あ、と天狗は間抜けな声をあげる。水月は以前、病床に臥せっていた嵐のために、方々から「春」を借りてきたことがあった。山にはいない、人里で草木の代わりに季節を呼ぶ役割を持つ者たちがこの辺りには確かに存在する。そんな者たちとの繋がりがあるのだから、季節の流れを追うことぐらい水月には容易いことだったのだ。どこを通り、どこで滞るかも彼女にはすぐにわかるはずである。
「そうか……その手があったか」
「お前のように何の苦労もなく、季節を追えるのなら楽なのですけどね」
「嫌味かよ」
「いいえ。さすがは大自然の寵児と申し上げているのです」
「最初の質問は?」
「わたくしがどうしてここを知っているのかということですか?」
「そうだよ」
 天狗は腕組みをした。
「忘れ去られた場所が存在するには、誰からも忘れられなきゃいけないはずだ。どうしてお前が知ってるんだよ。お前が知っていたら、忘れ去られたことにはならないだろう」
「それは、わたくしがここを本当に忘れていたからですよ」
「……お前、おれをからかってんの」
「いえいえ」
 水月はくすくすと笑った。
「本当です。お前の言う通り、ここは忘れられなければ存在出来ません。だから出会えるのも稀、入り込むことが出来れば奇跡のようなものです。わたくしもここへ入るのはどれくらいぶりになるのか……狐々殿に言われてようやく思い出したぐらいですから」
「あいつが?」
「あいつとは無礼な物言いだな、天狗」
 唐突に参加した声に、天狗も水月も顔をあげる。そこでは狐々が籠を下げて仁王立ちになっていた。
 天狗も思わず立ち上がり、狐々を見下ろす。身長差では天狗の方が優っていた。
「悪かったね、狐々どの」
「勝手についてきておいて何たる態度か!」
「ふらふら歩いて人間に捕まりそうになってたくせに」
「見ていたなら助けろ!」
「これ、二人とも。おやめなさい」
 ただ一人座したままの水月が鋭い声を発する。二人は思いの外鋭く切り込まれた声音に肩をすくめ、口を閉じた。お互いに謝るでもなく、水月の手前で再び舌戦を繰り広げる気にもなれないようで、水月は溜息をついて天狗に向かって話しかける。
「狐々殿は姫君のためにこちらを探しておいでだったんですよ」
 天狗にも印象の良い第三者の名前が出たところで、天狗はその態度を軟化させた。まともに対面したことはないが、嵐や明良についた気配などからは穏やかなものしか感じられない。そして天狗はそれが嫌いではなかった。
 そんな変化が見て取れたのか、狐々もくってかかるようだった姿勢を正す。

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