塒案内
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壱八

(メールにて指定された日にちの夕刻の頃合い、地下の街でも些か秋気滲んで朝晩には肌寒さも感じられよう季節へと移り変わる気配を感じながら。長袖のカットソーに幾つかのベルトを纏ったボンテージパンツ、右手に引き下げた買い物袋の中には細かな菓子類が満たされており、指で摘んだ棒飴を歯先で齧りつつ己が倉庫として使用する宿の入り口横、人入りに邪魔にならぬ傍らの壁に背を寄せながら、時折待ち合わせの相手の姿を探るように往来へと視線を向けて。スラム街に程近く敬遠されがちな宿街ではあるが、夕方の人通りは宿を探す者や夕食を求める人々によって幾分賑わいを見せるだろう)……、(左手の指が掻き撫でるのは自らの胸元、焼き付けられた肉肌は一週間の期間を以て随分と癒えはしたものの醜く引き攣った肌が治ることはなく、時間が経過して尚己の脳裏に過去の屈辱を思い起こさせる毒蜘蛛の刻印がそこにくっきりと浮かび上がることだろう。赤い腫れが引いた今その見た目は正に焼印で、治癒が進むに連れ強まる痒疼に無意識に肌掻く爪から防護すべく左胸には傷用のフィルムを貼り付けたまま。あの仕打ちを受けて尚その元凶を自らの寝蔵ま
で案内しようと思える神経の太さに自らで感心しつつ、依存や信頼、友好そのどれもが当て嵌まるとは思えぬ複雑な関係性の人間を招く事に己よりも危機感を示したのは塒を守る番犬。況してや生涯消えぬ傷跡を刻まれた事実を目聡く悟ったそれが反論を語らぬながらも、相手を迎えに行った己を見送る物言いたげな表情を思い出して、薄く苦笑いが沸くのは対面させた時の反応が己でも予想付かない故)…咬み付きゃアしねェと思うンだがなァ…(とは言え、主を汚した魔の存在が時計作成の依頼者であると伝えれば早速数日の間に幾つかの案を描き出し始めたのはある程度の割り切りがある為か。何にせよ此度の来訪は彼の希望であり予測無い事態が起ころうとも己の責任ではないと自らに言い聞かせつつ、思考は一区切りに、緩く腕を組みながら頬張る飴を舌上で転がしつつ表通りより幾分かは細い路地へと視線を向けて)


葛西雅隆

(夏の熱気が和らぎ始めた頃、仕事帰りの代わり映えのしないスーツ姿にショルダーバックを斜め掛けし、左手には手土産と依頼品の彫刻を入れた紙袋を携え、足を運ぶのはスラムにも近い宿街。過去に幾度か足を運んで慣れては来たものの、還らずの街の奈落にも近い立地ゆえ、界隈の治安は良くないだろう。スラムと関わりのあると思われる歪な雰囲気を纏う人々の休息場としての需要が多い宿街は、夜を迎える時刻の為か人通りは多く、通りの暗がりから感じられるのは複数の視線。一見は物腰柔らかなホワイトカラー職と見える己は、荒くれ者の多い街において、スーツで身固めた姿も浮いて見えるだろう。地上から客として降りた富裕層と見られることも多く治安の悪い地域では絡まれることも多いが、人通りが多い時間でもあり、今のところは厄介に巻き込まれることもなく。仮に道中で拉致され待ち合わせに足を運べなかった場合、相手は己を探してくれるかと思案したものの、付かず離れずの奇妙な関係性からは予測できずに溢れるのは苦笑い)…逆なら、迷い犬ポスターくらいは貼ってやりますがねぇ(呟いた言葉は口中で掻き消える程度の音量で。待ち合わせの宿から向
かう先は、普段はまず足を踏み入れないスラムにあるという相手の寝床。得体知れぬ番犬とやらが守るそこは未知なる領域であり、立地的にも相当なリスクが予測できよう。特に今回は相手に懐いた番犬の存在がある為、下手に衝突する展開になれば、己の不利は考えるほどもなく明白なもので。相手が手掛けるスチームパンク商売、未知なる番犬、その縄張り、形に残したい時計、すべて興味を煽る甘味とはいえ、甘さに潰された先に猛毒も潜むような状況。危険は知りつつもただ感覚的に欲しいものへと手を伸ばしてしまうのは、前回それが原因で陵辱された相手を笑えぬような愚かな選択。しかしそれでも鼓動が昂ぶるのは、理性では抑えられぬほどに欲しいものがある為で)……はっ(思い出したのは、つい先日得たばかりの相手に絡むと思われる情報。血液への歪んだ執着を裏付けるまでに至ったその過去は、己が相手から奪ったもの以上に、多くを相手から奪い破壊したであろう。何ともいえない言葉にもできない心地に戸惑いながらも、それが制御できぬ本物の感情であるのは確かで、それと向き合う為にも相手から離れる選択は無く。薄暗い道を縫い歩いた先、やがて目的の
宿に到着するだろう。道の傍らに佇む見慣れた姿を見つけ歩み寄り、瞳を細めたままに形式的な会釈をして)こんばんは、お久しぶりです。本日は僕の為に時間を裂いていただきまして、ありがとうございます(紡いだ言葉は会釈と同じ、大した感情は含まぬ決まった挨拶。しかし持ち上げた瞳に宿る嬉々と輝く瞳が、この再会への歓喜を伝えるはずで)


