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張り裂けてしまえ!

 リア王(作:シェイクスピア、訳:安西徹雄/光文社古典新訳文庫)読了。
 これも太宰の「人間失格」同様、かなり前から気になってはいたものの敬遠していたもの。

 追記から感想ー。
▼追記

ちゅうちゅうたこかいな

 「ちゅうちゅうたこかいな」って2、4、8、10のことらしいですよ。数え唄みたいな。

 近代能楽全集(三島由紀夫/新潮文庫)読了。
 「近代能楽全集」は、言わば能の台本のパロディだけど、この本は面白い!すごい面白い!いやまあ、内容は別にコメディじゃないんだけどね!

 目次を見て改めて思ったけど、これって八作収められてるんだね。こういう短編(と言っていいのかは知らないけども)には大抵「はずれ」が混じってるものだけども、この八作全てを面白いと言い切れる。
 ただ、やっぱり私の頭が悪いのか、結末の意味が全部わかるわけじゃない。ていうかわからないのが多いし。

 昨日は「邯鄲」「綾の鼓」の二編だけ読んで、今日は「卒塔婆小町」「葵の上」「班女」「道成寺」「熊野」「弱法師」の六編を読んで、読了。
 一番面白いのは「綾の鼓」だろ!と昨日の時点では思ってたけど、それ以上に「葵の上」「班女」が面白かった!この二つは優劣付けがたいくらい。勿論これは私の感想だから、それ以外の話を好きになる人が居るのは言うまでもないことだけども。
 あ、でも、「道成寺」も面白かったな…。
 じゃなくて、とにかくこれは読んでみてほしい!今の時代を生きてる人間でもわかりやすくなってるから。

 このわかりやすさ、絶対能じゃなくて、どっちかっていうと戯曲だと思うんだけどなあ。
 それとも近代能=戯曲なんだろうか…。

 あー、で、逆によくわからなくて、面白いけど好きじゃないのは「弱法師」かなあ…。ちなみにこれは「よろぼし」と読むそうです。
 これは…俊徳がよくわからないんだよなあ。最後に見たものが空襲か何かで、周りが炎に包まれて滅んでいくのを見て、俊徳の世界観だか他の何かだかが変わったのはわかるんだけど。最後の「僕はどうしてだか、誰からも愛されるんだ」の意味がわからない。
 あー、でも、わからないって言ったら「葵の上」の光が出て行った結末とか、六条の生き霊が居るのに六条が居た理由もわからない!昨日書いたけど「綾の鼓」で100回目だか101回目だかで華子に聞こえた理由もわからないし。こういう不明な、推測を呼ぶ部分は文学作品の特徴なのか、たまたまこれがそうなのか。なんにせよ私の脳には厳しいものがあるなあ…。

 そういう意味では、「邯鄲」「班女」「道成寺」がわかりやすくて且つ面白いものになるのかなあ。
 「邯鄲」はー、これは若干コメディ要素があるかな。特に好きじゃないけど。
 「班女」は私の好きな「可哀想な主人公」の話だと思ったのに、最後にどんでん返しがあってめちゃくちゃびっくりした。でもそのどんでん返しの意味もわかったから、別段不快ではなかったなー。
 「道成寺」は主人公がちゃっかりしてるよねwあと、BとDのやり取りが不覚にも面白かったw

 三島は独特の文章というか、表現があるって聞いてたし、確かに秀逸だなあ私には真似出来ねえなあとは思うんだけど、私は三島の表現力よりもシーンの鮮やかさに感嘆した。
 「弱法師」の俊徳の最後に見た風景、「葵の上」の光が出ていく場面、「道成寺」の安が殺される場面、この三つは本当に背筋が冷えるくらい凄い。


 こんなものかな。
 自分の書いたものながら、すげー頭悪い文章だよなあ…纏まってないというか。誰かに薦めたかったはずなのに全然薦められてないし。とにかく面白いんだよ皆読もうよー。

