僕たちの村が滅んだ日

Public 3600
2016-01-29 10:57:07

短編

僕たちの村が滅んだ日



僕たちは彼女と言葉を交わすことも禁じられていた。
それは古くからある村の掟ゆえ。



僕の村では十年に一度、一人の少女をある場所まで護衛するというならわしがあった。
村で一番の娘、そう彼女は呼ばれていたけれど、本当に彼女は美しかった。日焼けなど知らぬ雪のように白い肌、ほんのり桜色に色付く艶のある唇、背中まで届く生糸のように滑らかな亜麻色の髪は風に揺れて仄かに甘い香りを放つ。そして長い睫に縁取られた伏し目がちの碧の瞳にはどこか憂いが浮かんでおり、それがまた彼女の儚さを強調していた。
齢十六という彼女は今日、村を旅立つ。
この日まで村の外れにある塔で大事に育てられた彼女を護衛するのは数名の屈強な男たちと村のこれからをいずれ担っていくことになる若者。つまり僕だ。
本来であれば今後しきたりを受け継いでいくために若者も数名含まれるはずなのだが、生憎と今回は適齢の者が僕以外におらず、僕が村の若者代表として護衛隊に加わることとなった。
「ニエ様、お足下にお気を付け下さい。皆の衆、ニエ様をよろしく頼んだぞ」
彼女はニエ様と言った。村の長が真剣な眼差しで護衛隊長に挨拶をする。隊長とは言っても普段は村の大工だ。それ以外にも農夫や鍛冶屋、様々な職の壮年の男たちが護衛の任に就いている。
僕は少女が乗った馬の手綱を引く係だった。ちらりと見上げた彼女の顔は、上質な布でできたマントにより隠れて見えなくなってしまっていて残念だったが、それでもこんな美しい子を護衛できるなんて光栄なことだと気合いを入れる。
そして僕たちは村を旅立ったのだった。


霧深い森の中を行く。定期的に休憩は取るけれど、誰一人としてニエ様に声を掛けるものはいない。休憩の合図も仲間内に知らせるものであって、それを聞いてニエ様も行動する、という状態だ。理由はそう、掟だからだ。

ニエ様に触れてはいけない。
ニエ様と言葉を交わしてはいけない。

歴代の少女たちも同じだったという。護衛の男たちは、自分たちが連れている少女に触れないように、声を掛けないように、それでいて少女に万が一のことがないよう守りながら先を急ぐのだ。
夜になり、僕たちはニエ様のための天幕を張り、自分たちは焚き火を囲んで夜を明かすことにした。目的地までは歩いて二日ほどの距離。一晩寝ずとも問題はないだろう。僕はそんなことを考えていたが、彼らが一睡もしなかったのには別の理由があったらしい。らしい、というのは今となっては確かめようがなく、推測の域を出ないからだ。
朝になり、物音で目を覚ました様子のニエ様が馬に乗るのを待ち、僕らは再び荷をまとめて短い旅を再開する。
ニエ様の様子は昨日と変わらない。相変わらず顔はマントで隠れていて、表情は窺い知れない。こんなことなら村を出る前にもっとよく見ておけば良かった、などと内心溜め息を吐いていると、先頭が突如歩みを止めた。思わず馬と共にたたらを踏む。
「隊長?」
「シッ、静かに……微かにだが遠くの方からオオカミの遠吠えが聞こえる。皆用心しろ」
霧深い森を抜け、山道に入ったところであった。一行は周囲の気配に注意しながら慎重に前へ進む。その時だった。すぐそばの茂みがガサガサッと音を立てて揺れ、次の瞬間、オオカミが襲いかかってきたのだ。
「ニエ様を守れッ!」
隊長の怒声にハッと我に返り、腰の剣を抜く。実戦は初めてだが、村ではそれなりに訓練を積んできた。今この瞬間こそ、その成果を発揮する時だ。
ニエ様目がけて飛びかかってきたオオカミを薙ぎ払い、そのまま頭に剣を刺す。他のオオカミも同じように始末されたところであった。剣先に付いた血液を払い、鞘に戻していると上から細い声が降ってきた。
「あの……ありがとうございます」
今の声は、と振り返るとマントの下から覗く不安げな碧の瞳とかち合う。「あ……」と声を出しかけたところで踏みとどまった。

ニエ様と言葉を交わしてはいけない。

危ういところだったが、すぐさま口をつぐみ、頭を下げるにとどめる。掟を破ってしまうところだった。実際、この掟にどういう意味があるのか僕は知らない。知らないが、それでも大の大人たちが揃って守っていることなのだからそれなりに深い意味があるのだろう。
ちらりと少女の様子を窺う。心なしか頭がさっきより下がり、項垂れているようにも見えた。