壱八

(彼を迎える為に待ち合わせより幾分か早めの時刻にその場へ身を置いたが、やがて指定された頃合いから遅れる事もなく往来の合間から姿を現した彼の影を視線が捕らえて。路地ひとつ間違えれば通りとは打って変わって人の気配が途切れるスラム周辺は餌を心待つ獣が息を潜める危険地帯、足を踏み外し溺れる程に深みへと堕ちてゆく界隈は安全性を求める人間ならば余程でなければ近付かない地域ではあるが、幾度か相手は己に会う為にわざわざ足を運び、そして無事帰還している事から厄介事に巻き込まれる懸念もなく。今日もまた捕食者を惹き付けるかのような整った身成りにて出向いた彼へ、緩く首を傾いで笑みを向けよう)どーも。送迎代金ァ弾んで貰うから大丈夫(相も変わらぬ恭しい態度にも然して気に止めるほどでも無いのは随分と見慣れた為、しかし会釈の後己を貫く彼の視線、その瞳の色が周囲の輝きに照らされ浮かび上がるなら心を揺すられるような感覚に目を細めて。誘い入れるスラム地域よりも余程彼の毒の方が質が悪いと思えるのは、如何な仕打ちを受けようともそれを呑み込んだ先、相手を喰い散らかしたいと思える欲求から抜け出せぬ為。近
付けば近付く程に未動けぬ糸に絡め取られる心地、細く息を紡ぐと共に瞬きに伏せた瞳は彼から離れ、右腕へと落としてその袋の中に満たされた様々な菓子の中から棒の付いた飴を引き抜こう)俺からプレゼント、悪戯除け。(身を寄せた壁から背を離し、カラフルな包装紙が付いた侭の飴の部分を彼の唇へと押し付ける形で差し出したそれは、先日彼が語っていたハロウィンを彷彿とさせるようなもので。先制に悪趣味な悪戯を阻止すべくの意図は、菓子程度で安全が手には入るとも思わぬ故の冗談口調。飴は口に押し込ませるつもりだが、拒まれるなら彼の手に落とす筈)無事に来れたよォでナニヨリ。まァ、アンタの場合連れ浚われた所で拉致先で逆に敵を喰い潰しそォだから、助けは要らねェわな(口の上手い相手ならば持ち前の知恵を駆使し捕食者すら食らう様を想像し、駆け付けた先、時既に遅し哀れ敵は獲物へと姿を変え床に転がる様を思えばけらけらと軽い音で喉を笑いに震わせつつ。半分程溶けた口内の飴玉を奥歯で挟み噛み砕き、残った持ち手の棒は傍らの地面へと吹き捨てて、香料と砂糖の甘さが満ちる口腔に残る飴の破片を噛みながら進めた足
は、しばし宿街の通りを進んだ後に傍らの細路地へと曲がり、スラム方面へと抜けて行くだろう。表の喧噪は一変、静けさの溢れる薄闇を先導しつつ)鞄だの装飾品だの、奪われねェようにオ気を付けテ


