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I'm a soldier 後編  
※書いては消し書いては消し。
※まったく進まないマジックにかかったので、色々見切りました。
※ギリギリギリ。そんな後編。




爆発が通り過ぎた後も、遺跡は健在だった。長い間水の中に沈んでいたはずだが、劣化の様子もないだけあって何らかの加工がしてあるのだろう。
天井や壁に穴が開いてしまって、そこから水が入って来る…なんてことにはならずにすんだ。レイヴンはそれを思って、息を吐いてから体を起こす。
体は重く痛むが、ぎしぎしいいながらも動いてくれた。視線を巡らせれば、自分と同じように床に転がっているイエガーの姿が見える。
自分とは違って彼の傍らには二人の少女が座り込んで、その様子を伺っているようだった。それを見れば、少し笑ってしまう。

「…レイヴン。」

小さくやや掠れた声で呼ばれて、レイヴンは立ち上がった。イエガーは薄く目を開いていて、何ともつかない複雑な顔をしている。
心臓魔導器の力を解放し、ぶつけあう直前にレイヴンは叫んだのだ。救児院もあの二人も保護してある、と。それを表すようにゴーシュとドロワットはやってきた。
その事に気がそれたイエガーに対し、発動は遅れながらもレイヴンのブラストハートはせり勝ったのである。
衝撃と衝撃がぶつかりあい、爆発音を立てて弾けて二人とも投げ出され床に叩き付けられたが、なんとかお互い死なずにすんだらしかった。
言葉のとおりに、イエガーは手加減をしてくれていたのかもしれない。そんな甘い男だったかなと、思わなくもなかったが。

「イエガー、なんだ、喋れるのか。」
「コンディションはグッドとは言えませんが。」

体を起こそうとするのを、ドロワットが肩を掴んで止めているのが目にはいった。少女の眉を寄せた顔と、男のばつの悪そうな様子にざまぁ、なんてレイヴンは笑う。
その笑いを見咎めるようにゴーシュがレイヴンを睨んだ。

「…救児院のことは」
「礼とか言ったらおっさん帰るよ、シャイだから。」

手をひらりと振って、言葉を搾り出そうとする様子をとどめる。そう、レイヴンはトリム港で救児院に対する手を打っておいた。
ゴーシュとドロワットの二人だけであれば、何かがあっても打つ手はあるだろう。彼女らは強い。だがあの施設とそこにいる子供達はそうはいかない。
盾に取るとすれば、自分ならばそこだと考えた。言葉だけのブラフであれおそらく効果があるだろうが、アレクセイは実際に見張りをつけているようだった。
幸福の市場に伝言を頼んで、ヘリオードに待機しているシュヴァーン隊の騎士やら、ダングレストの天を射る矢にその件について動くように要請した。
やれ自分はまた、自分自身を都合のいいように扱っているなと思いはしたが、目的を果たすために最短ならそれも仕方ない。
見張りが海凶の爪だったことは好都合だった、彼らを打ち倒してから二人の少女への伝言を頼んだ。イエガーへも伝わるかと思ったが、まあ時間がなかっただろう。
メアリー社長に多大な借りを作ってしまったことが、今は気がかりではあったが。
とりあえず、イエガーはそこで倒れてぼんやりしているだけだし、少女は二人とも無事だ。

「…余計なインターフェリングを、してくれましたね。」
「お前さんにゃここで死んでもらうわけには、いかなかったからな。」

剣を拾おうかと思ってやめる。どうせ鞘もないのだから、と変形弓に手をかけた。倒れているイエガーに向けて構えれば、やけに静かな目で見返される。
しばらくそうしていて、指は結局のところ矢を弾くことはなく下ろされた。弦に軽く引っかかって、ビインと僅かな音だけ立てる。

「ドンをはめたことは許せない、後始末も頼まれた。…だがここで死んで楽にさせるのは、やったことに対して荷が軽すぎる。」
「それを本気で言ってますか、シュヴァーン?」
「死に損ないとして、本気だよ。」

