2019年(令和元年)9月下旬に入った鉄道に関するニュース。その10 今日の鉄道の出来事。 | 鉄道 ki.do.a.i.ra.kuのブログ

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鉄道のニュースや、出来事などを書きます。

鉄道の話題について。

山陽電車 その23という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://tetsudo-ch.com/5485309.html

50代から始めた鉄道趣味 110という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://tetsudo-ch.com/9523551.html

甘木鉄道では、トレインピクニック 開催という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://www.tetsudo.com/event/26915/

JR東日本盛岡支社では、気仙沼駅 開業90周年イベントという記事が出ています。詳細は下記のURL

https://www.tetsudo.com/event/26916/

東武鉄道では、スペーシア 日光線90周年ロゴマーク 掲出という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://www.tetsudo.com/event/26997/

JR東日本のグループ会社、びゅうトラベルサービスでは、えちごトキめきリゾート雪月花 新潟~上越妙高間( ツアー )という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://www.tetsudo.com/event/26907/

JR東日本のグループ会社、びゅうトラベルサービスでは、E655系 上野~越後湯沢間( ツアー )という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://www.tetsudo.com/event/26909/

養老鉄道 600系 D14編成、廃車直前に D×TQバトンタッチイベント という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://news.mynavi.jp/article/20190929-899440/

東京都交通局では、上野動物園モノレール40形の引退記念イベント実施という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://news.mynavi.jp/article/20190929-900122/

京浜急行電鉄( 京急 )では、けいきゅん号 新デザイン けいきゅん 吊り革も新登場という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://news.mynavi.jp/article/20190929-899993/

京王電鉄では、京王 5000系 Mt.TAKAO号 高尾山の紅葉シーズンに合わせて運行という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://news.mynavi.jp/article/20190929-899597/

京王電鉄では、サンリオピューロランドエクスプレス イベント列車運行という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://news.mynavi.jp/article/20190929-899591/

ゆいレール首里~てだこ浦西間10月1日(火)延伸開業、沖縄の旅が変わるという記事が出ています。詳細は下記のURL

https://news.mynavi.jp/article/railwaynews-192/

小田急電鉄では、1日全線フリー乗車券 通年販売開始、日常的な利用もという記事が出ています。詳細は下記のURL

https://news.mynavi.jp/article/20190929-900265/

小田急電鉄では、経堂駅・町田駅にテレワーク用の防音という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://news.mynavi.jp/article/20190929-900612/

埼玉高速鉄道( SR )では、鉄道の日記念乗車券 ペットボトルとセットで発売という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://news.mynavi.jp/article/20190929-900015/

日立製作所では、タイ国鉄向け鉄道車両を出荷。2020年(令和2年)6月までに130両という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://news.mynavi.jp/article/20190929-900013/

北陸・上越新幹線 E7系・W7系 どんな車両 260km/hで走る かがやき はくたかという記事が出ています。詳細は下記のURL

https://trafficnews.jp/post/89751

東海道新幹線で 秋のコーヒーキャンペーン 特別カップで スイーツとセット販売もという記事が出ています。詳細は下記のURL

https://trafficnews.jp/post/89969

全ての副省級市に路線開業へ 済南軌道交通開業に伴うダイヤ改正( 2019年(平成31年)4月1日 )という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://www.train-times.net/article/jinan20190401-html

JR北海道の新型観光列車 山紫水明 が札沼線へ 2020年(令和2年)5月の廃止区間にも入線 11月16日(土)、11月17日(日)という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://s.response.jp/article/2019/09/29/327009.html

JALや京急ら、共同で三浦半島へ誘客 特別ラッピング車両も運行という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://www.traicy.com/20190929-JLkeikyu

西日本ジェイアールバス、京阪神~東京線で新型2階建てバスを追加運行という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://www.traicy.com/20190928-westjrbusscania