葛西雅隆

(久しぶりに対面した相手に浮かぶのは、不敵ささえも滲ませたどこか危険な色香を纏う笑み。相変わらずの軽口も、奴隷の刻印程度では折れぬ心を表しているようで、己にとっては心地の良いもの。薄暗い世界の中から光を吸い輝く瞳の深色を見据えながら、その奥にある読み解けぬ彩りに惹かれるままにしばし視線を定めて。しかし相手の視線が逸れると、瞳は突き出された鮮やかな飴へと向けよう)飴ですか?(それは大人の男が口にする機会の少ない、カラフルな包み紙が目を引く棒付き飴。意図が読めずしばし瞬いたが、それが先日冗談で告げたハロウィン絡みのものだと気付くと口元は綻んで。差し出された飴の他にも袋には菓子が詰め込まれているようで、人相の悪い相手がカラフルでポップな菓子を集めた姿を想像すると頬も緩むだろう)お菓子はいらないので、悪戯させて欲しいですが。…まぁ折角なのでいただきます(ハロウィンに絡め、此方の悪巧みを先に牽制する茶目気もまた相手の魅力。口へ押し込まれるまま包み紙ごと咥え、右手で棒を持ち引き抜いて。これからスラムへ足を踏み込む状況、さすがに棒飴を呑気に舐める気にはなれず、左手に持つ紙袋へと入れ
て持ち運ぶことと)僕が悪者に浚われたら、きっと壱八さんが命懸けで助けに来てくださるでしょう。信頼できる親友を持つからこそ、道中も安心できたわけです(この宿まで怪しい視線は感じたものの、今回は厄介には巻き込まれずに。流石に以前のようにジュラルミンケース所持で単独行動をする気にはなれなかったが、リスク前提で動くこともこの街では避けられぬだろう。いざという時は相手の助けを期待したものの、それとは異なる反応に眉根は頼りなく垂れ落ちて、緩く吊り上げていた口角も痙攣を示し)いや、僕は基本、平和を好むか弱い仔羊ですから。見た目がアレな壱八さんと違って、よく狙われるので可哀想なんです(大袈裟な嘆息を漏らしたのは、過去に巻き込まれたトラブルを思い出した為)まぁ真面目にお答えすると、僕は各種保険完備人間なので、浚われる程度ならばなんとかなるんですが…(呟いたのは相手も知らぬ、街を生き抜く為の手段を多々備えているということ)壱八さんもうちの保険に加入して頂ければ、拉致監禁被害も通常6時間以内のスピード解決を保証します。備えあれば憂いなし。ぜひご検討ください(流れで紡いだ営業トークに相
手が食いつくとは思えなかったが、気にせずに一方的に語るのはいつものこと。歩き始めた相手の右側で歩調を合わせ、何があるか分からぬスラムを前に、浮かべていた営業用の笑顔は沈むだろう。息を呑み込みつつ、薄暗い世界へと視線を定めて)こんな闇底を好むなんて、壱八さんも流石ですねぇ。スラムはね、僕は好んで近付きたいとは思いません。奈落に落ちたら這い上がるのは難しいだろうから


壱八

もし俺が浚われたとして、代役の価値があるなら即アンタを売るだろうよ。あんま信頼シないで欲しいねェ(彼と己との間の関係に名付けられた親友との言葉が軽口の冗談であるとは知りながら、肩を竦め告げるのは蜥蜴の名の由来ともなった他人を切り捨てる性格。己の身より大切な物が存在しない中で、何を引き替えにでも自らを守る行動もこの街では防衛策となるだろう。同様の思考で敢えて他人の為に敵地へ乗り込む意志もないのは、客の保障を身を以て守る彼の職とは真逆なもので。とは言えその種の職に着きながら自らが加入していない訳でもないだろう、況してや堅実な相手が守られる後ろ盾もなく危険の中に身を落とすとも思えねば、兼ね揃えているであろう対策の鱗片を語る声に、だろうな。と納得するように小さく笑い)あァ?俺は拉致なんざそうそう無ェけど、一番危ねェのはその場での集団リンチなんだわ。何時間も助け待ってたら殺される(拉致監禁などと言う大掛かりな危険より、すぐ側に孕むのは手短な暴力。力での拮抗は得意な方ではあるものの、数に押し負ければ抗う術もなく数分の合間に瀬戸際まで蹴落とされる被害は、事後の保障が
あれども即時回避するような物は彼の扱う保険にも無いだろう。加入の気配は変わらず薄く、ひらひらと左手を払って見せ。歩を進める内に周囲からは雑音も消え、やがて二人の声だけが壁に反射する程の静けさが満ちよう。その中でも獣が息を潜めるような、生々しい吐息の音や微かな喋り声、獲物を伺う視線が彼処から差すのは聡い者ならば気付く気配。その眼差しは、幾分歩き慣れて顔を知られた己よりも、見知らぬ存在である相手に重なるはずで)んー…住めば都、ってヤツじゃねェか。大して不便はシねェし、なにより、下手なセキュリティーに守られた家より安全だ(似通った路地を左右へ曲がり、切れかけた電灯が界隈を淡く照らす程度の闇へ落ちたその場所はスラムの中程への入り口の頃合い。其処は比較的浅い層よりも色濃い闇を湛え、闇向こうへと目を凝らせば死体と間違うような人間が転がっていたり、明らかに瞳の濁った者がギラ付いた眼差しを向けて何かを語るように小刻みに唇を震わせたりと一層不気味な気配を纏うか。そのどれもに共通するのはパスを所持しない故の身成りの貧相さ、無闇に手を出すほど理性が欠落した様子はなく、ただ遠くから
二人の動向を眺めるのみ)奈落なァ…あいつらみてェな?ひひ、確かに、あそこまで堕ちたら足掻けすらシねェ(瓦礫や鉄くずが時折散乱する細道は整備すらまともにされていない管理を放棄された場所、その地を踏む足取りは平常と変わらぬ侭右手に下げた袋を揺らしつつ。やがて幾つかの街灯が足元を照らす程の明かりが灯る路地へと抜けた頃、薄闇の傍らには今まであまり見なかった子供の姿がちらほらと存在するようになったのが見えるだろう。見目10歳前後の子供でさえナイフを片手に此方を眺める様子)アンタはまだまともな所に生まれて良かったなァ…