弓は畳まれて、外套の中へ仕舞いこまれた。もう放たれる気配がないことに、イエガーが長いため息をつく。その意味は誰にもはかりかねた。
それを見届ければ、レイヴンは歩き出す。もうしばらくすれば青年たちが来るだろう。その前にはここを離れなければいけなかった。
イエガーが支えられながらも体を起こし、肩に掴んだままだった武器をかける。レイヴンの背中を見れば、それは実に頼りなさげに見えた。
心臓という鎖はあれども、もはやほとんど自由の身も同然なのだ。何故今になってもこんなことをしているのだろう、イエガーは要領のいい方なので、レイヴンやデュークのような要領の悪い人間の思考は時々理解に苦しむ。そういうことにしておいていた。
本当はわかっている。手を伸ばさずにいられないものが、いまだ目の前にあるからだ。完全に捨てておいて、目をそらしても構わないのに。
忘れてしまってもいいのに…忘れることができない、己を律し続けるものがあるからだ。
約束であるとか、遺言であるとか、それに

「孤独に歩め。」

イエガーがぽつ、と漏らしたらしくない言葉を聞いてレイヴンは振り返る。そこには、地面に座り込んで肩に武器をかけたままの相手がいた。
面白がってでもいるようなその表情は、どこか晴れ晴れとしているようにも見える。傍にいる二人の少女は、そんな自分の主人を見て首を捻っていた。
無理もない、とその様子に思ってレイヴンはそこから先を繋げないイエガーに焦れて体を完全に向ける。

「それは呪いか何かか。」
「違いますよ、せっかちですね。」

手が振られた。いつから彼は手袋などするようになったのだったか、手の汚れを気にしてか、実用か。銃は独特の臭いが体に染みる…主に、その手に。
レイヴンが流石に睨むのに、イエガーは傷を負いながらも一人で立っている男を見てまた笑った。
どうしてあの若者達のところに行かないのだろうか、理由は聞かずともわかる気がしたし、だが同時に聞かなくてはわからない気もする。
相手の思考を完全に読むことなどできはしないし、するつもりもなかった。それはお互い様で、理解をするつもりはないが直感で感じることだけでやっていけていた。
だからこそ今の今まで擦れ違っていたのかもしれないし、これからも交わることがないのかもしれないが。

「孤独に歩め。悪をなさず、多くを望まず。野生の気高い獣のように。」
「……どこかで聞いたな。」
「昔一緒に読んだ。お前は途中で放り出した本の中にあった。」

レイヴンがそんなことがあったかとばかりに首を捻るのに、イエガーは肩をすくめた。

「そういう風にやるつもりなのか、と思っただけですよ、シュヴァーン。」
「レイヴンだ。……そういうデュークみたいなのは向いてないさ。」

この場にはいない、だがどこかから見ていて、いつ出てきてもおかしくはないだろう男の名前をあげてからレイヴンは笑って手を振る。
あの男のように独りだけで生きていける気はしない、だが、居場所をこれから新しく作る気もなんとなくなかった。
どこへ流れ着こうとしているのかはまったく見えない―…それでも、レイヴンの前には道がある。歩き出す背中を見ながら、イエガーは一度目を閉じた。
消耗が胸を軋ませるのに抗わずに、体を床に倒しかければ二人の少女の腕が支えに回される。
彼女らの泣きそうな顔が目の前にあって、イエガーは目を閉じた。自分の傍に選んでいてくれている少女たちの頬を、慰めるように触れる。
途端に、ぽつぽつと塩からい水が降って来てしまった。




いてて、と背に手で触れながらレイヴンは少し行ったところで立ち止まる。壁に体を預けて息を吐き、それからしばらくの間動かなかった。
イエガーが最後に言ったそれは、的が外れている。少なくともレイヴンにとってはそう感じられるものだった。
自分ひとりの手で残したものの始末を少しでもつける、若い者たちの助けの一部となる、というのはエゴからの発露のはずである。
今までの人生とは別のものから逃げているとはいえ、逃亡行であることには間違いがないはずだ。
だからこれは孤独を選択しているわけではなく。
そこまで考えたところで、レイヴンは思考を中断した。懐からグミを入れた袋を取り出して口に運ぶと、体に活力が戻ってくる。
ホーリィボトルに頼ろうとしたところで、それがないことにも気付いた。

