アニメ『true tears』について

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございました。 とても解りやすい説明で、読んでいてふむふむとものすごく納得できました。 本当に、ようやく腑に落ちたという感じです! 何だか今までと見方が変わっちゃいましたよ(>_<)b

お礼日時:2010/2/8 15:46

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あくまで個人的な見解ですが、比呂美と眞一郎の母親との一連のエピソードは、思春期親子の親離れ、子離れの過程を描いているのではないでしょうか。 思春期の子供は自分が大人になったつもりでも大人というものを理解していないので、最も身近な大人である親に過度の期待をしてしまいます。 そして、それが満たされないことに苛立ち、親に対して否定的な感情を抱きます。 しかし、実際は大人といってもそれぞれ悩みや弱さを抱えていて、その上で人間関係を築いていくものです。 そのことに気づけないからこそまだ子供なのだと思いますが。 一方で親の方はそんな子供の言動に戸惑いを覚えます。 それまで、大人と子供としてある程度自分の方でコントロールできていた関係が崩れてしまったためです。 そして、子供をうまく扱えない自分を責めたり、大人を手こずらせる存在として必要以上に子供を責めたりします。 その結果として、俗に言う反抗期や親子喧嘩といった結果を招きます。 この衝突の中で子供の方は、大人というのは子供の頃考えていた様な完璧なものではなく強さも弱さも兼ね揃えた存在であることに気づき、親もまた子供が成長し一人の自分と対等な大人になったことに気づきます。 こうして、互いに一人の大人同士であることに気づくのが親離れ、子離れというものだと思います。 比呂美と眞一郎の母親の場合は、実際の親子でないことや眞一郎をめぐって嫁姑に近い様な関係にあることなどからよりこじれてしまいましたが、「大人と子供」から「大人と大人」の関係に変わる過程であったことには変わりありません。 眞一郎の母の「ごめんなさい」は対等な大人としての比呂美に向けた「ごめんなさい」だったのだと思います。 私はこの何気ない瞬間にお互いがふと気づいて大げさなこともせずにたった一言で大人の関係へと移行したシーンが大好きです。 「ごめんなさい」の後も二人は完全に仲良くなったわけではありません。 二人のシーンには常に一定の緊張感が漂っています。 しかし、それが以前までの「大人と子供」の緊張感ではなく「大人と大人」の緊張感だからこそ不思議な心地よさがありますし、二人の成長も感じ取れるのです。 乃絵の扱いに関しては、乃絵を眞一郎が主人公の物語でのヒロインと考えるか、乃絵自身が主人公と考えるかで見方は大分変わってきます。 true tearsはラブストーリーではなく、青春群像劇です。 乃絵は単なるヒロインではなく、眞一郎を始めとする様々な人との出会いを通して成長した青春群像劇の主人公のひとりなのです。 また、作品のタイトルにもある「真実の涙」というテーマを体現したキャラクターでもあります。 祖母との死別に際して祖母の優しい言葉によって涙をなくしていた乃絵ですが、それは傷つくことからの逃避であり「真心の想像力」という言葉に隠れた人との関わりの拒絶でした。 しかし、眞一郎との初恋を通して乃絵は今までにない深さで人と関わり、喜び、傷つき、そして涙しました。 乃絵は確かに失恋して悲しみましたが、それ以上に人間として大きく成長し、より魅力的な少女になりました。 ですから、私は乃絵の扱いが酷いとは思いませんし、むしろ『true tears』とは乃絵の成長を描いたガール・ミーツ・ボーイストーリーだとさえ思っています。 『true tears』というひとつのストーリーの中にはたくさんの物語が散りばめられていて、少年少女たちが悩み、傷つき、そして成長していきます。 そんな中で、彼らがふと大人になる瞬間に私は感動しました。 特別なイベントの中で段階を経てではなく、「ふと」です。 悩み苦しんでいる中でふとした瞬間に靄がすーっと晴れていくように大人な見方が出来て、今まで悩んでいたことが吹っ切れてしまう。 決して問題が解決したわけでも、この先が楽になるわけでもないけど、前向きに進める気がする。 そんな少しだけ大人になった瞬間の記憶を呼び起こしてくれるシーンの数々に私は感動しました。 そういう意味では前述の「ごめんなさい」のシーンは作中でも最も好きなシーンのひとつです。 青春群像劇として自分の青春と重ね合わせながら見ると感動できるツボのいっぱいある作品だと思います。 無駄に長くて分かりにくい文になってすみません。