葛西雅隆

集団リンチに巻き込まれるのは、日頃の行いの結果でしょう。僕のように平和主義を掲げて真摯な対応をすれば、余程頭がイカれている気違いでない限り、愛の言葉で解決できるものです(短絡的な暴力をリスクとする相手だが、意味なくも集団暴行を受けることは稀というのが己の分析。暴力沙汰を引き寄せる人間は自身が血気盛んなことが多く、その雰囲気が危ない輩を警戒させ牙を露出させるのであろう。あるいは恨みを買う真似でもしたと推測し、保険加入を拒む相手には苦笑いを。しかし冗談混じりの遣り取りは、変わりゆく景色の中で鎮火してゆくだろう。還らずの街を実質統治するマフィアDが手放したスラム地区は、本物の無法地帯であり、どんな魔物が巣くうか分からぬ領域。ライフラインすらまともに供給されぬ粗悪な環境下、パスを持たぬ、奪われるだけの立場である奴隷階級者が狭い場所に犇めいているという。己の指先すらまともに視認できぬ薄闇と、法則性のない迷路のような道なき道、そして時折見られるスラム民の異様な存在感からも、ここがまともな環境でないことは肌で感じ取って。闇間から向けられる視線はあるものの牙を向けられぬのは、見慣れぬ
来訪者を獲物として見定める為か。少しでも弱みや隙を見せれば飢えたハイエナに群がられることは明白だが、この環境に慣れている風の相手の傍ら、己も平静を保つこととして)強い恐怖に襲われたり、飢餓を味わうと脳が萎縮して、人間らしさを失うようです。ヒトが思考力を失えばただの獣…、いや身体能力が劣る分、獣以下ですね(気を狂わせたようなヒトのなれ果ては、ただ哀れなだけ。劣悪な環境の中で命を繋ぐだけ、未来すら描けぬ奴隷人達は、落とされた闇から抜け出すことは困難だろう。スラムには己が苦手とする会話が成立しない狂人や、奴隷だらけの環境で蜜を啜る裏の権力者も多く、重要な用件がない限りは足を踏み入れぬのが鉄則で。道なき道を裂きながら歩みを進めるうち、目についたのはスラムの子供達の姿。地上で浚われた子供は性搾取目的で閉じ込められる事が多い為、スラムに生きる子供の多くは、ここで産声を上げた者達であろう。子供であろうと油断できぬのは、彼らがスラムの、街の掟の中で育った為。錆びたナイフを手に此方を伺う痩せた姿は、年齢的に与えられるべき加護、愛情を全く知らぬままに生きる哀れなもので。空さえ知らぬスラム
の子供へ苦い笑みを注ぐ中、ちらほら目に付く子供の視線が相手の紙袋から覗く菓子に集中していることに気がついて)お菓子をくれなきゃあ悪戯しちゃうぞ、…という状況ですかね?(痩せた子供程度に襲われたところで対処は可能な上、子供が本当にナイフで脅してくるかは分からぬところ。言葉は冗談混じりに軽く)そうですねぇ。僕は小さな頃、随分と可愛がられて育ったので。お菓子がなくて泣いたことはありませんねぇ(この街で生まれたこと、スラムで産み落とされた命ではないこと、それは相手にも伝えたことがある事で。目前の子供とは比較できぬ、多くを与えられ続けた環境を思い出したが、浮かんだのは口角を落としたままの苦笑い。紙袋一杯の菓子は相手の残念な夕飯かと思っていたが、飢えた子供を前にして沸いたのは相手の思考への興味。視線は傍らを歩く相手の目元へと定めて)例えばこの状況で、スラムの子供に菓子を与えてやる。その行為は善ですか?悪ですか?


