親と会う頻度は? 参加中
月に一度は泊まりに行くようにしています。
旅費はよいとしても時間がなかなか確保しがたい所です。
まだまだ親は長生きするとしても、こうやって顔を見て過ごす時間は、全て合わせても一年間で1ヶ月程度確保できるくらいで、
案外、一緒にいる時間は長くないものだと話をしたことがありました。
「ひとり〇〇」、何が好き?
ひとり旅 です。
訪れたい場所やじっくり調べたいもの、就寝、起床のペースなどは人それぞれ。
あまり長くは確保できない休日のことや、潤沢ではないお金のことを考慮すると、目的のある旅行はひとり旅につきると思われます。
自転車撤去されたことある? 参加中
私はある派
就職したての頃、私は夜間工業高校に通っていました。
実家がある町からJRで4つめの駅で降りて、駅前からは自転車で通学しました。
やがて転勤となり、転勤前には車の免許を取っておくことになって、高校の方にはだんだんと通えなくなりました。
この時、私は転勤前に自転車を引き取りに行っていません。
駅前に放置したまま転勤先での暮らしが始まってしまいました。
高校の時の思い出の味は?
参加中
私の高校には食堂もありましたし、パン屋さんで毎朝サンドイッチなどを買って昼食にする選択もありましたが、諸般の都合によりそれはならず、毎日弁当を持参しておりました。(今では、毎日作ってもらえる方が大変なことだと思われます。)
高校時代の味と言ってすぐに思い出されるのは、ほぼ毎日弁当に入っていたゴボウ天の味ですね。
中学時代から続いていましたので六年の間、かなりの数のゴボウ天を頂きました。
卒業後はもうゴボウ天はいいやと、他の食材を選ぶようになりましたが、
近年はまた、おでんなどの機会にしばしばそれが復活しつつあります。
損したこと 参加中
若いときは私が望んだことが叶わない時は、自分の損失だと判断していました。
いろいろな他人の要求に譲っていたら、結局自分のことがなくなってしまい何もできないのではないかと恐れてもいました。
私の意思を曲げることは、すなわち私の損失ということになりました。
近年、ひとつの出来事の持っている両面性のことが意識されて仕方がありません。
相変わらず、私は意のままにならない人生を送っておりますが、
例えば、雨が降って予定通りに進まなかったけれども、それが体を休めることになり、おかげで十分な用意の下で実施できたような場合、
はやる意識を外因が抑えつけて最適な仕上がりにすることができたように見えます。
私を遮る障害は、その時の自分だけでは考えつかない進路へと、別の可能性へといざなう扉になる可能性を持っているように思えます。
何が幸いするか分からないとなれば、順調な時も、障害に当たった時も、それは損なのか得なのか、直ちには判断をつけかねることになります。