Suicaで電車に乗るだけでポイント還元、モバイルの方が高還元率のワケという記事が出ています。詳細は下記のURL

https://www.bcnretail.com/market/detail/20190929_138293.html

国鉄の急行 阿蘇 が臨時列車に 広島-熊本、10時間の旅という記事が出ています。詳細は下記のURL

https://this.kiji.is/550578538938532961?c=39546741839462401

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190928-00000075-kyodonews-soci

鉄道会社のダイヤ改正、どんな狙いがあるのかという記事が出ています。詳細は下記のURL

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1909/30/news024.html

人身事故。京成線 勝田台~志津駅間で人身事故 志津駅付近の踏切でブルーシートという記事が出ています。詳細は下記のURL

https://matomedane.jp/page/38459

記事の詳細文章の下記にあるURLをご覧下さい。URLをコピー又は切り取りをして検索の所に貼って検索すると詳細が見れます。

鉄道の動きについて。

鹿児島市交通局では、騎射場電停が鹿児島ユナイテッドFCカラーに。

JR西日本と、JR九州では、12系客車を使用した復活急行 阿蘇号 運転。

東武鉄道では、東武伊勢崎線で 10030系 の ブツ6 運転。

JR東海では、キハ25形 M103編成が高山本線へ。

山陽電気鉄道では、山陽沿線秋祭り ヘッドマーク。

東武鉄道では、東武 8000系 8111編成による団体臨時列車運転。

鉄道博物館の 485系 に 白鳥 ヘッドマーク。

JR東日本では、旧弥彦色の 115系 が快速列車に。

鉄道に関するニュース。

3歳男児が列車にはねられ死亡

静岡市の線路上で28日、普通列車が3歳の男の子をはね、男の子は死亡しました。

28日午前、静岡市清水区でJR東海道線の線路上に男の子が立ち入り、下りの普通列車がはねました。はねられたのは、静岡市清水区の川島淑斗ちゃん(3)で、病院に運ばれましたが死亡が確認されました。

警察によりますと、事故当時、淑斗ちゃんは踏切から少し離れた線路上に1人でいたということで、事故の詳しい原因や経緯を調べています。運転士はブレーキをかけましたが、間に合わなかったということです。電車には乗客およそ300人がいましたが、けがはありませんでした。
ソース TBS NEWS 9月29日(日)付け を引用。

香港で抗議活動、催涙弾発射や市民取り押さえも

10月1日の中国建国70年を前に、香港では29日も当局の許可を得ないまま抗議デモが強行され、市民と警察が激しく衝突しています。大平弘毅記者の報告です。

「デモ隊は現在、政府庁舎の道路を占拠し、この先で警官隊と対峙しています。先ほどから催涙弾が何発も発射され、衝突の激しさは増しています」(記者)

「警察が警告します」(警察)

「警告はいいから逮捕してみろ」(男性)

「言い争いになった市民を警察が連行しようとしています。その様子を撮影しようとするメディアを警察がとめている状況です」(記者)

大勢の観光客が訪れる繁華街を出発地点に予定されていたデモですが、予定時刻の2時間ほど前から現場に出動した警察に対し、デモの参加者だけでなく通りがかった市民からも激しい非難の言葉が浴びせられ、衝突に発展しました。

「かなり激しく市民が取り押さえられています。 催涙弾が使用されました。煙が来ます」(記者)

最終的に警察は催涙弾を発射し、多くの市民がせき込みながら地下鉄の駅などに逃げ込みました。 その後、デモ隊は行進を強行し、現在は政府庁舎付近の道路を占拠し、催涙弾などで排除する警官隊と激しく衝突しています。