壱八

(何処に住むにしろその地域に一定の掟が存在するのは何処も同じ事、奪われた者でありまた奪う者でもあるスラムの住人でも、其処で隣人に喰われず生き延びて行くために守るべき決まり事は幾つか存在するのだろう。スラム内でもその地区によりまた幾つかの勢力を持ち、横繋がりの結束として住み着く彼らがそれぞれに持つ掟の細かは知らないものの、無闇に牙を剥かぬのもその内の一つだろうか。余程気狂いを起こした獣でもなければ何ら前触れもなく飛び付いてくる可能性が低いことを知るからこそ、然して刺激を与えぬよう周囲への視線は程々に通り抜けた闇路地の先。幾分か増えた明かりの合間の暗がりから覗く幾つもの小さな瞳、そのどれもが地上で生きる子等の持つ眼光とはかけ離れた淀みに肩を竦めて)比較的裕福層の間に出来る子供ってのァ、結構恵まれてるモンなのかィ?この街じゃ、自分の子供すら金儲けの道具に使う輩ばっかりだが…(己が見て来た子供と言えば、スラムに生まれスラムに朽ち行くか、親の手元で商売道具として飼い殺される姿ばかり。そもそもDの関係者と仲を深めるのもあまり無い経験であれば、興味が沸くのは彼の幼少時代。
高価な古時計を眺めた昔を語った彼からは、過酷な香りが嗅ぎ取れぬものの窺えない過去。何気ない質問を問い掛け傍らの彼へと顔を向ければ、同様に相手からも視線を受け、紡がれる言葉はこの状況への問い掛け。食にすら恵まれぬ貧困層の住み着く路地で腕に携えた袋の中に詰まる菓子は、子供の瞳には輝かんばかりの宝石として映る事は理解した上。彼の瞳へと視線を留めること数秒、緩慢と瞬いた後緩く首を捻って見せよう。口許には緩やかな笑みを滲ませ)…ソレは善でも悪でもねェ、友好の印だ(歩みは止めぬ侭、右手に抱えた袋を徐に逆さに翻し自らの横で口を下に向けたなら、詰め込まれていた幾つもの小菓子は道にばらばらと散らばるだろう。零し残しが無いように軽く袋を振りながらもその足は前方へと歩みを進めつつ地を踏めば、脇道や廃墟となった建物の入り口に潜む小さな気配は数秒の遅れの後その路地から飛び出して菓子へと群がり始めるだろう。それらは手にしたナイフで数に限りある菓子を奪い合うでもなく、寧ろ互いに分け与える素振りすら見せる様子は先ほどまで鋭い視線を向けていた飢えた獣の態とは違った姿。彼らを振り返り見たならば
、手に菓子を抱えた子供の内のいくつかはその年齢に沿った屈託ない笑顔を浮かべ手を振りさえするだろう)ここは俺の塒の門みてェな場所だ。忠実な奴隷でも、信頼できる仲間でもねェが、需要と供給で成り立ってる分結束が固い(食事や仕事を与える代わりに、彼らはこの周辺地域の些細な変化すら己の耳に届ける鳩。例え不審な侵入者が居たとして一切見付からずに奥へと辿り付くのは困難なこと。数メートル置きに淡く灯された街灯が完全な暗闇を遮る中、周囲からの見えぬ気配が幾分和らいだようにも思えるのは其処に住まう者達が見知らぬ顔である男を襲うべき相手ではないと判断したからで)俺がここに連れてくる人間は、俺の遊び相手か、敵の二種類。ガキ共に菓子をバラ撒くのが前者の合図、ただ俺が脅されてただの、不慮の事故で悪者に案内を強要された場合は菓子を撒けねェ。その場合ァ大抵…寝蔵に案内するまでにゃ、住人に骨まで齧られてマトモじゃねェ(少人数を相手にする場合、弱い者から闇に引きずり込んで行く者達に始末を願うのは都合が良く、定期的に獲物を連れ込む他、金を対価に仕事を与える供給源として界隈の住人には重宝
される己が、この地へ浅く根を張ろうとも食い散らかされぬのはその為。機械や金で雇った人間でのセキュリティーより強固であると語ったのは、助け合いとも取れる利用精神から。落書きが所狭しと書き込まれた壁を左へと曲がり車が通れる程度であった道を抜けた先、入り組んだ道の重なる通路も次第に細く狭く姿を変えるか、人が三人並んで歩ける程度の幅の通路には朽ちた木箱やゴミが転がりお世辞にも雰囲気が良いとは言えぬ場所。建物の形をした空洞の廃墟の壁が繋がる道にも次第と横道が減ってゆき)もォちょい。すぐソコ



