右天が最上階に向かっている途中、彼の乗るエレベーターに書類を手にした一人の女性が乗り込んできた。右天に気付いた彼女――グレゴールは、慌てて右天に軽く頭を下げた。

まるでおとぎ話の中に出てくるエルフのような長い耳を持つグレゴールは、地獄耳(ヘルズイヤー)というフラグメントの持ち主で、その能力を活かして諜報専門のアカラス部隊で活躍している。
つまりカフカの直属の部下というわけだ。

「君もアークライト様のところに行くの?」
「は、はい。解放軍の者達が怪しい動きをしているようなので、ご報告に」

自身より一回り程度も年下とは言え、相手はアークライトの右腕である右天なのだ、グレゴールが緊張するのも無理はない。

「あの、右天様もアークライト様に御用でしたら、私はまた時間を改めてお伺い致しますが…」
「いや、その必要はないよ。僕の用事は大したことないものだから」

そうこうしている内に、エレベーターはアークライトが居る最上階に到着した。グレゴールはまだ迷っているようだったが、大人しく右天に続いてエレベーターを降りる。

「ねぇ、君にちょっと聞きたいんだけどさ」

カフカと同じアカラス部隊のグレゴールならば、カフカの秘密について何か手掛かりを持っているかもしれないと考えた右天は、徐に話を切り出した。

「カフカの身体を見たことはある?」
「え、カフカ様の…ですか?いいえ、ありませんが」

右天からのあまりにも突然の質問に、それがどうかしたんですかと逆にグレゴールは問いたかったが、余計な詮索をすれば右天の怒りをかって消されかねないと思いなおし、口をつぐむ。

それ以上二人の間に会話はなく、どこか妙な空気のままの二人にアークライトの居る社長室への入室の許可が下りた。

「入れ」

アークライトは机上に広げられた書類にペンを走らせている最中のようで、書類から顔を上げることなく右天とグレゴールに用件を問う。
二人はお互いに顔を見合わせると、グレゴールが先にどうぞと右天を促した。

「アークライト様。カフカのことで聞きたいことがあります」
「…なんだ、また揉め事か?」

以前、アークライトは二人で争いあったものと思い込み、右天とカフカに罰としてシティの宝石商への使いを命じたことがある。
彼の言う「また」とは、その時の件を指したものだ。

右天は慌てて首を振った。

「ち、違います!左天からカフカに関する突拍子もない話を聞いたので、その真偽を確かめたくて…」
「突拍子もない話?」
「はい。カフカは実は女だ、って」

アークライトとグレゴールは、ほぼ同時に噴き出した。

「カ、カフカ様が!?」
「…女、だと?」
「左天が言うにはそうらしいんですが、その様子だとアークライト様もご存知ないみたいですね」
「ああ…初耳だ」

長年自分に仕えてきた男が実は女かもしれないという話を聞いて、流石にアークライトも驚きを隠せない。
そんな様子のアークライトに右天は先程の左天との話を詳細に伝える。

己の上司の性別詐称疑惑に興味津々のグレゴールは、能力こそ発動させなかったものの、一言一句聞き漏らすまいと右天の横で聴覚を研ぎ澄ませていた。

「…なるほど」

一通り話を聞き終えたアークライトは、腰掛けている安楽椅子に深く背を預ける。最早目の前の書類など手につかない状態らしい。

「どう思います?アークライト様」
「普通なら信じ難いが、話の出処が左天ならばあり得ない話ではないかもしれん」

左天はカフカ同様、随分前からアークライトに忠誠を誓い、共に生きてきた人物だ。アークライトも左天がいい加減な冗談を言うような人間でないことくらい理解している。
だからこその結論だった。

「アークライト様、ここはカフカ様を呼んで直接確認された方が早いのでは?」
「生憎、シティへ使いに出してしまっている」 「本人が居るなら僕のバミューダアスポートでとっくに確認しているさ」
「え?右天様、それはちょっと…」