旅の終着点は山の中腹にある入口から進入できる洞窟であった。
ニエ様に馬から降りてもらい、徒歩で奥に進む。純白のドレスは足元がやや土で汚れてしまっているが、その裾から覗く白く細い足首は綺麗なままだった。今思えば上質な絹のドレスも、頭まですっぽりと覆うマントも、美しい彼女の純潔さを強調するものに他ならず、その時点で僕は気付くべきだったのだ。この地に彼女を送り届ける理由に。
洞窟の最奥、大広間に到着すると僕たちを待ち受けていたのは巨大なドラゴンだった。ドラゴンなんて絶滅したと思っていたのに、まだこんなところで生きていたなんて。
呆気に取られていると、ドラゴンは瞼を開け、金色の瞳を爛々と輝かせながら僕たち一向の方へ頭をもたげた。光沢のある黒い鱗を持つドラゴンは大きく欠伸をして口を開く。
『なんだ……もう十年経ったのか』
――我らに恵みをもたらす漆黒のドラゴンよ、約束の品です。どうぞお納め下さいませ」
隊長が片膝を立て、頭を垂れながら口上を述べる。その手で指し示されたのはニエ様だ。
ニエ様が……約束の品? 僕は他の仲間たちと共に地に頭を付けながら今までのことを思い返していた。塔で外界との接触を断たれて育てられた少女。白く透き通るような肌、美しいなめらかな髪、艶のある唇、そして細く小さな、それでいて聴く者を魅了する声。十六歳のうら若い清らかな少女を連れてきた訳――生贄だ。
「生贄のニエ……様」
口の中で呟いた瞬間、ふつふつと怒りが湧いてきた。自分たちの豊かな生活がこれまで数々の少女たちの生贄の上に成り立っていたこと。生贄にされるために育てられる少女の存在を村の若者たちには知らされていなかったこと。そして何よりそんなしきたりに自分が無知ゆえに加わってしまったことが許せなかった。僕はいけないと知りつつ、頭を上げ、剣に手を掛けた。


ドラゴンの視界の端で若者が動いた。また愚かな者が紛れ込んでいたか、とドラゴンは思考する。十年ごとに行われるこの献上の儀には、村人たちからの献上品とそれを護衛する人間の男どもが同行して来るが、大抵年の若い者に一人か二人、愚か者が混じっていることがある。
『そこな若者、貴様の行動がどう影響するか分かっていような?』
忠告はしてやるが、それでも聞き分けない場合は容赦しない。それがドラゴンの流儀だ。だが今年の若者は聞き分けがない者のようだった。スッと立ち上がり、剣を抜く。
「ハル!」
護衛の人間どもが慌てて諌めるが、効果はない。隊長格の男が立ち上がり、若者に剣を向ける。
「お前一人の行動によって村が滅んでも良いのか!」
「構わない、それでニエ様が助かるのなら」
なんとまあ肝の据わった若者よ、とドラゴンは感嘆する。だがそれはそれ、これはこれだ。ニエが捧げられぬのならば大人しくしてやる義理はない。
『人間どもよ、ニエを捧げるか否か、今この場ではっきりと決せ』
――捧げないッ!」
答えたのは若者。なんと手にした剣で自分よりも頑強な男を斬り殺した。周囲にいた男たちも立ち上がり剣を向けるが、どうしたことか太刀打ちできずに皆斬り倒されていく。残ったのは若者と、恐怖に慄くニエの少女の二人のみ。
「ニエ様は……渡さない」
血走った目には狂気が宿る。行き過ぎた正義感は諸刃の剣か。
若者の剣はドラゴンに向けられた。血で汚れた剣にはドラゴンを倒すという意思が見える。だが。
『そのような物は我の前では無意味よ……笑止』
一瞬にして深く吸われた息は腹の中で熱を持ち、赤い火の玉となって吐き出された。不意を突かれた若者は逃げ遅れ、瞬く間に炎に包まれる。断末魔の悲鳴など上げる暇もなく灰となった。ドラゴンは視線を動かし、すっかり腰を抜かした少女を見遣る。
『ニエの娘、貴様ももはや無用だ。去ね』
ドラゴンが再び息を吸い込むと、少女は慌てた様子で手足をばたつかせて立ち上がり、大広間から走り去った。そうして残されたのはドラゴンと、男たちの死体と、数分前まで人型であった者の灰。
ニエと引き換えに村に繁栄をもたらす契約は破棄された。今やドラゴンは自由となり、その翼と吐き出す火の玉をもって暴れ回ることが許されたのだ。
数百年ぶりとなる自由にドラゴンの目は愉しげに細められた。
――まずは我を契約により縛り付けた輩の元へ礼参りに行くとしよう』





END


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