「…あの時の一本だけだったか。」

イエガーに叩き落されて割れた瓶を思い出せば、肩を落として首を横に振る。この先の侵入経路を考えなおさないといけない。
目をやった回廊の先では、親衛隊たちがばたばた動き出している。侵入者がまた現れたのだろう。
ユーリ達だろうと、思わず息をついた。そういえばイエガーに口止めはしなかったから、彼らの口から漏れるかもしれない。まあもうそれも今さらだ。
気を利かせて黙っていてくれることを祈ろう。いつだって人の三倍は気の利く男だったし。
奥を閉ざすロックと、守りの兵の数に段々進むのが困難になってきてレイヴンは通路の陰に隠れながら舌打ちをした。
ザウデの内部に設置された水を満たしたり引かせたりするトリックは、ソーサラーリングを持っていないために無視せざるをえない。
渡り廊下から飛び降りたり、よじ登ったりとそれなりに無理をしてあと一歩というところまで来たのだが。
目的は一番奥にいるだろうとすぐに知れたし、堂々と乗り込むことだって不可能ではないのだろう。手近な騎士に対して名を名乗り、案内させればよいだけだ。
アレクセイのところへ、と。
それを考えて首を振れば、レイヴンは天井を見上げてから、ふと息を吐いた。攻めるルートを変えることを決断すれば、一度遺跡の外を目指す。そろそろ内部でユーリ達と鉢合わせをしてしまいそうだというのもあった。それだけは御免である。
後ろを振り返ったところで、通路の先に緑色の髪が見えた。ドロワット、と常に二人組でいる少女の片割れの名を小さく呼ぶ。
泣き腫らしたような目を擦るのを見れば、どうもレイヴンの表情は緩んでしまっていたらしかった。それを見た彼女が笑う、ゴーシェなら睨まれたのだろうが。

「何の用だ。」
「イエガー様から、預かったものがあるむん。渡してきなさいって。」

少しだけ言葉には不本意そうな色が滲んでいて、それと同じくらいの感謝が混ざっていた。複雑な胸の内のすべては、はかりようがない。
後ろに回されていた手がレイヴンへ向けられた時、そこには白い変形弓があった。レイヴンには見覚えのある、それ。
思わず目をむいたところで、ドロワットは眉を少し寄せてからそれを名残惜しそうにしながらもレイヴンへと押し付けるように差し出した。

「ディバインキャノン。…本物か?」
「正真正銘、本物だわん。」

レイヴンの手がそれに伸びる。それはかつて戦場をともに駆けた女騎士が手にしていたものだ。彼女の一族の家宝であり、彼女が死んだ時に失われたはずの。
キャナリ、と唇だけが動いてからそれに触れる前に手を引っ込めた。ドロワットが少し意外そうな顔をしている、てっきり一も二もなく引っつかむだろうと思っていたのである。

「…何故これが?」
「それは、だってイエガー様は、キャナリ姐の想い人で…。」

ドロワットはそれを口にしたところで、途中で慌てて言葉を切った。レイヴンの顔を伺ってから視線を下にやる。数秒の沈黙があってから、レイヴンは弓に向かい再び手を伸ばした。表面を撫でて、それから手を再び引いてしまう。物に篭められた思いを汲み取るには、触れるだけではとてもではないが足りない。だがそれでわからないものは、使い続けたところでわかりようがないのかもしれなかった。そのまま、レイヴンが一歩を退く。少女と弓から離れるために。

「受け取れるかよ。」
「でも」
「いいから、とっとけってアイツに伝えておいてくれ。」

いらないとポーズをとれば、少女は弓を抱えなおした。おそらく本当は渡したくなかったのだろうと見て、レイヴンは思わず笑う。素直な娘だ、なんで汚れ仕事の手伝いなどしてるのかわからないが、イエガーを助けるためなのだろう。そしてイエガーもおそらくは…。
生きる理由があって、傍らに寄り添うものと、支えとなる想いがあって、守るべきものがあって……。
少女の隣を歩いていきながら、その頭を軽く撫でるように触れた。首をひっこめて嫌そうにするのに笑い、そのまま一人でその場を去りに。
孤独に歩めか、とレイヴンは的外れだと想っていた言葉を思い出した。確かその前に、つれあいが得られないという状況指定があったはずである。
独りでいることは不幸とは限らない。逆もまたしかりなのだろう、おそらくはだ。ささやかな意趣返しのつもりで突っ返した弓に未練を引きずらないように、少しだけ速足で歩き出した。




一度外に出てみれば、騎士団の船もまた近くに停まっているのが見えた。直接つけているわけではないのは、おそらくザウデからの攻撃を怖れてだろう。
レイヴンは頭上を振り仰いだ。ザウデの高みには青い魔核…いや、聖核だろうか。あまりに巨大な、それが浮いていた。おそらくコントロールの中心がそれだろう。
しばらく考えてから、レイヴンは指輪のような円を描く外壁に手をかけた。中に通路があるとも思えないが、いったい上までどうやっていくのだろうか。
変わった構造だと思いながらも、手を外壁にかける。こんな時はつくづくと、名前のとおりに鳥になりたかったと思うのだが。
相当な高さがあるが、ダングレストの結界魔導器に登ったことだってある。足場が悪いのはあれと同じだ。
傾斜が緩くついていて、海からの強い風があることにだけ用心しながら登っていく。供にするのは変形弓の短剣で、腰に佩いたままの短刀には手をつけなかった。
一歩一歩近づき、登っていく。おそらくはこんな場所にいることはバレているだろうが、むしろバレてもらわなければ困る。