グレゴールは怖ず怖ずといった様子でやんわりと右天に進言する。

「右天様はバミューダアスポートでカフカ様の衣服を透明化なさるおつもりなんですよね?」
「そうだよ」
「もしカフカ様が女性だとしたら、いきなり裸にしてしまうのは流石にまずいのでは…?」
「あ」

グレゴールの言う通りだ。カフカが男性ならばバミューダアスポートで少し裸にしたところで問題は然程ないかもしれないが、女性だった場合はそうはいかない。

いくら齢10歳の右天と言えども、まだ子供だから、で許されるような内容ではなくなってくる。
そんなことがシメオン中の人間に知れ渡れば、間違いなく女性陣からは軽蔑と非難の眼差しを向けられるだろう。
それどころか、変態と罵られたとしても文句は言えまい。

「じゃあ確認作業は女に頼むしかないね」

そう言って右天はグレゴールを見やる。右天の視線に気付いたグレゴールは、とんでもないと首と手を勢いよく振った。

グレゴールからしてみたら、そんな役を引き受けてもしもカフカの機嫌を損ねたりしたら後々何をされるか分からない、といったところだろう。

「私なんかよりも璃瑠様の方が適任ですよ、絶対!」
「璃瑠様か…確かにそうかもね」

右天はいつもアークライトの側で控えているシメオン四天王の一人、璃瑠を思い浮かべた。

彼女は「この世で最強のカケラ」とも称されるフラグメント、サイコキネシスの使い手で、カフカは昔彼女に手酷くやられた過去を持っている。
それ故にカフカは未だに璃瑠に頭が上がらないのだ。璃瑠が相手ならカフカも何をされようが大人しく従うだろう。

「分かった。今回の件は璃瑠に協力してもらうとしよう」
「アークライト様、カフカが帰ってきたら僕にも知らせて下さいね」
「ああ」

アークライトは席を立ち、硝子張りの窓からブラックスポットを隔てる壁の向こう側のシティを眺める。今頃カフカが居るであろう街を。
こんなことならカフカを使いになど出すのではなかった、とアークライトはちょっぴり後悔した。




「はぁ!?カフカ様が女!?」

アークライトに解放軍の動向を報告し終えたグレゴールは早速、同じアカラス部隊の仲間であるザムザに社長室で聞いた話を伝えていた。

「そんな馬鹿な」
「でもあの左天様がそう話していたらしいし…ザムザ、あんたカフカ様が服を脱いでいるところを見たことある?」
「いや、一度もないな」
「となると、女性だって可能性は捨てきれないか」
「マジかよ…」

ザムザは何やら考え事をしているようで、しばし黙り込む。それを見たグレゴールはある可能性に思い至り、やや冷たい目をしながら口を開いた。

「ザムザ、あんたまさかカフカ様の服を透視しようなんて考えていないだろうね?」

そう、ザムザは透視(クレアボヤンス)というフラグメントを持っており、彼がその能力を発動すれば建物内等を透視することが可能だ。
彼の能力ならば人の衣服を透視して身体を見ることくらい造作ないだろう。

「え!?いや、その…」

しどろもどろのザムザに、グレゴールの目が冷たさを増す。

「あんたねぇ、カフカ様が女性だったらどうするのさ!?あんたの行為は立派な覗きになるんだよ!?」
「そ、そうだよな…。でもよ、ならどうやってカフカ様の性別を確かめるんだ?」
「それなら問題ない。多分、カフカ様がお戻りになられたら真っ先にアークライト様の元へ向かうように指示が出るはず」

そこで恐らくカフカ様は璃瑠様に身体を調べられることになるだろう、とグレゴールは自信たっぷりに続ける。

「つまり、カフカ様が戻られたら二人で社長室に向かって、あんたと私の能力で中の様子を探ればいいってわけ」
「なるほど」
「そうと決まれば、今の内に今日の分の仕事をさっさと終わらせないと!早ければ今日にでもカフカ様は戻られるだろうからね」
「おお!」

その日、かつてない手際の良さで仕事をこなすザムザとグレゴールの姿がアカラス部隊内で目撃された。


続く



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