鶯と三日月の確執(R18)※追記に続いています


府内某所。

観光地として暴かれつくしたこの古都には、歴史の長さに比例して今なお育ち続ける闇が多くある。
東山の裾野、六道の辻に至るまでの道すがら。地獄への道の名に違わず、この界隈には未だに裏社会で幅を利かせる古家・旧家の本拠地がひしめく。大概は民家や料亭に偽装されていて、この一角はほぼすべてがそういうものと言って過言でない。淡く石灯籠が照らす門の前、石畳に一台の高級車が止まった。中の伺えない仕様の後部座席のドアが開いて、中から出てきたのは、金髪の女だった。肩までの跳ね放題の髪を、黒い髪飾りで結いつけている。冬の夜道だというのに外套一つないその姿は、ノースリーブのリブセーターにホットパンツという見るからに寒々しい出で立ちである。だがそんなものよりももっと目を引くのは、彼女の腰に下げられたものだ。
刀。
彼女はその鯉口を切り、素早くあたりを見回す。異常がないことを認めると、再びドアを開いて中に呼び掛けた。
「うぐいす〜、いいよ〜」
「ご苦労、髭切」
「報告報告〜こちら55号車……あ、妹かい?こちら髭切、到着したよ。このまままっすぐ屋敷に向かうのでいいのかな。……は〜い了解」
耳に装着したインカムで先んじて到着していた片割れと連携を取りながら、髭切は降車する鶯の手を取ってリードする。
「いつも思うが、髭切は寒くないのか、そんな恰好で」
「ん〜?平気だよ。かさばってお仕事できないんじゃ、そっちのほうがコトだ」
朗らかに笑いながらグローブをはめ、アーミーブーツの踵を鳴らす姿は可憐だが、その目は間違いなく狩人のものだった。それも歴戦の。鶯の手を引いたまま、髭切は並んで門の前に立った。ついで、インターホンの数字を軽く操作する。
「この時間無駄だと思うんだよね、僕」
「同感だ」
和風な風体とは裏腹に、ここには科学技術の粋を極めた最新防犯システムがこれでもかと詰め込まれている。赤外線、金属探知、虹彩照合、エトセトラ。無作法者や招かれざる客を徹底的に排除する、物言わぬ門番というわけだ。髭切が先ほど操作したのもインターホンに偽装されたシステムロックで、そもそも門番に検閲を要請することさえ、限られた人間にしかできない。
「大体向こうが呼んでおいて失礼な話だよ。妹がいなきゃ絶対こない、こんな無礼なとこ」
「あっはは。あちらもお前のことをよく分かっているんだろうよ」
検閲の間、誰が聞いているかもわからないのに堂々とホストの文句を垂れてふくれる髭切に、鶯が甚だおかしそうに肩を揺らしたところで、『ALL CLEAR』、歓迎の許可が下りた。

家というより公共施設か何かかと思われるほど広い竹林の道。数回訪れる分かれ道を、髭切は鶯の手を引いて迷わず選び、進んでいく。曰く間違えると招かれざる客とみなされ、この世からお帰り願われるらしい。正解の道順は来るたびに変わる。毎度覚えているのか?という鶯の問いに、髭切は得意げに歯を見せた。
「そろそろじゃないかな」
髭切は再び、刀の柄に手をかけた。歩く速度が半歩、落ちる。見えてきたのはこれまた立派な門構えで、そこには二人、立っている人物がいた。髭切が警戒たっぷりに近づくこの人物こそ、今宵鶯を呼びつけたこの屋敷の主人である。
「久しいな、古備前。息災か」
後ろに髭切の片割れである膝丸を従え、三条三日月はその色の読めない顔で鶯に笑いかけた。髭切の手から、刀が離れることはない。それは向こうの彼女の妹も同じようだった。
「お前こそ、元気そうで何よりだよ」
鶯が笑って手を差し出す。三日月がそれに応えるまでに、不自然でない程度に見せた妙な間は、それぞれの従者だけが気が付いていたのだった。

