ハロウィンと私

物心つく前から、ハロウィンの時期になると母がお菓子の詰まったかぼちゃグッズをいつも用意していました。
日本では1970年代にキディランドが扱い始めたと聞きますが、母は幼い頃から海外に憧れていて、海外ドラマなどが好きだったり、ヨーロッパの子と文通などしていたから、自然に取り入れていたのでしょうね。
と言っても何十年も前の話なので、まだまだ一般的ではなく、昨今のような大騒ぎするイベントではありませんでした。
我が家でも別に仮装して練り歩いてお菓子をあげたりもらったりするわけではなく、ただ家でかぼちゃグッズを飾るくらいで、私にとってハロウィンは「かぼちゃとお菓子(と黒猫)のお祭り」という認識でした。

ハロウィンがメジャーなイベントになり始めたのは1997年にディズニーランドがイベントを始めた頃からなのかなと思います。
2000年代くらいは”Trick or treat”と言いながらお化けとかに仮装した子どもたちがお菓子をもらうイベントというイメージだったと思うんだけど、だんだん大人が仮装して大騒ぎする「コスプレイベント」と化してきた気がします。
そもそもハロウィンは、確かケルト民族のお盆みたいなイベントで、死者とともに出没する悪霊に襲われないよう、同類の悪魔やお化けなんかに仮装するというようなことが由来だったような。
私も全然詳しくないし、結局主旨がずれているとは言え、かぼちゃ祭りとしてひっそり楽しんでいた身としては「なんか違うような…」と思っていました。

ここ数年、渋谷の大騒ぎがニュースになっていたけど、今年はまた酷かったですね…。
大勢で軽トラ乗って倒して…完全に犯罪だし、酔っぱらいが悪乗りした主義主張のない見苦しい暴動にしか見えず、見ていて恥ずかしいし情けなかったです。
クリスマスもバレンタインも日本流にアレンジして本来の主旨とは違っているとは言え、大抵平和に楽しんでいるのに、なんでハロウィンはこんなことに…。
まあ各地で行われているハロウィンイベントもほとんどが穏やかに楽しんでいるものだろうし、世の中の大多数の人はハロウィンに積極的に参加するより一歩引いて傍観しているだろうけど、だからこそ一部の人がハロウィンのイメージを悪くするのが悲しい…。
出来れば今後もかぼちゃ祭りとして楽しみたいので、騒動がなくなって平和な仮装イベントくらいになってほしいです…。
続きを読む

最近思ったこと

最近ほんとに「言ったもん勝ち」みたいなところが世界的な潮流としてあるのかなあと思います。
もちろん自己主張することは大事なことだけど、なんかもう「自分さえ良ければいい」主張を声高に(ここ重要)言い張れば、周りがしぶしぶ譲るというか…。
こんな世の中でいいのかなあ…。

日本も最近そんな雰囲気が漂ってきた気がする。
周りのことはお構い無しで自分に都合のいい主張のみ繰り返し、批判には耳を貸さないどころか逆ギレするモンスタークレーマーが増えているような…。
そうならないよう自戒せねば。

ところで、見たことない進路の台風が心配です…。
関東は今まであんまり雨が降っていないけど、 西日本はもういいでしょ…。
しかし某ワイドショーで時間を台風の進路と降雨量を時間を追って予想してたとき、
「うわ、やっぱり西日本行くかあ…」
と思ったタイミングで、
「まだ関東に雨が降っているんですね」
とコメントした司会者に「え?そこ!?」と驚いたのは私だけ…?
これ、全国放送だよね…?
関東だけの番組だったのかな?

入院生活

日付・曜日感覚が無くなるので、なるべくニュースを見たり、「今日は何日、何曜日!」と認識するようにしています。
いつまで続くか分からない、無事に済むのかも分からないのは不安ですね。
私は天気予報が好きで、テレビでやっていたら絶対見てたんだけど、入院してからは
「今の私は直接体感できないんだな」
と思ってしまう。
何だろうな、仕方ないんだけど、世の中からの隔絶感。
長く闘病している方はどんな気持ちなんだろうな。

なんかすごく気が滅入ってきたので、ちょっとだけ窓を開けて空気を入れたら、外の音と風で少し気が紛れました。

優しい理由

東日本大震災の時、どこかの不動産屋さんか建設会社だったと思うんだけど、被災地の管理物件の住人への差し入れとして東京からあんぱんを持って行ったと言う話を聞いたことがあります。
もっと違うものがいいんじゃないかという意見もあったけど、「絶対あんぱん!」と言った方がいてあんぱん。
住民の方は「甘いものがなかなか無くて欲しかった」と喜んでくださったそうです。
そしてそのあんぱんと主張された方は阪神大震災で被災した自分の経験から提案したということです。

誰かの優しさや気遣いというのは、元々の性格や躾などもあるでしょうが、自分の苦しかったり辛い経験によるものだとしたら、優しさってちょっと切ない。

味の記憶

パートさんの義理のお母さん手づくりの草餅をいただきました。
一口食べたところ、昔おばあちゃんが作ってくれたおまんじゅうに似ていてびっくりしました。
ドラマとかで、懐かしい味に一瞬止まってしまうシーンを見たことあるけど、あれ本当にあるんだね。
懐かしさや、もうおばあちゃんいないどうしようもない寂しさとかがばーっと押し寄せてきて、二口目がなかなか食べられませんでした。
我慢してたんだけど、食べながらちょっと涙が滲みました。

大切な人を亡くすと言うことは、何年経っても寂しさが消えるわけではないんだな。
日常生活に支障が出るから脳が思い出さないようにコントロールしているだけで、何かのきっかけで堰を切ったように溢れてしまうものなんだな。
天寿と言えるおばあちゃんですらそうなんだから、不意に亡くしてしまった方の悲しみや苦しさはいかばかりかと思います。
多分抑えることすらずっとできないと思う。
そういう悲劇が、なるべく起きないといいんだけどな…。

カレンダー
<< 2024年03月 >>
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
アーカイブ