話題:ひとりごと

ときおり、日々の溜まったストレスが爆発する。その瞬間は、互いに日々の不満をぶちまける。ああ、我慢してたんだと知る。きっかけは、些細なこと。そんなことで?と笑ってしまうようなちいさいことでも、引き金には十分な威力を発揮する。花火のように一瞬で、火をつけたら爆発する。きれいではないけれど、あたしたちにとってこの喧嘩は唯一の本音語り。だんだんと許したり、許されたり、見逃したり、見逃してもらったり、見てみぬフリがうまくなって、じぶんに言い訳するのが上達して、こころにフタをして、なかったことにはできないできごとを消化もできないまま、ずっと噛んで味のしないガムみたいに残ったまま、あたしたちの日々はつづいてる。ここに愛はあるのか、意味はあるのか。そんなことをまじめに考えれば、最初からやりなおしたくなるのだろう。考えることをやめた。いまを、生きる。目の前にある、いまを。その先につなげてくために、なるべく、その日をいい一日でおわりにしたい。笑顔もつけて。

むかしは、人間関係をかんたんに断ち切っていた。きもちの整理をつけるためになんどもリセットしてきた。その代償は、いまも残る。きえてしまったつながりは、もうもどらない。携帯だけがつないでくれた縁を切ってしまえばおわってしまう。それなのに、あたしはどうしてあんなにもかんたんに切ってしまえたのだろう。じぶんのことを守ることばかりに精一杯で余裕なんてなかった。当時の家庭環境を考えれば仕方ないのかもしれない。失ったものはもどらない。だからこそ、残った縁をつないでく、だいじに。そうか、ここにこたえが。あたしが彼と離れられない理由はこれなんだろう。

ボタンひとつでおわってしまう関係にこだわりつづけ、意味を見出してたのはあたしなんだ。年賀状や手紙は手元に残り、想い出になる。こうして、かたちに残るものはいいな。すきなひとたちにことばを届けるのってすてきなことなのに、アナログもデジタルでもそこに込める想いはおなじ質量なのに、あたしはどうしてあんなにも電波でつながる関係を恐れていたのだろう。かんたんにおわらせていたのはあたしなのに、捨てられるまえに、傷つくまえに逃げた。あたしは臆病だから。

もうここにはないあたしのたいせつだったひとたち。いまあるたいせつなひとたち、これから出会うたいせつなひとたち。すべてとちゃんと向き合い、愛していきたい。山のようにある後悔に、すこしずつ懺悔とお別れを。いまを生きるために、もう見失わないように、かんたんにリセットしないように、あたしがあたしを信じられるように。