通された応接間で、膝丸は三日月の後ろに控えているのに対して、髭切は堂々と鶯の隣に腰を下ろした。おまけに鶯に出されていた茶請けの菓子の封まで勝手に切る始末だ。
「おい姉者ッ……」
血相を変えた膝丸の胃痛などどこ吹く風の姉に、彼女らの主人たちも呆れたように肩をすくめた。髭切のこれはいつものことである。それこそいちいち目くじらを立てていては、痛まずともよいところまで痛めてしまう。三日月がぱんぱんと手拍子を打って、使用人を呼びつけた。
「やあ、よいよい。どれ、お前たちの分も茶を持ってこさせような、」
「お前も座っていいんだぞ、えーと」
「辻丸だよ、鶯」
「膝丸でございます姉者!」
ありゃ?口をもごもご言わせながら首をかしげた髭切の口元についている菓子を、鶯が懐紙で拭ってやる。戻ってきた使用人は本当に二人分の追加の茶を持ってきたし、髭切の前におかれた漆の器には菓子が山と積まれていた。背後の膝丸を振り返って、自分の隣をぽんぽんと叩いて示してくる三日月に、今にも眩暈がしそうで思わず天を仰いだ。だが主人の命は絶対である。膝丸はええいままよとばかりに、三日月の隣に腰を下ろした。もう知るものか。
「古備前よ」
三日月は、先ほど茶を強請ったのと同じ音で、口火を切った。
「家を捨てるそうだな」
「……、ああ。言い方はともかく、事実としてはそうなるな」
話題としては一等不穏だ。少なくとも、茶をすすりながらするような話では断じてない。事実三日月の視線は、不躾でない程度には穏やかさを欠いている。髭切が遠慮のかけらもなくばりばりとせんべいを砕く音と、相変わらず玉露に舌鼓を打つ鶯ばかりが、この部屋で唯一微動だにしない。
「理由を尋ねても障りないか」
「そんな大層なものはない。俺には向いてなかったというだけの話だよ。張り切っている弟もいることだし、女の俺はさっさと引退するのに都合がよかった、それだけだ」
膝丸は見逃さなかった。三日月の目が、温度を下げて眇められる。視線の刃は真っ直ぐ、恐ろしいほど直向きに、目の前の鶯に突きつけられている。
「お主の顔は誰もが買っていた。俺も含めてな。初めからそのつもりなら、何故一時でも家督を継いだ?あの日、俺もお主も、この呪われた縁に諦めを付けて、共に囚われることを許したのではなかったか」
常日頃から鷹揚に微笑んでばかりの三日月が、このように誰かを責め立てるのは珍しい。悪い意味でだ。いよいよ不穏な雲行きに、場の空気も張り詰める。だがそこは流石と言おうか、古備前友成はそんな中でも泰然自若として己を損なうことはない。もどかしいほどゆっくりと、まるで指し示すように湯呑を置いた。