中国建国70年を10月1日に控え、香港では緊張が高まっています。
ソース TBS NEWS 9月29日(日)付け を引用。

尚、この記事は、地下鉄の駅が掲載されている事から、鉄道に関するニュースとして判断し掲載させていただきました。

9月30日 鉄道の出来事。

東海道新幹線の開業前日、東海道本線特急( 東京~大阪間。)廃止。151系 こだま廃止から55年。

1964年(昭和39年)10月1日、東海道新幹線の開業の為、東海道本線 ( 東京~大阪間。)の特急は、東海道新幹線の開業前日の同年9月30日に廃止されました。東海道新幹線の開業前の在来線特急、151系 パーラーカー こだま が廃止されてから今日で55年経ちました。東海道新幹線の開業から明日で55年経ちます。151系 パーラーカーは、貴族が利用する為の座席で、ガラスには、暗殺( 射殺 )事件防止の観点から防弾ガラスとなっています。151系 は、1956年(昭和31年)秋、東海道本線全線の電化に伴い、1957年(昭和32年)に完成した国鉄初の新性能電車である。落成当時は、20系 電車と呼ばれていた。1958年(昭和33年)11月に最初に投入された列車の愛称から「 こだま形 」とも呼ばれる。東海道新幹線の開業前である、東海道本線のみならず、国鉄黄金時代を象徴する車両である。1959年(昭和34年)の第2回鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。20系 電車は、1959年(昭和34年)の国鉄車両称号規程改正で 151系 電車に改称され、1962年(昭和37年)には、上野~新潟間特急「 とき 」用に製造された派生形の 161系 電車が登場。東海道新幹線の開業直前である1964年(昭和39年)4月24日、東海道本線の草薙~静岡( 当時 東静岡駅は未開業。)間を運転中の下り「第1富士」が踏切を横断中のダンプカーと衝突し脱線転覆。ダンプカーの運転手が死亡し、151系 パーラーカー( クロ151-7 )の先頭車両は大破した。また脱線した車両の多くは数多くの著名人が乗車する1等車であったことから在日イラク代理大使ら10名が重軽傷を負った。

運用面での対応

事故当日の下り「 第1富士 」の大阪~宇野の区間運転と折り返しとなる上り「 うずしお 」の代走には高槻電車区所属の 80系 電車7両編成が投入された。80系 電車による特急運転は事故当日限りの緊急措置ではあったが、国鉄旧性能電車による唯一の特急列車となった。直後にゴールデンウィークを控えていたこともあり、翌日から次のような運用で運転が確保された。

事故当該編成で運転される予定だった4月25日の下り「 うずしお 」→上り「 第2富士 」は、本来は上り「 第1こだま 」に充当される編成で運転。

4月25日~5月6日までは上り「 第1こだま 」と下り「 第2こだま 」は、宮原電車区( 現・網干総合車両所宮原支所 )、153系 電車11両編成による代替運転( いわゆる 「 替えだま 」)とする。復旧に際し行われた検討でクロ151-7は以下の2点から、国鉄新性能電車の第1号廃車となった。修復完了が7月からの夏期繁忙期に間に合わない。直後に迫った、山陽本線の転用に際して高価なパーラーカーを復旧または代車を新製することへの疑問。当時の田町区は12両編成12本と中間車7両が配置されていたが、使用11本であった上に事故直前から、東海道新幹線の開業後の九州乗入れ改造が既に開始されていたこともあり、予備車が確保できず事実上の予備編成なしの深刻な車両不足状態となってしまったという。151系 は、157系 と混結をしていた。東海道新幹線の開業後は、151系 は、山陽、九州方面の特急、上越方面の特急として活躍した。保存車両について、151系 の1両( クハ181-1( クハ26001→クハ151-1 ) )は川崎重工業車両カンパニーにて保存、もう1両( クハ181-45 )は鉄道博物館にて保存している。このほか、2006年(平成18年)に閉館した交通博物館、2014年(平成24年)に閉館した交通科学博物館にはそれぞれ以下のクハ151のモックアップが展示されていた。サシ151形の車体および内装を模した「 こだま食堂 」 交通博物館。1962年(昭和37年)に大井工場で製造されたカットボディという趣向で、塗装・「 こだま 」のサボ・実車と同じ冷房吹出口などを使用。閉館日まで営業していた。