「なんでこんな、大掛かりな装置を作っておいて…。」

エアルを実質上コントロールするほどの力を得ておいて、何故ゲライオス文明は滅びたのだろうか。それも魔導器を封印し、放棄するカタチでもってだ。
そこにはまだ隠された何かがあるのではないだろうか…そんな嫌な予感はどうしても拭えない、こういう類の予感は取り返せない事にならないと実態がつかめないのが常であるとレイヴンは息を吐いた。復活を阻止できなかった以上、あとはこれが利用されるのを防ぐくらいしかない。
半ばまで登ったところで、レイヴンは空を見上げる。巨大な翼を持ったものの影が見えて目を細めた、一瞬フェローかと身を硬くしたが、それに比べればシルエットがシャーぷだ。新手の始祖の隷長かと思うも、それは上空を旋回してから一度離れていく。

「急いだほうがいいな。」

ぽつりと呟けば、外壁の装飾的な溝にかけられた手に力を篭めた。
全部登りきる頃には流石に息も切れて、ザウデの頂上である場所の床に寝転がった。青い空が目の前に広がっている、遮るものはない。
こんなショートカットの方法はないだろうに、と思いながらも立ち上がった。心臓を落ち着かせるためにしばらく休みをとっていただけで、ここに辿り着くのはあくまでも目的の第一段階に過ぎない。
そう思って、高い場所の縁に立った。変形弓を畳みなおして外套の陰になる場所に仕舞いこみ、大きく息を吐く。
呼吸を介して己のコンディションを一定のものへと引き上げるべく、考えをめぐらせていた。直視すれば、乱れてしまいそうな感情の羅列を整頓させる。
その間もごうごうと鳴り響く風はやまず、高い場所に立っているせいで黒い服の裾が煽られていた。
そのまま風を孕んだ布に流されて墜ちてしまいそうだと思いながらも、レイヴンはそこに立ち続けている。
下は海の青さ、空は真昼の高さ、海鳥の流線型をした影がわずかに落ちてきた。
縁に立って、立ち尽くし、何かを待っているわけではないが自分からは動かない。
誰かがやってくる、何かがやってくる。下ろした髪の後姿で、いつもと違う装束なのにあやまたずにレイヴンを別の名を呼んだ。その真の名で。

「シュヴァーン。」

レイヴンは振り返る、そこにいる姿を見る、赤と銀にその身を鎧った己の主の姿を認めた。風はやまずに吹いていて、その強さにレイヴン碧の目を閉じる。

「後悔はしていない。」

開口一番告げたそれに、嗤う気配だけ返ってきた。目を開けずともその、彫りの深い目元を歪ませている顔が想像できる。それが彼らの付き合いの長さだった。
剣を抜く素振りすらなく、隙だらけで気を許しているかのようにアレクセイはレイヴンに相対している。
レイヴンはその片手を腰に履いた短刀から離すことはない、花を一輪持つように柄に添えるだけの指先はいざとなればすぐに動かすことができるものだ。
結ばれても整えられてもいない黒髪が、風でばらばらと散らばって動いている。表情が隠れそうなそれの向こうを、アレクセイは見透かした。

「お前は嘘が下手だ…間諜などやらせたのは失敗だったな。」
「これでも何年も、お役にたってきたんだがね。」

伝えられる言葉に対し、心外だとばかりにレイヴンは言えば首を左へ傾けて薄く目を開ける。
そこにある光は、遠い昔に彼が失ったものに良く似ていて、同じではありえないものだった。より深く、虚無を内包して強い。
あの悲惨な戦争は、関わり生き残った全ての人々の目から美しいものをありのままに見るための力を奪い去っていた。
アレクセイとて例外ではない、そしてシュヴァーンと呼ばれた騎士も、イエガーも、デュークも、全ての人が。
腕をゆっくりと、舞台役者のように大仰に広げたアレクセイが口元を歪ませた。ヘラクレスでの騎士からの証言、それに何よりもあの若者たちが生きていたということ。こうしてわざわざ、正面からではなくやってきたこと、全てがシュヴァーン・オルトレインがもはやアレクセイの言いなりではないことを表していた。

