変わる。
「有難う」
 ふわりと微笑みながら、佳主馬の手を更に力強く掴む。
「ありがとう」
 何度言っても足りない、といったように何度も繰り返される感謝の言葉。手から伝わるの熱さ。月夜に照らされた綺麗で優しい微笑み。
「本当に、ありがとう」
 朝顔がほころび、そして満開に咲き誇るように。そんな健二の微笑みに、佳主馬は見惚れることしか出来なかった。
「………そ、ん…な…」
 やっとのことで出た声は小さく掠れ、震えて情けないものだったが、それでも健二は微笑を絶やさずに佳主馬を見つめ続ける。そうだ、彼は、こうやって人を真っ直ぐに見つめ続けることが出来るひとなのだ。芯を持っていなければ出来ることではないと佳主馬は思う。自分でさえ、こうやって真っ直ぐにひとを見つめることが苦手なのに。でも、今は目を逸らしてはいけない気がした。
「そんな…買い被り、すぎだよ……僕ひとりじゃ、何も…できな、かった…」
 気付くと体が強張っていてカチカチになっている自分がいる。声が震えて、情けない。
 ラブマシーンに取り込まれて、全てが絶望に埋め尽くされ栄に向かって謝ったあの時の様に。熱い感情が押し寄せて、涙が込みあがるのを止められずにいた。でも、彼の前でならそんな自分ですらさらけ出せるような気がしたのは何故だろうか。
「それは僕も同じだよ?僕一人じゃ、何もできない。でも、夏希先輩や、理一さんに太助さん、万作さんに、侘助さん、陣内家の皆が居たから、頑張れた」
 健二はそう言うと、掴んでいた佳主馬の手を自分の両手で上下から包み込むように持ち替え、ぽんぽんと優しく叩く。まるで幼子をあやす様なそれだが、何故か少しずつ自分が落ち着いていくのを感じた。
「それに、おばあちゃんが、おばあちゃんのあの言葉があったから、僕はあんなに頑張れた」
 その言葉を聞いて、佳主馬は瞳を大きく見開かせる。
『あんたならできるよ』
 栄がいなかったら、きっと陣内家もこれ程までに団結しなかったのではないだろうか。栄がいたからこそ、皆でここまでやってこれた。世界を救うことができた。
 栄という大切な家族を亡くす大きな哀しみが、より家族を一つにさせたのだ。
「……だから、もうそんな風に自分を責めなくていいんだよ…?」
 健二の言葉に、佳主馬の瞳から大粒の涙がぽろりと零れ落ちた。
嗚呼、そうだ。自分は今までずっと己を責め続けていたのだ。もし、もっと自分が強かったら、あんなことにはならなかったのではないか、大好きな大おばあちゃんは死なずにすんだのではないか、と。
それはまだ幼い佳主馬にとって重いものであり、けれど誰にも言えるわけが無く、独りで押し潰されそうになっていたのだ。
「っ…な……な、んで…?」
 ひくっひくっと喉が鳴ってしまい上手く言葉が出ないが、その一言だけで佳主馬が何を言いたかったのかは伝わったようで、健二は少し困ったように微笑みながら軽く首を傾げる。
「何となく、かな?」
 何故、佳主馬の孤独な気持ちがわかったのか。それを、ただ何となく、と言ってのける健二を驚いたように見つめた。
「えっと…こんなこと言うの、佳主馬くんに失礼かもしれないけど…」
 一度、そこで言葉を切った健二は少しだけ寂しげな笑みを浮かべると、佳主馬の手を包む手の力を微かに強め。
「僕と、佳主馬くん、似てるところがあるなって思ったんだ」

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