同居していると介護から逃れる術が無い。
おまけに介護人が在宅の仕事となれば尚更、介護をされる側には好都合だ。
「家に居ながらの仕事は楽でしょう?」と人は言う。
...
とんでもない。
家に居ると毎日のように誰かがインターホンを鳴らしそれに応答することになる。
電話応対も然り、訪問者の対応も然り、勿論、家事や炊事は定番、そこに介護が入るのだから家に居ながらにして忙しい日々だ。
夏休みには孫たちが度々やって来てお泊りもあり、朝から晩まで汗が出っ放しだった。
帰れば帰ったで寝具の片付けと洗濯...息つく暇なしだった。
一日中、洗濯機を何回も回し、夕方前には取り込んで畳む量も半端ない。
姑のデイの日は送り出しと出迎えもあり、時計を気にしながらバタバタしていた。
一日、じっくり仕事に集中できたら...と何度思ったか知れない。
やっと夏休みも終わり、孫たちは週末にしか来なくなった。
こんな高齢世帯の何処が良いのか知らないが、暇な時は我が家にやって来る孫たち。
親子だけの時間も良いが、たまには違う空気を吸いたくなるのだろうか。
親だって疲れているだろうし、たまには子供と離れてのんびりしたい気持ちもあるだろう。
騒々しい家の中で、姑はいつものように昼夜逆転の気儘な一日は過ごせない。
認知症には良い薬にもなるかも知れない。
日がな一日を寝て過ごすばかりでは脳に何の刺激も無く、進行も早く進むかも知れないのだから。
最近は一緒の食事が夜だけになった。
生活のリズムが違うのだから仕方がない。
連日の質問攻撃は相変わらずで、顔さえ見れば何かを聞き、自分の認識と違えば「違う」と意地を張り、納得させるのに一苦労。
全てに「そうよ」と応えられたらこんな楽なことは無いが、それはそれで「いや、ちがう」と否定されれば、いったい私は何と答えればいいのか悩むこともある。
中途半端な認知症は最も面倒だ。
時に、自分は試されているのか? とか、バカされているのか?と思うこともある。
忍耐はまだまだ続く。
おまけに介護人が在宅の仕事となれば尚更、介護をされる側には好都合だ。
「家に居ながらの仕事は楽でしょう?」と人は言う。
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とんでもない。
家に居ると毎日のように誰かがインターホンを鳴らしそれに応答することになる。
電話応対も然り、訪問者の対応も然り、勿論、家事や炊事は定番、そこに介護が入るのだから家に居ながらにして忙しい日々だ。
夏休みには孫たちが度々やって来てお泊りもあり、朝から晩まで汗が出っ放しだった。
帰れば帰ったで寝具の片付けと洗濯...息つく暇なしだった。
一日中、洗濯機を何回も回し、夕方前には取り込んで畳む量も半端ない。
姑のデイの日は送り出しと出迎えもあり、時計を気にしながらバタバタしていた。
一日、じっくり仕事に集中できたら...と何度思ったか知れない。
やっと夏休みも終わり、孫たちは週末にしか来なくなった。
こんな高齢世帯の何処が良いのか知らないが、暇な時は我が家にやって来る孫たち。
親子だけの時間も良いが、たまには違う空気を吸いたくなるのだろうか。
親だって疲れているだろうし、たまには子供と離れてのんびりしたい気持ちもあるだろう。
騒々しい家の中で、姑はいつものように昼夜逆転の気儘な一日は過ごせない。
認知症には良い薬にもなるかも知れない。
日がな一日を寝て過ごすばかりでは脳に何の刺激も無く、進行も早く進むかも知れないのだから。
最近は一緒の食事が夜だけになった。
生活のリズムが違うのだから仕方がない。
連日の質問攻撃は相変わらずで、顔さえ見れば何かを聞き、自分の認識と違えば「違う」と意地を張り、納得させるのに一苦労。
全てに「そうよ」と応えられたらこんな楽なことは無いが、それはそれで「いや、ちがう」と否定されれば、いったい私は何と答えればいいのか悩むこともある。
中途半端な認知症は最も面倒だ。
時に、自分は試されているのか? とか、バカされているのか?と思うこともある。
忍耐はまだまだ続く。