古備前は、三条と同じ程度か、あるいはそれ以上に古い家である。
政治・経済・軍事と、歴史の要所節目には明暗分けずその名を刻み、今やこの国における地位は不動のものとなった。現在は中国地方に居を構え、三条が治める京都とは隣人として、千代にわたる長きにおいて交流を続けている。
旧家に於いて跡継ぎは基本的に男と決まっているが、鶯も三日月も女だてらに今は当代の一権力者である。三日月の家には三日月とその姉の姉妹が生まれたので、先に五条に嫁入りしていた姉に代わり、縁の少ない三日月が現在の当主となった。だが、古備前は少々事情が異なっていた。
鶯は当主として『相応しかった』。三日月のように、血のためだけの挿げ替えの当主ではない。鶯は血もさることながら、一族の満場一致でその手腕を長にと認められた、異例の女であった。
幼少の頃に大病をして、臥せっていた時期もあった鶯であったが、18で当主となってからの7年間、その辣腕は音に響くものとなっていった。そして今、この国に並び立つ家長のひとりとして三日月と膝を突き合わせてもいる。
それを何故、今になって、白紙に戻そうというのか。三日月が古備前の家を問い詰めても、『長の決定』だとの一点張りだった。
「お主も包平も10と離れてはいまい。仮の顔として立てるのに、お主では役者が過ぎている」
「随分買われていたようだなあ。お前そんなこと、面と向かって俺に言ったことあったか」
「照れるだろう」
「然もありなん。聞いたことがないのなら、可笑しいのも道理だ」
徐に鶯が煙草を咥えると、チョコレートをつまんだままの髭切が器用に片手でジッポを点した。煙を呑む鶯を見る三日月の目は剣呑だが、理由はそれではあるまい。露骨にはぐらかそうとしているのが分かる。三文芝居か高等な駆け引きか、腐っても西国の長である女の二枚舌など信用できない。
「俺は腹の探り合いは好かないぞ、古備前」
「三条の稀代の女狐の台詞ではないな、宗近」
元服以来の字を呼ばれた三日月の目はさらに温度を下げる。きわめて単純な扇動だと、膝丸は気付いていた。この二人、互いに性根は基本的には穏やかなのだ。この不自然さは、どちらかの策略か。性急すぎる敵意の応酬に、思わず膝の上の手に力を込めた。
「考えてもみろ。俺の爺様もお前の爺様もみな本家筋。家を保つのに、どう考えたって都合がいいのは男の血だ。ただでさえ俺のところは、血の濃さだけを数えれば3代のひよっこもいいところだしな。発展を考えるのなら、弟に家督を譲るのが筋だろう」
髭切が、用意されたポットで自分と主人の湯飲みに茶を注いでいる。すでに胃がねじ切れそうな膝丸とは違う、この姉の内臓は鋼鉄ででも出来ているのだろうか。
鶯の言い分は至極真っ当だと、膝丸は思った。歴代当主として務めを果たすのは大多数が男だし、たとえ女を据えたとて名代として名が残るのは男の名だ。それは事実。なんの不合理もない。
だが三日月は、なおも追いすがる。膝丸が横目でちらと覗き見た主人の顔は、まるで迷いの女童のようなありさまだった。
理を欠いたその感情の名は、執着だ。
「……何故、」
「俺は理由を話したんだ、お前の駄々を聴くわけではない」
三条家当主の御言葉を言うにこと欠いて駄々とは、越権行為も甚だしい。しかし膝丸が何か言うよりも早く、主人がーーあの三日月が、激昂した。
「お主、よもやあの世迷言を、誠に……!」
「三日月殿ッ!」
立ち上がり、今にも鶯につかみかかりそうな主人を膝丸は慌てて御した。正面へ視線を映せば、相変わらず何を考えているのかわからない笑みを浮かべる古備前当主の隣で、呑気に茶を啜りながらも、三日月と自分の挙動から一寸たりとも目を離さない自分の姉の目がある。よく見れば片手はすでに鯉口にかけられて居て、膝丸は頭の隅が冷えるのを自覚した。
「俺は実現しようとした。そうしたら叶った。それだけのこと」
「古備前友成、貴様、貴様……!」
美しい顔を憤怒に歪ませる三日月は、我が主人ながら、心の底から恐ろしかった。この怒りは、おそらくそのすべての権力をもって対象を灰も残さず燃やし尽くすだろう。謂れのない我が身でさえ竦むほどの熱量だというのに、それを一身に向けられたこの目の前の女は、どうしてこうも動じずにいられるのか。膝丸には鶯がこそ、化生のものででもあるかのように思われてならなかった。
「よく見ろ、三日月。鎖なんてどこにもない。見えないものに縛られるほど、俺もお前も愚鈍ではないはずだ。お前のことは友だと思っている。だが俺はーーー」


「すごいね、鶯。結局あの女狐怒らせるだけ怒らせて、ホントのこと1ミリも言ってなくない?」
帰りの車の中で、三日月の家からきっちりくすねてきた菓子を貪りながら訪ねてくる髭切に、煙草を吸っていた鶯はぱちぱちと目を瞬かせた。
「ちゃんと説明したろう。俺は自由になりたかったんだと」
鶯の願いは真実それだけで、いけなかったことはといえば周りを全然顧みなかったことと、それをちっとも明快に説明できなかったことだ。それを結局最後まで自覚できていないらしい鶯に、髭切は呆れ果てるほかない。
「あ〜、だ〜めだこりゃ。ま、君がいいならそれでもいいけど」
きゃらきゃらと笑う髭切に、鶯はなおも疑問符を飛ばすばかりである。
「僕らと一緒にいたせいかな、鶯は不思議な感じに育っちゃったよねぇ」
「俺はお前たちと乳姉妹でよかったと思っている。包平は男一人で肩身が狭いらしいが」
「なにそれ、ウケる〜。今度また4人で出かけようね」
深夜、京都から岡山までの帰路。高速道路からぼんやりと街灯が流れるのを眺める。家を捨てれば当然住処も変わる。齢25にして、また一からのやり直しだ。住む国を変えるのと大差ない環境の変化に、この先何が待ち受けているのかなど分かったものではない。考えていることの先行きの不透明さとは裏腹に、鶯の口には薄く笑みが敷かれている。
それもすべて織り込み済みで、鶯は、それでも手に入れたかったのだ。不安も恐れも、今は楽しみでしかない。そういうものが、欲しかったのだから。
「ああ、そうだな。……今までありがとう、髭切」
髭切が何も言わずに差し出した灰皿に煙草を押し付けて、そう言った鶯に、髭切はこともなげに応える。
「変なの。昔みたいにただの『鶯友成』に戻るだけじゃないか。何が変わるの?」
「お前みたいなやつばかりだったなら、俺ももう少し楽が出来たんだがなあ」
「あ、それより鶯、見てた?さっきの妹さ……」
「ふふ、ああ、見ていたぞ。悪いが……」
それから明け方に家につくまで、鶯と髭切は眠ることなく話に興じていた。これまでのこと、これからのこと。鶯とは違って外にも友人が多いという彼女らが、家探しを手伝ってくれるらしい。鶯は酷く満たされた気持ちで、朝日を拝んでから床に就いた。
細かいことは気にしない。後悔など、あるものか。

