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不時着
(後)
表通りのカフェテラスで会ったのはジャック・アトラス。鬼柳・遊星とともに旧知の仲である。
成功すれば青年実業家…とでも名乗るつもりらしいが、今は何をしているやらよくわからない。生活費もどこから出ているのだか知らないが、横柄とも感じるほどの余裕の振る舞いには生活感が感じられない。
コーヒーを飲むとき、ジャックは1人を好む。仲間はそれを知っているので短い挨拶を交わす程度になる。
「働け」
「フン、お前は働きすぎだな」
「クロウ!」
再発進しようとした所を呼び止められる。
「んだよ」
「まだ奴の世話を焼いているのか」
「…まぁな」
俺は焦りすぎなのだろうか。
鬼柳のことを心配し過ぎているのだろうか。過干渉だろうか。
けど、傍に居てやらないと、誰かが見ていてやらないと、今のアイツは本当に自分自身のことについて無関心すぎて、怖いのだ。
鬼柳の部屋には毎日訪れるわけではない。
最低でも週に1回は様子を見に来るが。
墓参りのよう、そう思ったのはいつどの瞬間だったか覚えてないが、すぐ打ち消してもこのドア前に来るたびにフラッシュバックする。
合鍵を持っているので勝手に上り込み、簡易キッチン横を抜けリビングに入ると鬼柳の後姿が見える。
ドサッとレジ袋を床におろすと、こちらに振り向いて「おう」と挨拶する。曖昧な笑みだ。
「よお、ちゃんと食ってんのかよ」
「カップ麺とかな」
「昼は?」
「まだ」
「作るけど食うだろ?」
「おう」
じゃあ待っとけよ、と言いキッチンに移動し調理の準備をする。
刑務所から出て丁度2か月程だ。大分、生活への慣れが出てきているような気がする、とクロウは思った。
飯を食って、テレビを見て。
内容の無い話をして。時間が経って。
白い光の充満した昼下がり、色味のない部屋には別にどうだっていいワイドショーがつけられていた。社会に興味が持てない。
弱い風が窓から流れてきて薄っぺらなカーテンを揺らす。手元にあるハサミの刃がひらりと外の光を反射する。
少し目をしかめて。何故だか少し息苦しい。
プラスチック製の柄の黒いハサミを持ち上げて、短く息を吐いて、目が乾いている。
「おい!!!!!」
パシャン、とハサミが飛んで床へ落下する。
クロウは強張った顔をまっすぐ向けて、鬼柳の掌を叩いた腕を下した。
こんな近くにクロウが来ていたことに気付かずに少し驚いた。ずっとさっきから居たのか、何処かへ居たのか。
「何やってんだよ鬼柳」
別に何をしたいわけでも無かった。
「……別に…、何も……」
「ハサミなんか持って何してんだよ」
クロウの顔が見られない。床の上へ放られたハサミの方へ視線を向け続けている。
「俺は……」
「俺は…自分のことを信じてやれない」
そう云うと弱弱しく鬼柳は俯いて、重く塞がった肺へ息を吸う。酸素が飽和して息苦しい。もう要らない。
もともとそんなに希望ある未来なんて持ち合わせていた訳ではないから、その限られた未来の中で十分楽しく生きられるだろうと思っていたし、それでいいと納得していた。ただ、やはり、少しばかり夢見がちだったろうか。理想家だったからなのだろうか。少しの背伸びによってフラつき始めて、どこで転んでしまったのかも全く見当がつかない。勝手に突っ走って、抱え込んで、孤立していく。俺の考えや感じていることなど当然に理解できる奴も居やしない。思い込みや被害妄想で、もう理不尽なことしか目につかなくなってしまった。知らぬ間に、今まで自分を理解してくれていた奴らを裏切って傷つけているのだろう。
気が付くと、自分を自分で閉じ込め、苦しめている。
こんなことがしたかったわけじゃない。
ただその過ちは紛れようもなく自分の責任だ。
それが受け止めきれない。
「なあ!!!」
クロウは鬼柳の痩せた肩をがっしと掴み、力強くこちらを向かせる。
「もう、戻れねえんだよ!…」
泣いている。
「誰も、どこにも!…」
「だから、もう、いいだろ」
「どうでも、いいだろ。もう。どうしようもないんだからよ。どうしようもなく生きりゃ。これからはどうにでもなるからよ」
お互いにしがみつきながら泣いた。どこへ落着するでもない不安や焦燥を抱えたままで。永遠に変えられない過去に捕らわれたままで。
クロウは鬼柳の長く伸びたままだった髪をハサミで切った。
「こんなもんかな」
鏡を覗きこんで、毛先を整える。大分短くなった。肩にはつかないくらいだ。
「おお、さっぱりしたな」
「良いんじゃねぇの」
「クロウ上手いな。サンキュ」
「まあこんぐらいはな」
泣き腫らした顔で。
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不時着
(完)