信越本線の横川~軽井沢間( 横軽 )廃止から22年。

1997年(平成9年)9月30日、信越本線の横川~軽井沢間( 横軽 )が廃止されて22年になります。横軽は、横川~軽井沢間の区間を横川、軽井沢の地名の最初の一文字を付けた名称であり、鉄道ファンからは横軽と呼ばれています。同年10月1日、長野新幹線 ( 現 北陸新幹線 ) 高崎~長野間が開業され、信越本線の軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道に移管された。横川~軽井沢間は急勾配の坂になっており、電気機関車 ( EF63形 2両 )を横川寄りに連結され、下り( 長野方面 )は、電気機関車 ( EF63形 2両 )を後ろに連結され、電車を前に連結され( 電気機関車 ( EF62形 )連結の客車、貨物列車については、先頭に、電気機関車 ( EF62形 )、真ん中に客車、貨物列車。後ろに、電気機関車 ( EF63形 2両 )の順である。)、走らせていた。上り( 高崎方面 )は、電気機関車 ( EF63形 2両 )を前に連結され、電車は後ろ( 電気機関車 ( EF62形 )連結の客車、貨物列車については、先頭に、電気機関車 ( EF63形 2両 )、真ん中に、電気機関車 ( EF62形 )、後ろに客車、貨物列車の順である。)で連結して走らせていた。尚、183系 や、485系 特急型車両や、165系 急行型列車は、横軽区間の対応の為、車両番号には横軽の対応を表す為、●マーク( Gマーク )がついており、車両形式の1の位には9が付き、189系 や、489系 などの特急型車両、169系 急行型車両など、普通の車両と横軽区間の対応による車両と分けている。1963年(昭和38年)以前は、アプト式を採用していた。アプト式は大井川鐵道や、黒部峡谷鉄道で採用している。スイッチバックがあったが横軽廃止以前に廃止されている。横軽廃止後は車体が小さいトロッコ列車が廃線の線路を活用している。電気機関車 ( EF63形 ) の運転体験が出来るがこれは有料である。

京都市電廃止から41年。

京都市電の廃止から41年が経ちます。京都市電は1895年(明治28年)2月1日に京都電気鉄道によって日本最初の一般営業用電気鉄道として開業され、1912年(明治45年、大正元年)の市営路線開設、1918年(大正7年)の全面市営化を経た後、1978年(昭和53年)9月30日限りで全廃された。廃止後の車両は、広島電鉄や、伊予鉄道に譲渡された他、解体された車両もあった。京都市電は京都市内の街並みを東西南北に結んでいた。京都市電の平面交差は、京阪本線との平面交差について、稲荷線の区間は1970年(昭和45年)4月1日に廃止された。京阪本線の地上時代の七条駅と四条駅にも、京阪本線と京都市電の平面交差があったが、1978年(昭和53年)9月30日を以て廃止された。京阪本線の電圧が600vであった理由は京都市電( 600v )との平面交差により、架線の絶縁に莫大な金がかかる事から地下化工事を進めてきた一方、京都市電が廃止される事になった為、電圧の工事を進めた結果、地上時代の1983年(昭和58年)に600vから1500vに電圧が昇圧された。他には、京福電気鉄道嵐山線( 嵐電 )、国鉄山陰本線、京福電気鉄道叡山線( 現、叡山電鉄叡山本線 )にも京都市電の平面交差があった。廃止の1年前である1977年(昭和52年)10月1日、河原町線 七条河原町~洛北高校前、七条線 七条河原町~西大路七条、烏丸線 京都駅前~七条烏丸を廃止し、市営バスに転換され、九条車庫廃止。廃止日の1978年(昭和53年)10月1日 河原町線 京都駅前~七条河原町、七条線 七条河原町 ~東山七条、東山線 東福寺~高野、北大路線 高野~千本北大路、西大路線 千本北大路~西大路九条、九条線 西大路九条~東福寺を廃止し、市営バスに転換された。烏丸車庫が廃止され、京都市電全線廃止された。京都市電廃止後は、京都市営バスの路線に移管され、2年半以上( 実際には2年8ヶ月位。)が経過した1981年(昭和56年)には、京都市営地下鉄烏丸線の京都~北大路間が開業された。その後も延伸工事が進められ、1988年(昭和63年)6月11日には京都~竹田間が開業。1997年(平成9年)6月3日には北山~国際会館間が開業し全線開通した。また、1997年(平成9年)10月12日には京都市営地下鉄東西線の醍醐~二条間が開業。京阪京津線が乗り入れるようになった。京阪京津線の京津三条~御陵間は廃止された。その後も2004年(平成16年)11月26日には六地蔵~醍醐間が延伸開業。2008年(平成20年)1月16日には二条~太秦天神川間が延伸開業された。