葛西雅隆

(相手を酔わせた勢いで褒美とした語ったのは、己がDの幹部と売女の間に生まれたという過去。酔いで潰されると思い告げた言葉は相手の記憶に残っていたようで、スラム街の子供とは違う暮らしを送ったことも古時計の思い出からも推測できたはずで)父は権力者ですが、僕は存在してはならぬ妾の子ですからねぇ。この街には訳ありの子供が集められる施設があって、そこで他の子供と一緒に生活していました。あの時計は施設を出るときに、記念に譲っていただいたんですよ(幼い頃周囲に可愛がられた記憶は確かだが、そこに両親の存在は無かったことを語ったのは、相手への心理的な壁が低くなった為。身を寄せ合うスラムの子とは育った環境は違うものの、血の繋がりもない者達が身を寄せ合う姿に過去の記憶を揺すられるようで。苦笑しつつ好奇を煽られたのが、相手がこの子供をどう考え扱うかという事。袋一杯の菓子は飢えた子供には金銀財宝より魅力的なもののはずで、関心は相手へと向けられるだろう。恵まれぬ弱者への施しをどう考えるかで相手の価値観を伺うつもりだったが、予想に反して告げられた友好の証たる言葉に眼を見開いて)…えっ?(真意を問う前
に道にばらまかれた、鮮やかな包装紙にくるまれた菓子の数々。薄闇の世界で本物の宝石のように散らばる菓子を求め、飛び出してきた複数の子供達。菓子を捲いた場所から距離を置いたところで立ち止まり、争いもなくそれを分け合う姿は先刻までとは違う無邪気な子供のそれで。上手く拾えぬ小さな子供に年上の子が分け与え、互いの宝を見せつけ自慢し合う姿から察したのは彼らの関係が横に広がっていること。一部の者が富を占有する弱肉強食の争いの気配がないことが己には理解できず、佇んだまましばし子供達の様子へと眼を定めて。この菓子捲き行為がスラムの民との契約書無き友好による共生策であることを語る相手に、この地区でも生きる為の策があり、賢明に生きる子供達の心は死んではいないことを悟ろう)貧困は心を殺し獣にさせる。よって憐れみによる施しは、獣同士の衝突を煽るだけの結果となる。未来のない命を生かしても不幸の連鎖を繋ぐだけである為、半端な気持ちでの施しは悪行である。…と、僕は考えていましたが(この環境では争うよりも支え合う方が適正なのか、数限られる菓子を自然に分配する子供達には、彼らなりのルールがあるようにも思
えて。好んで近付きもしなかったスラム、それと共生する相手に浮かぶのは、知らぬ世界を知れたことへの淡い歓喜。子供達から視線は逸らして身を翻し、先を歩く相手の傍らへと小走りで追いつき)僕は機械や罠で身を守ることは得意ですが、こういう野性的な共生関係というのは考えが及びませんでした。自然界でも種の相互共生は見られますので、流石は壱八さんといったところ。僕はますます貴方に惚れました(己のできぬことを自然と行えたのは、相手の野性的な臭覚、勘によるものも大きいだろう。見せられた相手とスラムとの共生を前に心は躍り、左手で相手の肩を叩き微笑みを向ける仕草は素直な賞賛で)僕なら5人の子供に8個の菓子を与えます。5人にそれぞれ分配案を考えさせます。より多くの賛同を得た案を採用すると共に、提案者に2個の菓子を褒美として追加で与えるとこにします。…こんな感じの性根悪い与え方をしていたら、壱八さんのように友好関係は築けないでしょうねぇ(咄嗟に思いついたのは子供の思考力を試し、腹の探り合いを誘発するだけの悪趣味なゲーム。単純に菓子を与えるだけの相手とは違う手法が浮かび、治らぬ
悪癖に肩を竦めつつ。スラムもより深くへと到達したか、闇慣れした眼に映るのは人が生活するには適さぬように思える廃墟やゴミの山。ある程度は覚悟していたとはいえ息詰まる光景に嘆息漏らして)こんなところで眠るなら、倉庫部屋の方がよほど良いかと思いますが。悪趣味なことで