「お前が今更私に刃向かうとは思っても見なかった…。」
「俺も驚いていますよ。あんたは俺の中で、長いこと絶対だったから。」

顎があがり、互いの視線が混ざり合って碧と赤が対立する。初めてといっていいほどのそれに、レイヴンの掌に汗が滲み、アレクセイの目に愉しそうな色が浮かび上がった。
己が与えたものではない装束を纏い、名をどちらと呼んでいいかもわからぬその男とまるで初めて会うかのような、奇妙な感覚がよぎる。
知っているはずなのに知らないという錯覚を何と呼ぶのだっただろうか、そんな戯れに似た思考が浮き上がっては消えた。
ザウデの頂上、未だ掌握ならざるその場所に立っていることも今は焦りを生むことはない、この優秀だが愚かな道具が傍にいないあの青年たちは幾らでも足止めができるだろう…己の優秀な、もう一人の駒もいるのだから。
アレクセイはそう思っていた、そして目の前の男も、牙を研いでいるかのように見えるが結局最後は己に逆らうことはないだろうと。
それは一種、歪んだ形の信頼であった。物体が上から下に落ちることはあっても、逆はありえないと本能的に知っているような。
レイヴンはそれを感じ取れた、それが当たり前であるように自分自身でも。だがその思考を振りほどいて、相手との間合いを測った。

「でもね、大将。俺はもう人の言いなりになるのは、御免なんですよ。」
「それは後悔からか?エステリーゼ姫を攫ったことへの。」
「それもある。」

だが、それだけではない。言外の含みなど充分わかっているだろうに、アレクセイは理解しかねるとばかり首を振った。口元を笑わせながら。

「シュヴァーン。」
「…。」
「もはや私の野望は成就を待つばかりだ、世界は変わる…長きにわたる帝国の支配からようやく脱するのだ。」
「かわりに、貴方の支配がはじまる。」
「やむをえまい。指導者なくば、民衆は息をすることすらままならないのだからな。」

アレクセイが何をしようとしているのか、何を望み続けてきたのか。シュヴァーン・オルトレインは知っていた、それは確かに悪と断じれるものではなかった。
ただ、その実現の手段に悪を厭わなかったことは、アレクセイという男をここまで連れてきてしまったのだろう。
全てを手に入れる機会は、同時に全てを失う危機であると、目の前の賢い男が気付いていないわけはなかった。
しばらく黙ったままのレイヴンを見て、アレクセイは剣に手をようやくかける。装飾過多に思えるそれはただの剣ではなくて、宙の戒典の模造品なのだろう。

「…完成しましたか。」
「お前と姫君のおかげで、ようやくな。」
「……。」
「そう怖い顔をするな。どうやら、お前が仕留めそこねた若者たちも、姫君も未だ健在のようだ。…相手をしにいくか?」
「お断りします。あの子たちには、もう係わり合いにならないと決めてるんで。」
「意外だな。てっきり、あの若者に入れ込んでいるのかと思っていたが。」

入れ込んではいるよ、大将。あんたにおれがそうしたように。
小さく心の中でだけ呟けば、レイヴンは踏み込んだ。手は短刀を握りしめ、アレクセイとの距離をつめる。
退くこともなく立つアレクセイが笑いを深めた。手の中にある剣が振られて、レイヴンが抜き放った短刀の喉を目掛けての一撃を受ける。
刃と刃が一瞬だけ交わり、それから弾かれてレイヴンが下がった。宙でくるっと身を翻して姿勢を制御し、離れた場所へ。

「俺がここにいるのは、あんたと決着をつけるためだ。」
「私と?違うだろう……お前が捨て去りたいのは自分自身ではないのか、シュヴァーン。私が死ねば、シュヴァーン・オルトレインの実体を知るものはいなくなる。」
「……あんただって、俺のことを知りなどしていないだろう。」

一瞬、己の中の真実を射抜かれたような痛みが胸に走った。だがレイヴンはそれを麻痺させる。
アレクセイはそんな葛藤をわかっているかのように優しく笑ってから、その手を翻した。魔導器の操作盤がそこに現れる。片手でそれを幾つか打ち込めば、レイヴンの胸がぎしりと何者かに掴まれたように痛んだ。

