空色柘榴


 
きっと、決定的に違う(血、グロ、メンヘラ全て含みます注意)



2012.5.18(Fri) 00:28

「死にたい」と「死んじゃおう」の間には、どうやったって越えられない壁があると思うんだ。
自殺未遂を経験して、よくわかりました。
だから、きっと、死にたいと思うことは、それ自体良い悪いという問題ではないのだと思います。

死にたいと思うことが害になるのは、それだけ、「死んじゃおう」に普段の状態が近付いてしまうから。
越えられない壁だって、ちょっとしたことで崩壊してしまうかもしれない。
そのとき、壁の向こうに行きたいという気持ちが強ければ、「死にたい」は「死んじゃおう」になってしまう可能性が高い。
だから、「死にたい」なんて気持ち、もたないに越したことはありません。

けれど。
一度落ち始めた気持ちが、「死にたい」「消えたい」まで落ちない限り浮上できないときもある。
そんなときは、「死にたい」と思うことは、逆にプラスになるかもしれない。
おみくじの大凶やタロットの塔と同じです、これ以上下はないから後は上がっていくだけ。

もう10年くらい「死にたい」と「生きたい」を繰り返しているので、いい加減慣れました、私は。
慣れてきたからこそ、「死にたい」という気持ちのプラス面マイナス面を見ることができる訳だし。
話題とは関係ありませんが、目先の目標が決まっているときは「死にたい」と思うことはほぼ皆無でした。
左手は流血騒動や流血妄想でまっかっかでしたが←

話題リンクの下は、死にたいと思っているひとへ、参考までに。
止めるつもりはないけれど、背中を押したい訳じゃない。
ただ、死のもっている美しくて妖しげなイメージは夢幻夢想に過ぎないのだと、実体験を通して伝えたいだけ。
それでもまだ死にたいというのなら、誰が止めても同じでしょう。
そのことを踏まえて、血とグロが平気な方はどうぞ。


話題:死にたいと思うことは悪い事ですか?


過去…2011年9月辺りの記事を見ていただければわかるとおもうのですが、私は、2011年8月、2回の自殺未遂で救急車に乗りました。
選んだ方法は、左手首の動脈を切ることによる、失血死。

飛び降り(関節が有り得ない方に曲がってさらに脳みそや内臓飛び散る)や入水(ドザエモン)、首吊り(身長がだらーんと伸びて首が折れる)、電車(肉片が……)等に比べて死に際が美しく、練炭や硫化水素(どちらも自分以外に害が及ぶかも)よりピンポイント、さらに、OD(致死量飲む前に気分が悪くなって全部リバース)や服毒(そもそも売ってもらえるのか?)や雪山(一応装備だけは揃えないと!)よりもお手軽。
何より、かつての習慣の延長線上というのが、私には魅力的でした。
…ええと…ここまでで気分が悪くなってしまわれた方、正常ですので回れ右お願いします……。

出血量で選ぶなら間違いなく頸動脈ですが、敢えて左手首を選んだのは、より少ない手間で、確実に動脈を突きたかったから。
つまり、「傷を入れている場所が目視で確認できて」、「利き手で刃物を操作できる」場所を選んだら、左手首になったというのが正解です。
が、左手首からの出血では、動脈といえどなかなか死にません、人間。
直前に吐き気止めと痛み止めを多めに飲んで、バスタブかトイレ(大量に水を溜めておける、または頻繁に水を入れ替えられる場所)で、動脈を突いた直後に水に手首を浸けるという、かなり計算されたシチュエーションと手順が必要です。
(実際、あたし薬なしでトイレで切ったけどまだ生きてるし)

吐き気止めが必要なのは、人間、死ぬ前に貧血でリバースして冷静に戻るから。
私の場合、その3週間ほど前に自殺未遂で救急車(1回め)をやらかしていて、体調が戻る前に動脈を切ったので、動脈を切った瞬間の出血で貧血を起こして激しくリバース、冷静に戻って自分で救急車を呼びました。

ここまでで吐き気を覚えなかったツワモノさんだけ、この先へどうぞ。
追い詰められての自殺は仕方ない面もあるけれど、死への憧れで自殺するのは、未遂であってもいただけない。
あの日の私も含めて。

動脈を突いたかどうかは、人体構造を知っていればすぐにわかります。
血の飛び方より、そっちの方が記憶に残っている気がする。
動脈を切ろうとしたら、絶対に神経も一緒に切れます。
なので、腕がぎゅうっと掴まれるような締め付けられるような感覚がある。

ちなみに、切れた神経は元通り繋がるのに数年かかるそうです。
帰ってくる確率の方が圧倒的に高い上に、帰ってきたりしたら後遺症が待っています。
私は運よく切った神経は1本で済んだため、左手首に直接何かが触ったときの不快な痺れで済んでいますが、切った神経によっては指に影響が出ることもあるらしい。

