2014/5/24 Sat 13:01
いささか面倒な思考

話題:ふと思ったこと

「まあ、自分らしく頑張ってよ!」と言われて、ふと思いましたね。自分らしい?どれが本当の自分なのかなって。あ、別に病んでるわけじゃないです。
改めて考えてみると、いくつもの私がいるんですよね。ブログの私、対家族の私、対友人の私、対先生の私、対知らない人の私など。しかもこれはあくまでざっくり分類しただけであって、実際には、対母、対兄弟…と対家族においても違いますし、もちろん、対友人A、対友人B…と対友人においても同様に違います。意識的ではありません。その場では「今の私はこんなタイプか」なんて考えながら話さないですよね。

「今話している相手は自分の鏡」とよく聞きます。いろんな性格の友人がいるということは、いろんな性格の自分がいることに等しい。つまり、人格というのは、他者がいてこそ存在するものだということですかね。
そうであるならば逆に、誰に対しても全く同じ人格で対応することは、人間には不可能なんじゃないかと思うわけですよ。
まあ、軸となるものは誰しも持っていると思いますが。いわゆるアイデンティティーですね。だから、アイデンティティーが生身の身体で、人格が服、みたいなイメージです。時と場合によって服装を変えるのは当然。

ということは、「本当の自分の人格」なんていうものはない!という結論に至った私ですが、ここでまた新たな視点が生まれました。

それは「今現在話している相手にとっての私は特別で、私にとっての相手も特別」というものです。特別というのは、一番親しいとかじゃなくて、唯一無二という意味の特別。同じ人が存在しない以上、同じ人格の自分も存在しない。私と話している○○さん(の人格)は、私だけにしか見えない○○さんで、私にとって本当の○○さん。逆もしかり。うわ、危険思考だな。
ややもすれば危ない解釈になる気がしますが、大事なことだと思いました。
一人一人に対して一つずつの人格があり、それがその人にとっての本当の私になってしまうので、誰に対しても誠実に接することを心がけたいと思います。

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