「将クンとはもう付き合えない…」
「…へ……?」
陽も沈みかけた放課後。教室。
人影は無い。
そういえば、校舎の教室は、東の方角に向けて窓が作られるんだそうだ。
だから西側に廊下があり、東側に教室が並ぶ。
最も授業の多い午前中、教室に光が射し込むように。
(ああ、だからこんなに暗いのか…。)
小学校の理科の授業を思い出しながら、現実逃避。
ユリちゃんからの突然の別れの宣告に、全く頭がついていかない。
ユリちゃんはウチの高校のアイドルで、少女漫画から出てきたように愛らしい女の子。幼い容姿に反して巨乳だ。
彼女は引く手数多、狙っている男は星の数だ。
そんなユリちゃんから告白され、狂喜乱舞したのが1ヶ月前。
それがどうして、たった1ヶ月で別れを告げられているのか。
「え、どうしてそんな突然…」
「……」
ユリちゃんは言いにくそうに視線を逸らして、一言。
「女の私より可愛い彼氏なんて、耐えられない……」
…………。
あれ、耳がおかしいのかな俺。
その台詞、なんだか凄く聞き覚えあるんですけど。
デジャヴ?これデジャヴ?
『だって将クン、私より可愛いし、』
『女として、負けてるっていうか…』
『一緒に街を歩いてても、声を掛けられるのは将クンだし、』
今までの彼女達の台詞が、走馬灯のように頭を過ぎった。
『耐えられない……』
耐えられない………。
耐えられない……―――
「あははははははっ!!」
「笑うなボケ!黙れ死ね。」
「校内一の美少女でも、将への劣等感には勝てなかったか…。」
フラれた翌日には学校中に噂が広まるなんて、一体モラルはどうなってるんだウチの高校は。
そして毎度の事ながら友人達に爆笑される可哀想な俺。
「だからいつも言ってんじゃん。俺の彼女になれ、って。」
「死に晒せ腐れホモ。俺は男だ。」
生物学上、一生かかっても“彼女”にはなれんわ。
寝言は寝て言え。
つか寧ろ、死ぬまでその口を開くな。
龍之介は3才の頃からの幼なじみで、見た目も中身も手をつけられない程のチャラ男だ。
根っからのタラシで、セフレの数は両手じゃ数えられない。
本人曰わく、今まで一度も彼女はいない。
というのも、毎回告白してきた相手に返す言葉が、
『将より可愛い女じゃないと勃たない。』
だ。
本当死ねばいいのに。
俺になら勃つのか、なんて馬鹿な事を聞いてはいけない。
中学の頃に一度だけ尋ねた事があるが、その時の返答はもう思い出したくもない。
『勿論。だって俺、毎日オカズにしてるもん。』
一度頭かっ開いて脳味噌診てもらえ。
セフレは相手に奉仕させて勃たせるそうだが、なんて倒錯的な生き方してるんだこの色情倒錯者め。
「まぁそう落ち込むなよ将。俺らがいるって。」
ああ、お前はいい奴だな京平。
俺の心のオアシス!
「そうだよな!京平がいるもんな!」
言わずもがな変態は頭数に入っていない。
「待てよ将チャン、俺もいるじゃん!」
「京平ダイスキー」
「はいはい、判ってるよ将。」
そう言っていつものように京平に抱き付いて、その胸元に顔を寄せた。
変態の発言はこの際華麗にスルーの方向で。
「ちょ、ちょっと待って。状況が読めない…」
つか俺、なんで村井にこんな絡まれてんの?
いや、そんな事よりも村井。どうして貴方はそんなに顔を近付けて来るのですか。
いやいやいやいや、ちょっと近過ぎないかこれはっ。
このままだとくっついちまうだろうが口と口がっ!
ま、待てって村井っ……
「……」
「………」
俺は今、きっと凄く間抜けな表情を晒しているに違いない。
しかし、これは仕方ないと思う。
なんてったって、男にキスされたんだからなっ!