古備前友成の早すぎる退任と、その弟の家長への就任は、ほどなくして日本各地の要所へと知れ渡った。その内容は、表向きは勘当とされていたが、それが実害を伴わない名目上のものであることまでは明白であっても、真の理由と様相を、知るものはひとりもいなかった。

「みなグラスは持ったか」
「あるぞ」
「大丈夫〜」
「ああ」
それから半年ほどたって、鶯の新居にて、娑婆での暮らしの準備が整ったことを祝う会が開かれた。何とも奇妙なお題目だが、それまで、安達(髭切の家だ)の屋敷や古備前の屋敷で何不自由なく暮らしていた所謂「世間知らず」であるところの鶯が、独力で自分の生活環境を整えることは不可能に近かった。彼女よりも世間に出ることの多い髭切と膝丸、鶯に家長を譲られるまでは半分堅気として生きていた大包平が、鶯を大変、大いに、とてつもなくよく助け、彼女の新しい職、経歴、住処やその設備などを整えてやったのであった。その間当の本人はと言えば、母方の実家で呑気に山籠もりなんかしていたわけであるから、つくづく見上げた図太さである。
「みな、本当にありがとう。おかげで、俺一人にはもったいないほどの家を見つけてもらったり」
「7畳一間のごくごく一般的なひとり暮らし用アパートだがな。せ、狭い……」
「家具家電をそろえてもらったり」
「お前と姉者を買い物に行かせてはいけないということがよーくわかった。勧められたものを勧められたまま買おうとするな!」
「そのほかにも、まあいろいろと世話になったな」
雑だな!という下二人のつっこみが見事にかさなったところで、鶯と髭切がケタケタと笑った。
「この借りは、娑婆で稼いだ真っ当な金で地道に返していくつもりだから、どうか気長に待っていてくれ」
「うふふ、期待はしないで待っとくよ〜」
「ふん。せいぜい真面目に働くことだな」
「姉の世話だ。こんなの借りのうちに入らん」
三者三様の労いと激励に、鶯はより一層笑みを深くする。誰が言ったか乾杯の音頭で、安っぽいグラスを合わせた音を、鶯は一生忘れないだろうと思った。



頬を張られた感覚で、意識が現実に引き戻される。
鶯が目を開けると、今住んでいる安アパートとは似ても似つかない、豪奢な天蓋が目に入る。身動ぎしようとしても敵わない。見れば手足は拘束されている。
「おはよう、古備前や。ご機嫌はいかがかな」
動かせる視線だけを、その声が聞こえた方へやる。もっとも、今なおその名で自分を呼ばうものがもしも在るとしたら、それはひとりしかいないのだが。霞む視界ではよく見えない。それでも鶯は、弱弱しくも確信めいた声で、その名を呼んだ。
「……みか、づき……」
「おや、まだ自我を保っているのか。誠、強靭な志よ。……薄緑、あれをここに」
薄緑、と呼ばれた女が、酷く緩慢な仕草で、鶯と三日月のいる寝所へとやってくる。彼女は三日月に何かを手渡して、それから、鶯を見た。泣きそうな顔で。鶯は彼女に、唇の形だけで伝えた。
ひざまる。みたくないだろ、でていけ。
それは正しく伝わっただろう。膝丸は理解するや、勢いよく踵を返して礼もせずにこの部屋を辞した。鶯は微笑んだ。これでよいのだ、今更かもしれないがーーー優しい彼女に自分の不始末の一片を見る義務などこれっぽっちもない。たとえば、女狐が構える注射器の中身で、理性を捨てる鶯の姿など、醜悪過ぎて見るに堪えなかろう。
「……はずか、しい、しな」
「……何、今にその口、利けなくなるぞ」
受け入れるのが初めてではないであろうそれを、もはや拒む余力もない。鈍い痛みをともなって針が腕に沈む間、鶯はなんとなく、窓の外を眺めていた。