あけました。
2019年です。あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
去年は、多分今までで一番自分自身と向き合った年だったように思います。
カウンセリングで自分自身の気持ちを整理したり、絵を描きながらあれこれ考えて悩んだり。
反省点は、それらをあんまり覚えていないことですね。悩みはすれども過ぎてしまえば忘れてしまい、また同じことで悩んでは忘れ、を繰り返してしまっている気がしてならないのです。
なので今年は、きちんと一つひとつ自分の中で消化できるようになれたらなと思っています。
去年の上半期は、カウンセリングと心療内科に通うだけで終わりました。
下半期の10月あたりだったかと記憶してるんですが、初めて市役所のパーソナルサポートセンターに行って、改めて自分はどういう人間なのか、何で人生躓いているのか、というのを振り返りました。そして就労準備講習というプログラムに初めて参加して、引きこもり生活から抜け出せる事ができました。
あんなに孤独感が強かったのに、今では相談できる人達がいてくださることが心強くて支えられています。
そしてそれ以外でも人との関わりが増えました。
きっかけは「ツイキャス」というものを始めたからです。
私はキャスをやる方ではなく見る方が多いんですが、そうしているうちに仲良くしてくださる方が数名できました。よかったです。
本当に稀にですが配信したりもしてるので、気になる方はぜひお声掛けください。
ツイッターの方でもフォロワーさんにたくさん支えられました。
絵に対する姿勢や考え方がガチゴチに固まってしまっている私を揉み解そうとしてくれたり。
嬉しかったなぁ。それに応えられる年にしたい。
そして、一番大きく変わったのが、私のソウルメイトです。
彼女は私が小学5年ぐらいからの付き合いなんですよ。
本当にいろんなことがあって、傷つけ傷つけられ、それでも支え合って長い時間を共に過ごしてきました。
ここ数年は連絡をとる回数がかなり減ってしまっていたのですが、今年思いきって壁を取り壊したら彼女は私を受け入れてくれて。
また連絡を取るようになれたのがとっても嬉しかったです。
最近は彼女が忙しいようで連絡とれていないのが寂しいんですが…我慢がまん。
会いにも来てくれて、本当に彼女には感謝しかないです。
それから、エムブロで出会ってLINE交換を始めた方もいました。
とってもとっても嬉しいです。私は連絡不精なのであまりマメにはやりとり出来ていないのですが、それでも彼女の優しさは心に沁みました。気にかけていてくれてありがとう。今年もどうぞよろしくね。
そしてそして。
11月頃から全く絵を描かなくなっていたのですが、今年に入って少しずつ描くようになってきました。
まだ机に向かえる時間は短いんですが、何にも描いてなかった頃よりずっとマシです。
私にはやっぱり絵が必要なんだろうか。悩みます。
でもとりあえず描く。そして描ける時間を少しずつでも増やしていく。
『描く』という行為に対してそんなに気負わなくても、軽い気持ちで取り組めるようになる。
今年の抱負です。
少しずつですが描けるようになってきましたよ。
さて。今年はどんな年になるんでしょうか。
充実した年になるといいなぁ。
カウンセリングのこと
パーソナルサポートセンターの方に「心療内科の先生に会話1〜2分しただけで『あなたに吃音はないように思えますが』って言われたことがもう無理」っていう話をしたんです。
だけど正直な話心療内科の先生はどこも似たような感じだから、どちらかというと心理士の先生を変えてみようか、ということになりました。
私が通っているカウンセリングは、大学の心理相談室なので大学院生の方も一緒に話を聞くんですね。
それで今私のカウンセリングは院生の方がメインで心理士の先生はサブみたいな感じなのだけど、申し訳ないけどやっぱり物足りなくて話を聞いてもらえてるという実感が少ない。心理士の先生はこの頃うたた寝してることが多いしさ。
なので今通っている機関専属の心理士さんと少しお話してみることになりました。来週あたりに。それで合いそうなら面談に持っていこうっていう感じ。
はぁー。緊張する。
何を話せばいいか分からないし。これで相性合わなかったらどうしよう。
先生の話を受け止めることが出来るのかっていうのもあるし。
でも、とっても有り難い申し出だから上手くいくといいな。
私は推しについて語れない。(2018/03/19)
肩身の狭いオタクだよ。二次創作も出来ないんだから尚更よ。
オタクってさ、好きな作品について言葉を尽くして語ったり考察してたりするイメージを持った人多いと思うんだけど、私は推しについて語れない。しんどい。
Twitterやブログで熱く語っている人を見かけると、正直羨ましくて仕方がない。自分の力で考えを巡らせてそれを言語化するって超凄いわ。その思考力と文章力って一体どうやったら手に入る?