もう笑うしかない。ハッハッハッハッ…はぁ。
駄目だ。顔の筋肉が全く言う事を聞かない。
「俺が、冗談でこんな事すると思うか?」
ハイ。思います。
…とは口が裂けても言えないチキン野郎、宮野圭介17歳。
というか、これが冗談やからかいでないとすると、事態はもっとややこしい方向に…。
「もう一度だけ言うぞ。……お前が好きだ。」
「…うん…」
気付いたら頷いていた。
目の前の、ひどく整った顔が告げてくる言葉が、本心からだと判ってしまったから。
「お前にキスしたいし、抱きたい。一度掴んだら二度と離さない。それも嘘だとか疑ってないよな?」
「…うん…」
「それで?お前の返事は?」
切な気に囁くこの男の、青く澄んだ瞳に見つめられると、何も考えられなくなった。
「……うん…」
お父さん、お母さん。
貴方達の息子は今日、彼氏が出来ました。
「まさゆき、んあっ、まさ、ゆき…雅幸っ!」
「…っ」
俺の上に跨り、嬌声を抑えようともしない、美しい人。
快楽に溺れてうつろ気な琥珀色の瞳。
そこから止め処なく無く溢れる澄んだ涙。
薔薇のように色付いた唇と、煽欲的にのぞく舌。
陶器のような白い肌。
何もかもが美しい。
まるで、神に愛されているかの様な、完璧な存在。
これが男だなんて、世の中間違ってると思う。
「やだっ雅幸っ他の事、考えないで…っちゃ、んと、動いて…ふ…ン…」
…なんて我が儘な女王様だ。
「お前が、声抑えないからだろ。…ったく、ウチの壁はお前んチの豪邸と違ってオンボロなんだから、隣の学生クンに丸聞こえなんだよっ」
可哀想に、これじゃ勉強に集中なんて出来やしねぇだろうが。
「ンぁぁああっ、雅幸っ怒んないで…っ、だって、…ふぁっ…学生クンが、雅幸を好きになったり、したら…ヤだ、から…俺のモノだって、教えない、と……ん」
…これだ。
自慢じゃないが、容姿成績家柄どれを取っても平々凡々の俺に、こうまで独占欲を燃やす意味が判らない。
「そんな物好き、お前くらいだろ」
「ん、んあ、そ、だといいけ、ど…っ」
「俺はお前みたいに何もかも完璧じゃないの。」
「ふ…それ、褒めてくれてる、の?」
頬を赤らめて、心底嬉しそうに微笑むこの男は、自分の側には俺だけ居ればいいと言う。
そして俺の側にも、同じように自分だけだと言う。
「ねぇ雅幸…俺以外の人間なんて好きになったら、ダメだからね…?」
「………」
「もしもそんな事になったら、」
「 」
そう言って細められた、色素の薄い瞳が、あまりにも鋭く射抜いてきたから、俺は何も言葉を返せなかった。
どうやら俺の頭は容量オーバーのようだ。
村井の放った言葉に、思考回路が凍りついた。
「……え?…へ……??」
俺の口から出るものは意味を成さないひらがな達だけだ。
そんな俺に苛立ったのだろうか、
「……チッ」
こ、この人今、舌打ちしたよぉぉ!!
やだよ何なのこの人っ!
「な、なんだよ!だって、いきなり…そんなワケわかんないこと言われても…」
いきなりっておい。何なんだ俺。
何その乙女的発言。
狼狽え過ぎですよねそうですよね。
「いきなりじゃねぇだろうが。お前こそワケわかんねぇ」
いやいや、そんな理不尽なキレ方されましても。
…って、え?
「いや、いきなりだろ…?何の前触れもなく…」
「チッ…てめぇ」
またやったこの人ぉぉ!
なんで俺こんなに不利な立場にいんの!?
…ハッ!そうか!
新手の虐めかっ!
そう考えると、全てがすんなり受け入れられた。
てっきり村井はホモだったのかとか、今までの女好きな噂はフェイクだったのかとか、そんなとんでもない考えを浮かべた自分が恥ずかしい。
寧ろ、なんで一番に気づかなかったのか不思議なくらいだ。
「ゴメン村井っ!」
「?」
村井は不思議そうなカオで俺を見る。
「俺、勘違いしてたっ」
「……何が」
何がって、そんなんこの状況で一つしかないだろうに、わざわざ聞いてくる意味がわからん。
「いや、俺一瞬、村井に本気で告白されたのかと思ったからさ。からかうつもりだったんだろ?本気にするとこだった。村井はホモだったのかと思っちゃったよ」
だから、ごめん、そう告げると、村井の眉間に刻まれた皺が深くなった。
「…は?」
それは地の底を這うような低い声で、チキンと自覚している俺には、平常心でいる事なんてできる筈もなかった。
「え…?な、何怒ってるんだよ…っ」
だって、どちらかといえば怒るのは俺の方だろ。
からかわれて、ていうか謝ったんだぞ俺。
いや、謝る必要なかったか。
それでどうして村井、お前が怒るんだ。
ちくしょう、手が震えてる気がする。
いや、多分、実際に震えてるんだろうけど。
もうやだ。帰りたい…。
「盛ってんじゃねぇよボケ」
「うぅぅ…」
やっぱり今日も今日とて冷たい愛しい人、深雪さん。
「深雪さぁぁあん」
ドカッ
「…っっっってぇッ!!」
「当然だ。もう一度そんな呼び方してみろ。
―――ちょん切ってやる」
「ち、ちょん切るってドコを!?深ゆっ…ユキさんっ!」
危うく彼の名前を呼んでしまいそうになったところを、鋭い眼光に射られ、訂正する。
…そう。深雪さんは、自分の名前が嫌いなのだ。
理由は言うまでもなく、女みたいだから。
可愛いのに。
「俺のちょん切ったら困るクセにぃー。」
ジャキッ。
「っ!」
―――深雪さん。いつもサバイバルナイフを常備してらっしゃるんですか。
(教訓、長いものには巻かれよう。)