 ところで、三島の作品って何で青空文庫に無いんだろうと思ったら、三島が死んだのは1970年だからなんですね…。まだ著作権切れてないからか。残念だ。

綾の鼓

 積み本がついに二桁になった。
 別にそれはいい。いつでも読めるし。

 今ある積み本。
・やがて今も忘れ去られる(銀色夏生/角川文庫)
・ライブ(山田悠介/角川文庫)
・ドアD(山田悠介/幻冬舎文庫)
・あそこの席(山田悠介/幻冬舎文庫)
・リア王(シェイクスピア/光文社文庫)
・ハムレットQ1(シェイクスピア/光文社文庫)
・私たちが星座を盗んだ理由(北山猛邦/講談社NOVELS)
・捧げよ、永久に続く祈り-幻獣降臨譚-(本宮ことは/講談社X文庫ホワイトハート)
・死亡フラグが立ちました!(七尾与史/宝島社文庫)
・インシテミル(米澤穂信/文春文庫)
・近代能楽集(三島由紀夫/新潮文庫)
 ラノベが混じってても気にしちゃいけないよ!私ラノベの方が好きだからね!←

 続きは「人間失格」と「近代能楽全集」の「綾の鼓」の感想。
 長くなったから収納。
▼追記

絶望した!

 自分の流行の乗れなさとか、冷蔵庫に物がたくさんあると途端に料理したくなくなることとか、自分に絶望することはたくさんあるなー。
 もとより流行には乗る気はない(誰かが絶賛してると逆にやる気失せる)性格だし、料理もただ単にめんどくさいだけなんだけどね。お金あると簡単に買えちゃうし。
 こういう自分を変えたいんだけど、とりあえず流行のアニメとかドラマくらいはリサーチしとかなきゃだめかな…。

 それは追々考えていくということで。
 また長々と論議持ってきたけど、なんか私大丈夫かな…。

 最近、リアタイの役目を完全にTwitterに奪われてて、頻繁にTwicca(アンドロイド用アプリ)でTL見てたり呟いてるんだけど…今日たまたま目に入った「【拡散希望】」のツイートにモヤッとしたっていうか。…なんか最近モヤッとすること多すぎだろ自分。

 以下引用。Twitterで拡散希望出してるんだし、引用しても大丈夫だよね…?
Nergaleon
 【拡散希望】本日の午後15時辺りに東海道線に乗車し横浜で下車する際に赤い蛇腹の女性用傘と子供用のビニール傘を車両の手摺りに掛け忘れてしまいました。母が祖母から貰った大切な傘らしいので見つけた方は当垢に御連絡をば。」

 確かにTwitterはユーザーが多いし、日本全国でものすごく流行ってるけど、だからって「電車に忘れ物したから情報頼む」ってのはどうなのかなあ。電車の忘れ物は、その電車が運営する忘れ物預かり所とかできちんと保管してくれてるんだから、先にそこに行けと。そこで無かったんなら諦めるなり警察に届け出るなりしなさいよと。

 Twitterで、この間の地震での被災者が助かった話は確かにある。そこは流石にネットすげえ!と思った。「#pray4japan」なんてハッシュタグが出た時も感動した。
 でもそんな喜ばしい情報と同時に、「【拡散希望】●●に住んでた●●という者を探しています、見掛けたら連絡ください」というツイートがめちゃくちゃ蔓延した。それを有名実況者に「●●さん、リツイートお願いします!」なんて書いてたツイートすらあった。

 別にそれが悪いことだとは言わないし、気に入らないならやらなきゃいいだけの話なんだけど…
 でもそんな大事なことTwitter如きで流して、それで安心してていいの?

 Twitterが流行ってるのも、ユーザーが多いのも知ってる。
 けど「Twitter」はたかがネットコンテンツの一つで、謂わば「mixi」やら「モバゲー」と変わらない。
 あくまで「やりたい」と思ってる人がやってるだけ、更に言えばアカウント持ってる人全員が「アクティブユーザー」とは限らないわけだ。
 日本国民全員がやってるわけじゃない。

 「藁にも縋りたい」っていう気持ちはわからなくもない。大事なものなんだから、必死で見つけたいんだろう。
 でもそれなら余計に、「このツイートを見た人が積極的にリツイートしたくなるような文章にしなきゃ」とは思わないんだろうか?そうするなら「母が祖母から貰った大切な傘らしいので」っていう伝聞じゃ弱い。更に言えばその逸話が、だから「何故大事なのか」が書かれてない。
 はっきり言ってしまえば、この文章じゃリツイートしたいって気持ちに駆られないというか。穿った見方だとは思うけど、そんなに重要じゃないんだろうな、と思ってしまった。
 まあ、140字っていう制約があって、それがTwitterの流行った一因でもあるから、そこから訴えかけるってなると有名人でもない限り難しいだろうね。そんなの私でも出来んわ。