これは個人差あると思いますが、一応後遺症。
夜中とかに、自律神経がおかしくなると、自殺未遂の傷痕がランダムで痛くなります。
ヨガもどき(笑)を始めてからは多少はおちついたものの、疲れたりストレスを感じたりしたら、左手首の奥の方に刺したような痛みを感じることが多い。

リストカットの延長線上と言いましたが、実際、切っただけでは動脈には辿り着けません。
OLFAさんのデザインカッターの替え刃(全長2センチぐらい?切りたいと思ってしまうのが怖くて手に取れない)が半分くらい手首に埋まって、ようやく動脈を探り当てるくらいの深さがありますので。
指の力だけで押し込まないといけないことを考えると、あまり大きな刃物も使えないでしょうから、傷は切り傷ではなく刺し傷です。

そして、おそらく死体は美しくない。
未遂で済んだ私の場合でも、手首から肘にかけて、痣のように青白くなりました。
多分、死体の顔色は最悪だと思います。
血が抜けるのだから当たり前。
病院から叔母夫婦の家に送致されるときに、顔色が悪いと言われました。
生きていて、これだもの。

ここまでで、まだ死にたいと思うひとは、この先へどうぞ。
私の結論に興味があるひとも。

死にたいと思うことも、自殺企図も、止めるつもりはありません。
私が実際にやらかしたので、やめとけと言える立場でもないし。

ただ。
自殺するには、計算されたシチュエーションとそれを実行できる冷静さが必要不可欠。
自殺できる精神状態のときには、シチュエーションの計算やそれを実行ができる理性や冷静さは残っていません。

周りが泣くとか、そういうありきたりな話はしない。
ただ、迷惑です、死なれると。
生きて迷惑をかけるくらいなら死ぬという考え方は、正直甘い。
死体処理とか葬式費用とかは当たり前。
自殺の方法によっては、交通が乱れたり掃除の手間がかかったり。
家族が二人体制の部署にいたりしたら、忌引の間、ひとりで仕事を全部引き受けないといけないひとができます。
社会人が自殺すれば、そのひとが死にたくなるようなストレスを感じていた量のしごとが、そっくりそのまま同僚に割り振られます。

私が自分で救急車を呼んだときは、血に加えて、吐いたものを掃除しなくてはいけない汚れ方でした。
トイレの、下手したら地下街の床よりも綺麗に掃除された床が、真っ赤になりましたから、血で。
血の汚れって、なかなか落ちないんだ。
冷静に戻れたことへの安堵より、掃除申し訳ないな、という気持ちが大きかったです。

ひとが死ぬときは、葬儀の関係で周りの出費や手間がかかるものです。
自殺なんかしたら、その手間は迷惑の域です。
生きてかける迷惑が、かわいいと思えるくらいの。
極めつけは、自殺してもう死ぬだろうけど僅かな望みを、と、救急車を呼んだパターン。
もしかしたら、自殺したひとのために呼ばれた救急車で、助かる命があったかもしれないんですよ?

生きていたら、周りに迷惑がかかるから。
自分はこの世界に必要ないから。
あたしも、今でもそう思うことがあります。
けれど、死んで周りにかける迷惑を考えると、とても死ぬ気にはなれない。

葬式費用やお布施、除籍とかの手続き。
祖父の葬儀の後、忌引休暇で母の実家にある程度残ることができた私は、ひとの死がどれだけ遺されたひとに手間手数をかけるのか、身をもって知りました。
詳しくは書かないけれど、有休を使わないといけないかな、と、本気で考えた。
そんな手間を、私のためにかけさせたくない。

自殺未遂の直接のきっかけは、パニックでした。
薬を長く抜くことへの不安だったり、リアルに「あたしに死ねと? 」という気持ちだったり。
そういうのが重なって重なって、「そうだ、動脈切って死んじゃおう」と。
それが、話題の中の「壁が崩れる」瞬間です。
紫陽花の葉っぱを食べて呼吸困難を起こすような、そんな状態から崩れた壁を、跨ぐのは簡単だった。

繰り返します。
そんなに死にたいなら、止めはしない。
でも、死んだ後、周りにかかる手間隙迷惑考えたら、無意識に立ち止まるでしょう。
それで、一瞬でも立ち止まったなら、死ぬのはやめとけ。
周りが悲しむとか困るとか、そんな優しい綺麗事は言わない。
死んでもいいことないよなんて、一般論も言わない。
ただ、死因が何であれ、確実に、ひとがひとり死んだら、周りは迷惑を被るし面倒臭い思いをするということだけ、覚えておけ。

自殺未遂からスピーディーに復活したお前に何がわかると言われたら、反論はできませんしするつもりもありません。
ただ、復活が早かったということは、自殺未遂の記憶が前後も含めて未だ鮮明ということでもあります。
記憶が薄れて風化して、自殺未遂という文字だけ残った状態になる、その前に、残しておきたかった、伝えておきたかった。
ただ、それだけです。


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