それなりに本は読んできたつもりだし、二次創作の小説だってめちゃくちゃ読んできた。
でも、自分で何かを考えて形にするっていう行為は、ただ文章を読むのとはわけが違うんだよな。今更ながらそれを痛感している。Twitterを始めたり自分で小説書いたりするようになって特に思う。
たとえ二次創作が出来なくても、推しについて熱く語る人はいる。そういう人を見てると作品に興味がわいたりもするし、そうならなくてもその人自身に興味がわくことだってある。
ふぁぼや「分かりますーほんまそれ!」みたいな言葉も貰えたりするんだと思う。分からんけど。
だけども推しについて語れもしないオタクって、存在する意味はあるのか?って感じてしまうんだよ。
自分自身に対して強くそう感じる。私は果たして存在する意味はあるのか?オタクと自称していいのか?
少し前にTwitterで「オタクなら長文で推しを語れ」的なタイトルの記事を見かけたけど読まなかった。きっと読んだら精神が死んでしまう。
10代の頃は溢れ出る妄想が止まらなくてブログやTwitterに吐き出さないと落ち着かなかった。今でもその頃の書き込みを見ると楽しそうなんだよな。推しについて語る人って楽しそうなんだよ。
今は本当にゴミクズみたいなことしか出てこない。推しについて話せと言われたら「尊い」とかそういうありきたりな"単語"しか出てこないんだ。
しんどい。超しんどい。
私だって仙道彰について考えたい。彼の一日を妄想したいし「仙道彰について」ってプレゼンしてみてーわ。
桜木花道についての考察だってしたい。「あいつは本当にすげー奴なんだ…」って熱く熱く語りたい。
でも言葉が出てこない。文章を紡げない。
もどかしい。歯がゆい。恥ずかしい。苦しい。しんどい。
こんな、こんな状況を本当に胸張って「この作品が好きです」だなんて言えるのか?
オタクは語らなければいけないのか?原作の細かい部分まで汲み取って考察しなければいけないのか?
私は彼らのことが本当に好きなのか?愛してると言えるのか?
「オタク」って何だ?一体何なんだよ?
「考察"しなければいけない"」とか考えてる時点でオタクに不向きなのかもしれない。
考察って好きでやるものだよな。その作品について理解を深めたくて自らするものなんだ。自然と勝手にやっちまうもんなんだよオタクって。深読みってやつ?
それを「しなければいけない」って考えてる時点で私はもう手遅れなのかもしれない。
見向きもされやしないんだ、こんな人間は。
無理矢理絞り出した妄想なんて面白いわけないだろ。
ただ「尊い」「マジやばい」みたいな単語だけで推しの魅力が伝わるわけないだろ。そんな奴をTwitterやブログでフォローしてたってつまらないだろ。
そんなこと、私だって分かっている。だからこんなにも焦って焦って苦しいんだよ。
語れなければ存在してはいけないのか?
二次創作が出来なければ存在してはいけないのか?
何なんだこの感情は。
誰か助けてくれ。
私は、私はまだ推しのことを、スラムダンクのことを好きでいたい。
好きでいたいんだよ。
「しなければいけない」だなんて、思いたくないよ…。
私は推しについて語ることができない。
「好き」とは。
「好き」だったはずのものが「好きでなければ」に変わる瞬間って何なのだろう。
自分自身が気づかないうちに、じわじわと変わっていってしまうものなんだろうか。
私は今、SDのことを自信を持って「好きです」と言えなくなってしまった。
絵も描かなくなってもう1ヶ月経つんじゃないかな。
あれだけ描かなくなることを恐れて焦燥感にかられていたのに、いつしか絵を描かない生活に慣れてしまっている。
SDを手に取る回数も減った。内容もすっかり記憶から抜け落ちている。
花道はどうだったかとか、流川はどんな性格かとか、そういうのもう全く忘れちゃってるんですよ。
そのことに気がついた時から、妙な焦りが出始めてます。「好きでなければ」みたいな。
でもこんな義務感のある「好き」なんて本当に「好き」と言えるのか?っていう疑問がわいてきてしまって。
何だかなぁ。何だろなぁ。
無事に4泊5日を過ごせた友人のことも、私はどう思っているんだろうと改めて考えた時に、「どういう意味で私は彼女のことが"好き"なんだろう」っていうところにぶち当たったんですよね。
それからずっと考えているんです。考えてるけど、答えを出すのが怖い。
好きって難しいなぁ。