 だからこそ「【拡散希望】」が流行ってる今にうんざりする。
 拙い文章力でも必死に見せる方法はたくさんある。さっきのツイートを例にするなら、必要な部分(赤い蛇腹の女性用傘)を際立たせるために要らない部分(ビニール傘、横浜で下車等)の削除、最後はもっと謙るというかせめて「ご連絡お願いします」にする、「!」を使う、「忘れ物センターに行ったけど無かった」「どうしても見つけたい」って書くとか。

 拡散してほしいなら、せめて文章の推敲ぐらいしろよと。
 それすらせずに、拙い文章というか、訴えかけるものが何もない「【拡散希望】」を見ると、自分のツイートを拡散させて「やべー俺有名人www」とか悦に浸りたいんじゃないかと思う。もしくは、さっきも書いたけど「この情報をこの人は本気で欲しがってないんだな」と思う。

 …まあ、結局言いたいのは。
 「専門機関を無視するな、もっと頼れ」ってのと、「それでも無理でどうしても【拡散希望】使いたいなら、もっとたくさんの人を引き付けるような、良心を擽るような文章にしろ」ってことです、まる。はい終わり。


 リツイートなんてほんと片手間で出来るし、それくらいやれよって言われたらそこでおしまいなんだけどね。実際、そういう情報を(例えそれが、リツイートした本人の役に立たなくても)リツイートする人を私は心から尊敬するし。リツイートは言ってしまえば「良心の塊」だからね。
 結局私はものすんごい物ぐさだったってことですごめんなさい!/(^o^)\

 …まあいいや。腹減った、飯食おう。

叩かれて潰れる人間はそこでおしまいってことだ

 だからといって積極的に潰したいわけじゃない。ただ私は自分の意見を述べたいだけで、それを拾うか無視するかはその個人の勝手だ。

 だからこれは、私の意見、一個人の意見なんだけども。

 文芸って本当に発言するの苦手っていうか、消極的だよね。そこにもやっとした。文芸なのに自分の意見も言えないのかと。
 「言葉で喋れない分文章で語る」なんていう人が居るけど、うまく言葉に出来ない人が、本当に文章に出来るのかな。逆も然りだよ。自分が口にしたくないような言葉を、口にして恥ずかしい言葉を、文章にするのかな。それって、何かおかしくないか?

 もしかしたら、その人の中でぐるぐる渦巻いてるのかもしれないけどさ…。
 その「ぐるぐるしたもの」を言うのが合評であって、たとえそれが作者に対する言葉じゃなくて、同じ立場の、だから合評してる人に向けての言葉でも、言わなきゃ意味が無いわけでさ。

 割り切れてないのは私の方なのかもなー…。
 いっそ「別に誰がどうなろうが知ったこっちゃねーしw」で片付けられたら楽なんだろうけど…。

 「上手く言えない」「何を言ったらいいのかわからない」のは、そんなの人間得手不得手があるんだから、仕方ないことじゃないか。特にあの授業の合評は上回生の人が多いからハイレベル過ぎて、私だって付いて行くのが必死で、まとめるのだって下手くそなんだし。人のことは言えないさ。
 でもハナっから「言いたいことはあるけど言わない」のはどうなの?自分は言わないくせに、自分の作品を合評してもらうつもりなの?それは、あまりにもおこがましくないか。
 作品を出さないならわかる。何か別の理由があって、何か他に求めるものがあって来てるんだろう。ただそれで作品を出すって言うのは…礼儀知らず過ぎないか。
 編集長とかの仕事ならともかく、これは仕事じゃないんだからさ。特に聴講の人なんて作品も出すのも自重してるわけだし、本当にボランティアじゃないか。

 せめて合評してくれてる人の作品に対しては、誠意を示すというか、礼を兼ねてというか、そういう気持ちで合評してほしいと思うんだよ。勿論、作品を出すつもりの人だけでいいけどさ。
 合評して得るものがあるのは、作者だけじゃなくて私もだからそう思うのかもしれないけど。

 はー…なんか疲れた…。
 絶対いま顔怖いわ…ニコ動でニコニコします…。
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