パナソニックの一本化に伴う、松下電器産業、ナショナルの廃止から11年。

2019年(令和元年)9月30日(月)、松下電器産業、ナショナルの廃止から11年を迎えます。松下電器産業、ナショナル( 現在の パナソニック )は創業者の松下幸之助氏( 経営の神様 )が電球ソケット( 当時、電球を付けるには電線を引かなければならず、危険な作業であった。)を開発したのが発端。松下幸之助氏( 経営の神様 )は当時、大阪市に導入された路面電車を見て感動し、電気に関わる仕事を志し、16歳で大阪電灯( 現 関西電力 )に入社し、7年間勤務する。前述に話した当時の電球は自宅に直接電線を引く方式で、電球の取り外しも専門知識が必要な危険な作業であった為、簡単に電球を取り外す事が出来る電球ソケットを在職中に考案する。1913年(大正2年)に18歳で関西商工学校夜間部予科に入学した。1917年(大正6年)、大阪電灯を依願退職した。 

パナソニック( 旧 松下電器産業、ナショナル )の歴史について。

1918年(大正7年)3月7日 大阪市北区西野田大開町( 現 大阪市福島区大開2丁目 )に移転。松下電気器具製作所を創立する。

1927年(昭和2年) 自転車用角型ランプを販売。この商品から、ナショナル ( NATIONAL )の商標を使用し始める。

1935年(昭和10年)12月 松下電器産業( 現 パナソニック )株式会社に社名変更。

1937年(昭和12年) ナショナル のロゴ書体を ナショ文字 に制定。( 1987年(昭和62年)に使用中止。)

1955年(昭和30年) Pana Sonic ブランドが輸出用のスピーカーに最初に使用。

1971年(昭和46年) PANASONIC ロゴを、Panasonic へ変更。

1973年(昭和48年) NATIONAL ロゴを、National へ変更。 

1986年(昭和61年) パナソニック( Panasonic )ブランドを国内でも単独で使用開始される。

1988年(昭和63年) テレビ、ビデオデッキ、CDラジカセ、ミニコンポなどのAV家電部門が、National ブランドから Panasonic ブランドへ移行する。

1989年(平成元年)4月27日 松下電器産業( 現在のパナソニック )の創業者である松下幸之助氏( 経営の神様 ) ( 1894年(明治27年)11月27日~1989年(平成元年)4月27日 )が死去。享年94歳。

2008年(平成20年)9月30日 この日を以て、松下電器産業と、パナソニックとグループを組んでいたナショナルが廃止された。( 翌日の同年10月1日からパナソニックに一本化される為。)

2008年(平成20年)10月1日 松下電器産業から、パナソニック株式会社に一本化された。( 前日の同年9月30日を以て、松下電器産業と、パナソニックとグループを組んでいたナショナルが廃止された。) 白物家電のナショナルは全てパナソニックに引き継がれた。

2018年(平成30年)3月7日 パナソニック( 旧 松下電器産業、ナショナル )の創立100周年( 1918年(大正7年)3月7日、松下電気器具製作所 を、松下幸之助氏( 経営の神様 )によって設立された。)を迎えた。