壱八

(あまり自らを語らぬ相手がゲームの勝敗の末ではなく過去を露わにする姿に吃驚を覚えたがそれは表情に滲ませることなく、他者を疑い利用するばかりのこの街で、彼とはそう言った関わりとは違う間柄として少しずつ距離を縮めているのだろう事実を感じただ緩い笑みを浮かべるのみ。ぽつぽつと零してゆく回顧の欠片を拾い集め相手の幼少時代を思い描きながら、何処であれ親から見放された子は他の大人からの庇護を得て身を寄せ合った子供同士生きて行くのを思えば、感慨深くも思えるのは己の周囲には親に愛され成長するという極当たり前な権利すら奪われた者達ばかりが取り巻くからで。現にこのスラムで菓子を与えられ喜ぶ子供達にも、親が存在する者がごく少数であるのは捨てられ、或いは奴隷として権力者に親を奪われた者が殆どである為。血の繋がらない大人と子供との間にもまた共存するための何かしらの掟は存在するのだろう。しかし知り得たいと思わぬのは彼らとの関わりに其処まで深く足を踏み込みたくない故、適度な距離を保った関係性は、互いに需要と供給を補う者としてのみ存在する浅くも固い共存関係。菓子を道に撒いた中、傍らの相手が足を止めた
事に気付いたものの己は歩を進め、軽く後方を振り返り見れば宝を手に歓喜沸く子供達がそれらを仲間同士で配り合う姿と、それを眺める彼とが肩越しに伺えよう。視線を向けたのは数秒程度、行動に善悪を示し付ける彼の思考力は己の脳には理解し難い高度なもの。契約を交わさぬ両者との関係は、望んだものを互いに与える協力とも、報酬は何であれ雇用主と被雇用者と言う支配とも、見る人間によって変わり、善か悪かもまた変化するだろう。少なくとも当事者たる己と住人とが善悪を用いて判断していない事は確か)く、ハハっ…アンタに言われると、動物観察の感想みてェで喜べねェわ(肩を叩く圧に右へ戻った彼へと視線を向け苦笑い浮かべるのは、向けられる賞賛が素直に心に収まらない故。しかし続く彼の案を語る声は変わらぬゲーム精神を彷彿とさせるようで、以前から良く知る思考の擦れ違いは何処までも現れるらしい)なんだソレ、ややこしいなァ…。分配まで俺が決めちまったら、より多く貰う為に媚びるし他の奴を蹴落とすだろ…そりゃ単なる支配だろ。分け合うように言ったのは俺じゃねェ、あいつらが生きる為に勝手に学んだことだ(語
りつつも要は面倒事を避けるために一定以上に首を突っ込む事を回避しただけではあるが、奪われるばかりの闇底の世界では隣人のものを奪うより分け与え共存する事が生き延びる術であると幼い頃から学ぶのだろう。やがて辿り付くのは浅い場所よりも更に崩壊が進んだ荒んだ地域、正面に伸びる細路地の先は闇に閉ざされ光すら窺えず、更に進めばスラムに住まうものですら忌避する深部へと行けるだろう。その地域は単独では己も足を踏み込めぬ凶悪な場所、闇の幕に閉ざされた路地は深部への境界線)質のイイベッドに寝たいなら倉庫だがな、鍵が付いた程度の扉一枚しか守るモンが無ェじゃねーの(辿り付くにも些か面倒であり治安も宜しくない場所に根を張る自らの趣味が良いとも思えなかったが、安全を求めた末の寝床。闇の境界線より幾分か手前、右側に逸れる道は二車線程の幅広い空洞を広げた道となっており、その場所を封鎖するかのように横切る高さ1.5メートル程度の黒く錆びた重々しい鉄柵がまず目に入るだろう。有刺鉄線の巻き付いたそれは中央よりやや右側の位置に入り口を持ち、開け放たれた扉、其処から続く道は人二人が並べる程度の
幅に木板でぞんざいに舗装されており、それ以外の地には鉄くずや瓦礫、何かの入った箱や塵が散乱しているだろう。木板の道は10メートルほど先まで足元を安定させ、それが導く先には移住民族の住まいのような大きめのテントに近い小屋が見える筈。木や鉄板と布とを組み合わせて器用に作られたパオのような住居の奥はコンクリートの壁で、三方を窓もない壁に囲まれた袋小路の場所)アレ。ようこそ我が城へ(手を伸ばして指を差し、明らかに城とは言い難いホームレスのような住まいを示しつつ、柵の合間を抜け木板を踏み締めて。テントは高さ凡そ2メートル前後のやや球体を描き、入り口側から住居を隠すように大きな鉛板が一枚斜めに立て掛かって居るだろう。テントとの合間に作られた空間は人一人が寝転べる程度、板に保護されるようにその奥へ立つ寝蔵は右側の壁と平行に入り口を持ち、左の壁へと張り付くように幾つかの杭とロープとで固定されて居り。斜め掛けされた鉛板の前に置かれた木箱に腰掛ける男が一人、何やら動かす手元へと視線を注いでいたが己が現れると同時にその瞳は遠くからも此方へと向けられるだろう)板の上以外歩
くなよ、えげつねェ罠がちょこちょこあるから