「がっ…!」
「随分と、大層な口を利くようになったものだな。」

嘲るような憐れむような声が聞こえてくるが、レイヴンは胸の激痛にそこを押さえて膝をついた。
心臓魔導器をいじられたのだろう。機能を停止させられたわけではないだろう、殺す気はないが抵抗の力を奪う、その程度のはずだ。
魔導器であり、そしてそれに対するロックを解除できるコードを知っているアレクセイに逆らうことなど出来ない。それはわかりきっていたことで、だからこそこの男の命令は常に絶対であり続けてきた。

「…それは」
「戻ってこなければ、その心臓の調子を見てやるものもいなくなるのだがな。」

作り物のそれを与えられて以来の絶望、いつでもアレクセイの指先でスイッチを切られるという恐怖、何度か初めのころは実際にやられもした。
だがそれよりも本当は、自らの意志で従っていたほうが大きい。従う部分とそうではない部分を、きちんと区切ってもいた。
全て自分の選択だった。だからこそ。

「戻らない。」

苦しい息の中でそれを伝えた。歯を食いしばりながら。

「もう、誰の言いなりにも、ならない。…シュヴァーンは、死んだ、大将。十年も前に。」
「…なら、お前は誰だ、レイヴンか?」

アレクセイの言葉には嘲笑ではなく、哀れみがあった。名を与えて生かしているのは自分だという、その自負がある。
だからこそ、心臓を握りつぶすような真似はしていないのだ。少し痛い目にあえば、解ると思っている。だが、そうはならなかった。

「誰でもない。」

名を否定し、膝を持ち上げようとするレイヴンにアレクセイは一瞬戸惑うように眉を寄せる、だが、彼が動き出して武器をこちらへ向けたことに咄嗟に剣を振った。
櫛型の刃を持つ短刀を受ければ、その隙間に偽聖剣が入り込んで一瞬動きが硬直する。
心臓を握られていてなお刃向かう姿に、背筋がぞっとした。死に物狂いの人間ほど恐ろしいものはないと、アレクセイはよく知っている。
最後に牙を突きたてようとするその様子に、一瞬集中が途切れた。心臓の掌握が疎かになった時に、ますます踏み込んできた男と顔が近づく。
その碧の目に燃える意志に気付けば、もはや懐柔が叶わぬことを思い知った。剣は拮抗し、力で増すはずのアレクセイでも容易には振りほどけない。
むしろ心臓魔導器の力を解放すらしているのかもしれない、と思えばアレクセイは思考を切り替えた。
必ず己に従うはずだった部下が、もはやそうではない。たとえ逆らっても力尽くで叩き潰せるはずだった相手が、もはやそうではない。
それは遅い理解だった。

「ただの戦士だ。」

レイヴンの言葉に、アレクセイは硬直を振り切って踏み込んだ。剣を振るえば、短刀が弾かれてその持ち主ごと宙に舞う。
吹き飛ばした相手がザウデの天頂から落ちる、それを見ながら何故か震えの止まらない手を握り締めた。しばらく空を見つめてから、アレクセイは目をその手へととめる。留めるように握り締めてから振り、名を否定した男が落ちた先を見るのをやめて背を向けた。
手にしている剣に入った僅かな皹にも気付かずに。




顔が熱いのは、日が当たっているからだとようやく知れた。体中がぎしぎし痛んで、一瞬自分がまたあのバクティオンに戻ったのかとレイヴンは思う。
もしかしたら全てが夢で、本当は瓦礫の下で今まさに死に行くところなのかもしれないとすら思えた。
勿論そんなことはなく、目をなんとかこじあければ太陽光が直接飛び込んできて、目が焼かれる。何度か瞬きをしてから起き上がるも、やはり体は痛かった。
ぐっと息をつめて、再び横になる。どうやら屋内、それも宿のようだ。ただし、人の気配はない。
遠くから水の音だけが平和に打ち寄せてくる、光が差し込んでくる窓をなんとか頭を動かして見た。

「ヨームゲン…か?」

疑問形を口にしてから、ザウデで落下してからの記憶がないことを思い返す。途中で意識が途切れてしまったため、ここに繋がる手立てがなかった。
もう少し粘って、削っておくつもりだったのがざまはないな、と眉を寄せはしたのだが。
ここでまだ死んでいないあたり、悪運が強いではそろそろすまないだろう。死神でもスポンサーについてるのだろうか。
両手を胸の上において、天井を見上げて記憶を辿った。アレクセイの信じられないようなものを見た、という珍しく焦った顔がすぐ思い浮かぶ。
そういえば彼やザウデはどうなっただろう。