パナソニックは鉄道にも深く関係があり、2014年(平成26年)11月、秋田県大館市にて、2009年(平成21年)に廃線になった旧小坂鉄道小坂線内約8.5kmの区間にてエボルタ電気鉄道と題し、単1形乾電池エボルタ( 99本 )を動力源にした車両を小雨の中を走り見事チャレンジを達成した。2015年(平成27年)11月3日に行われた、埼玉県立川越工業高等学校で作った電車をパナソニックの乾電池エボルタで走るという大会を秋田県の由利高原鉄道で走らせてギネス世界記録に認定。2014年(平成26年)7月には、プラレール( タカラトミー )と、パナソニックの乾電池エボルタ、JR西日本とコラボした、新幹線の車内で遊ぶ事が出来るプラレールカーを、500系 こだま号の車内で提供。 2013年(平成25年)12月には、2014年(平成26年)に閉校となる都内の滝野川第七小学校の校舎でたった1本の乾電池エボルタを動力源にしたプラレールの5.6km長距離走行に挑戦した。使用した車両は、E6系 スーパーこまち( 現 こまち )の車両である。使われなくなったプラレールのレールは東日本大震災の東北の子供達に寄贈された。空気清浄機のナノイーは、JR東日本、山手線の新型車両、E235系 や、JR東日本、キハ110系 おいこっと、JR九州の豪華列車、ななつ星in九州、京阪 8000系 プレミアムカー、2代目京王 5000系 京王ライナー、相鉄 20000系 などの車両に取り付けている。

パナソニック( 旧 松下電器産業、ナショナル )は、2008年(平成20年)10月1日からパナソニックに一本化され、同年9月30日までは、松下電器産業、ナショナルが存在した。パナソニックは一本化の前からナショナルと一緒に存在した松下電器産業のグループである。パナソニックは今年( 2018年(平成30年) )の3月7日に創立100周年( パナソニック( 旧 松下電器産業、ナショナル )の前身である1918年(大正7年)3月7日、松下電気器具製作所 を、松下幸之助氏( 経営の神様 )によって設立された。)を迎えた。余談ではあるが京阪と、パナソニック( 旧 松下電器産業、ナショナル )との関係は、パナソニック( 旧 松下電器産業、ナショナル )の製品( 後述の記事に40年以上前に京阪 3000系 ( 初代 )のテレビカーに搭載したナショナル( 現在はパナソニックに一本化されたため、2008年(平成20年)10月1日からパナソニックの一本化に伴い、前日の同年9月30日に松下電器産業、ナショナルとともに消滅した。)のテレビ用の磁気シールドの発注も含む。)を京阪の車両に搭載されるなどの取引協力に関係しているという事になる。京阪本線沿線には、西三荘駅や、門真市駅に、パナソニックの工場や本社( 本社は、京阪本線西三荘駅。)がある。下記の京阪 3000系 電車( 初代 )のWikipediaによれば

制御車である3500型の運転台(京都)寄り貫通路上部に20インチカラー受像器が内蔵された。

これは京阪特急で初のカラーテレビであるが、高電圧の架線直下を走行するため磁界の干渉が大きく、通常品では色ずれが発生しやすいため、磁気シールドを強化した特注の専用品を沿線(大阪府門真市)の松下電器(現・パナソニック)が製造して納入している。ただし画面下部の「ナショナル」の英文ロゴ(ナショ文字書体のもの)は1974年以降の「National」ではなく、それ以前のオール大文字「NATIONAL」であった。

ソース 京阪 3000系 電車( 初代 ) を引用。

と書いてある。

尚、パナソニック( 旧 松下電器産業、ナショナル )は鉄道に深く関係があり、ナノイーを鉄道車両の車内に設置したり、高校生が製作した電車を乾電池エボルタによる走行実験したり、新幹線の車内にプラレール( 車両は乾電池エボルタが使用された。)と、乾電池エボルタとコラボした遊び場や、閉校となる小学校で使用した乾電池エボルタでプラレールを走らせるイベントなど、パナソニック( 旧 松下電器産業、ナショナル )は鉄道に深く関係があるという事から、鉄道の記事である事を判断し、掲載させていただきました。

20年前の1999年(平成11年)9月30日に発生した 東海村JCO臨界事故 では、JR東日本 常磐線水戸~日立間、水郡線水戸~常陸大子・常陸太田間の運転見合わせた。