葛西雅隆

(スラム子との関わり方からも相手との思考の差が露呈したが、それは理解した事で今更己の価値観を押しつけることは無く。深くを思考はせずに野性的な感覚で街を生きる相手は、対して理知的な思考で生きる己とは異なるもの)身を寄せ支え合うのは力無き子供の本能。成長して力の差が生まれれば、自立する者が現れれば、いずれ横の関係は縦に変わるでしょう。僕なら無駄な課程は省く為、幼少時から能力のある者を選別し、そこに投資しますね。純朴な子供はいずれ、優秀な道具になりますから(野性的な感覚で菓子を捲きスラム子と共生する相手だが、己ならば火種となるゲームで彼らに争いを仕向け、這い上がってきた者だけへ存分な施しを与えて繋がりを得るだろう。それはいずれ朽ちるだけの無能な芽は摘み取り、可能性のある者だけへ投資するという無駄のない手法。語った後にその質の悪さには気がついて、軽い頭痛を感じて頭を掻き、思考を断ち切るべく視線は前方の闇へと定め。そこはスラムの奥地へと進んでいるのか、闇慣れてきた瞳ですら形を見い出せぬ不気味な廃墟。人間の脳味噌を啜る鬼、首斬りピエロ、体に毒虫を飼う老婆…、スラムには嘘か真かも分
からぬ不気味な噂話が多々存在するが、闇から何が現れても不思議でないのは、ここが無法の街からも見捨てられた奈落である為。既に道なき道を縫い歩き、どこを歩いて来たかさえ分からぬ状況。慣れた案内人不在でスラムに足を踏み入れるのは自殺行為である為、ここで相手に見捨てられれば本物の危機に陥るだろう。それは己が支配する閉鎖された地下空間へ連れ込んだ時とは真逆の心境で、後にも退けぬ状況に浮かぶのは苦々しい笑み。ここまで深部へ連れられる予想は無かった為に後悔の念も沸いたが、悟られぬように平静は装ったまま)映画だと、闇からゾンビでも現れそうな場所ですね。こんなところで寝泊まりするから、壱八さんは陰険になっちゃうんですよ(扉変わりと思われる鉄柵が眼に入り、その先に薄らと見えるのは雑に並んだ足場の木板。何者かが頻繁に出入りしている証のようで、その舗装は道として機能しているように見えよう。柵の前で足を止めて前方を見据えると、木板の先には球体を描くテントのようなものが見え)…あれが城?どう見ても、浮浪者が廃材を掻き集めただけのボロ小屋じゃあないですか(スラムという立地からは覚悟はあったものの、
眼に入るのは秘密基地のような怪しい住まい。スラムの深部に近い不便な場所の上に、薄闇に包まれた劣悪な環境では、好んで住み着きたいとは思えないもの。肝試しの舞台にしか見えなかったが、ここが本当に相手の住処らしく、柵の合間を抜ける背を追い己も続いて)壱八さんの趣味の悪さには、僕も流石に適いませんよ。人を招く環境じゃあないでしょうコレは(薄暗く足場も不安定な中、背中へ投げる言葉は苦労を責めるような言葉。しかし言葉とは裏腹に口調は明るく弾むのは、秘密基地のような住居が楽しく心が弾む為で。綺麗に整えられた住居も良いものだが、廃材を集め、自力で組み立てたような自由な基地も想像力を掻き立てられるもの。どんな楽しい空間が続くのか考えれば、スラムを歩いた心労など吹き飛ぶ心地で)でも格好良いなぁ、こういう基地みたいな場所は。壱八さんが作ったんですか?(木板から足を踏み外さぬように視線を落とすと、眼に入るのは相手の腰と足元。正面からへ視界を遮られたことで、遠くから此方へと視線を向ける人物には気が付かずに)

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