「よけりゃ、教えてくれない、かね。」

部屋の中でぽつりと呟けば、戸口に立っていた銀髪の男が入って来る。デューク・パンタレイだ。
感情がないかのような凪いだ表情でいる彼が、何を思っているのかはわからない。だが、ふと視線をレイヴンから窓へとそらし息を吐いたのに呆れを読み取ることはできた。
ややばつが悪い気分になって、レイヴンは眉を下げる。

「……お前は死ぬところだった。死なせても構わないかと、思ったが。」
「そりゃあ。」
「…気まぐれを起こしたのは私ではない。」

では誰が、気まぐれで自分を助けたというのか。そもそもどうやってか。レイヴンは全てわからないが、そう、と小さく口にした。

「…ザウデは鎮圧された。」
「……。」
「あの若者達の手によってだ。」

青年、ユーリ達か。それを示唆されるだけでレイヴンの口元は少しばかり緩んでしまう、このくらいならばいいだろう。ひとまず、一段落はついたのだろうし。
ベッドに横になったまま、こうして天井を見ることが最近多いなどとも思った。

「アレクセイと、イエガーは。」
「どちらも生きている。騎士に捕まった。」
「そうか。」

ならば、シュヴァーンとしての目論見はうまくいった、ということになるのだろう。ユーリが殺すと思っていたわけではないが、いや、そう思っていたのかもしれなかった。
自分を殺せなかったお人よしたちだというのに。目を閉じて、体の上に申し訳程度にかかっている毛布を肩まで引き上げた。
落ちている体温がなかなか戻らない、ここは暖かい場所だから寝ているだけでも少しずつよくなっていくのだろうが。
デュークはまだ帰っていないようだった。むしろ、隣のベッドに腰をおろす気配がある。

「…ザウデはどうなった。」
「制御装置が、壊れた。今は封鎖されている。」

その声が強張っていることはレイヴンにもよくわかった。だが同時にわずかな安堵があることも。

「俺の仕事は、一区切りか。」
「…。」

問いのような独白のようなレイヴンのそれにデュークは答えなかった、ただ沈黙だけがしばらく続いてからデュークが腰を上げる。
目を開けないままで、ただ失った体力を取り戻そうと深呼吸を繰り返した。
そんなレイヴンは今にも死へ傾いてしまいそうにも、デュークには見える。
一人で飛び回り、イエガーの後ろを守り、アレクセイの武器に皹だけを入れて退場しようとした男。
もちろんそれだけのつもりでは、なかっただろうことは想像には難くはないが。ただ一人でそれをやろうとした理由はわからない、クロームがそれでも、彼を助けようといったのだ。水に落ちてすぐに引き上げれば、ヨームゲンに放りこむように彼女に伝えたのである。
そのとおりにしたようだが、肋骨が折れていたのは治癒術があってもまだ治りきってもいないだろう。しばらくここで休むしか、レイヴンにはできないのだ。

「お前は、何故こんなことをした。」

答えが帰って来るとは思わないままにデュークはそれを尋ね、レイヴンは黙って少し身じろぐ。
再び沈黙し、それからごく小さな声でレイヴンはぽつりぽつりと話し出した。

「もう死んだ身なんだ。それなのに生き残った、何度も。やるべき事がある…そう思うことにした。」

鳥の声すらこの街ではしない、ただ、水の音だけが遠くから聞こえてくるばかり。

「だが、それにかこつけて、いきのびることを選べそうになくてな。」
「…。」
「だから…」

デュークの溜息でレイヴンの言葉はかき消された。もういい、というように聞こえてそのまま、レイヴンもまた黙ってしまう。
これがほかの相手だったら殴られても仕方が無いな、なんて思いもする。戸の傍に立っていた男の長い髪が動いて、外へと向かうのが見えた。
レイヴンは出て行こうとするデュークへと声をかける。

「なあ、デューク。」
「…。」

脚を止めはしても振り返らないところを見れば、おそらく質問の内容によっては答えることもなく出て行くのだろうと感じた。
レイヴンは吟味して、どうしてもこれだけは聞いておかなければいけない、というものを選ぶ。いくつか聞きたいことはまだある、だが、これだけは。

「泳いで助けたのか?」
「違う。」

即答だった。




大変だったのだ、とユーリ・ローウェルは思った。
バクティオン神殿でシュヴァーンと戦って、彼が瓦礫の下に消えてからというもの、である。
あの移動要塞を打ち破り、御剣の階梯でエステルを助けるまでは治癒術を使えるものがカロルか自分だけになってしまっていた。
戦闘での立ち回りも大きく制限されたし、それもあるが精神的なプレッシャーも当然ある。
あのいい加減なおっさんがいかに自分達にとって大事な仲間だったか、を思い知らされたようなものだった。
だから今、バウルに乗りながらコゴール砂漠へ向っている自分たちが多少殺気だっていても許されるだろう。
移動要塞でも感じた微妙な違和感は、ザウデへと入ったところで決定的になった。
含み笑いを浮かべながら戦うことなく自分達を通したイエガー、ゴーシュとドロワットは何か言いたそうだったし。
そして奥で出合ったアレクセイは、レイヴンのことを口にすると微妙な顔をしていた。
戦いの決着がつき、ザウデを掌握しようとしたアレクセイの手の内で剣が割れて暴発し、ダメージを負った元騎士団長は今は牢獄の中にいる。
本当に大変だったのだ。
デュークからは、宙の戒典を返してくれと頼まれたのだが、その際にこちらに引き渡すものがあると言っていた。
それがレイヴンだ。あの野郎、やっぱり生きていやがった。
安堵よりも先に湧き上がってきた怒りが、フィエルティア号を満たしている。
エステルだけが何となく神妙な顔をしていて、今にも口から火を吹きそうなリタをなだめていた。
バウルが岩場につく。船を下りれば真っ先に駆け出すのはカロルだ、自分が単独行を試みて失敗したときは本気で殴られるかと思った。本当に殴る気かもしれない。
出迎えらしいデュークはいない、フェローもいない、そうなればいるのは奥にだろうか。
美しい姿をとどめる幻のヨームゲンへ続く裂け目へ自ら吸い込まれれば、一行は宿やへと向った。カロルが先頭である、勿論。
彼に会えたらとりあえず全員から一発ずつ殴ればいいだろうか、怪我人と聞いてはいるが。
扉を破るような勢いで宿に駆け込んだカロルが、すぐに戻ってきた。赤くした顔をさらに真っ赤にしている。

「…どうした?」
「い、い」
「いるか?」
「違うよ!いないよ、誰も。」

カロルがわっと喋るのに、ユーリは目をそらしてからもう一度見た。なにか折りたたんだ紙を差し出してきている。
ユーリが受け取って開くと、仲間達が全員読むために覗き込んできた。
癖のややある字で、短い文面が綴られている。

「さがさないでください。…だとよ。」
「はあ!?」

なんとも簡潔で単純で、これ以上なくわかりやすい要求だろうか。
リタがすぐさま大声で言えば、手紙をひったっくって自分でも読んだ。そのまま丸めて、地面に叩きつける。

「あんのトーヘンボク!何考えてるのよ!」
「貴女が怖いから、逃げ出したのかもしれないわね。」
「じゅ、ジュディス…それは…。」

今にも暴れだしそうなリタを、ジュディスがなだめようとするが怒りの矛先が摩り替わっただけだった。
そのままやっても意味のないような口論を女子たちが始めるのに、ユーリは溜息をついてフレンを見る。視線があえば仕方がないとばかりに笑っていた。

「まあ、生きているとはわかったわけだし、必ず見つけ出せるよ。」
「どうかな、あのおっさん本気で隠れて、二度と出てこねえかもしれないだろ。」
「そうしてほしいのか、ユーリ。」

フレンの言葉にユーリは顔をあげて、そんなわけあるかと肩をすくめた。どこにいたって、見つけ出して一発殴らないと気がおさまらない。

「まさか。見つけるさ、まだまだやらなきゃいけねぇことが山積みなんだ。おっさんもいなきゃ戦力が足りない。」
「そうだね。あの人にはまだやるべきことがある。」
「騎士にはだが戻させないからな。」
「どうしてだい。」
「決まってるだろ。」

二人が顔を見合わせて笑うのを、パティはやや落ち込んだ様子のカロルを宥めながら見ていた。
ぐるりと回りを見回したところで、だから戻りたくなかったのだろうか、なんて想像も働かせる。
実際はそれだけではないのだろうというのを、彼女はなんとなくわかるのだが。一度してしまったこと、それがある以上、同じ道を歩めないという感覚。
何故それを解るのかはまだ知らないながらも、パティは目を細める。ラピードは手紙に顔をよせて匂いも嗅いでいた、追跡行はまだ、これからはじまったばかり。





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