話題:健常者と障害者
障害者保護。言葉にすれば簡単だが、本来はどうあるべきなのだろうか?
誤解を恐れずに言うのなら、競争こそ人間の原点と考えている私は、障害者だからと言って保護する必要があるのだろうかと、疑問を持つ事は少なくない。
1961年、「身体障害者をさらし者にするのか」との世間の反対を押し切り、第1回大分県身体障害者体育大会を開催。
この時の中心人物が故中村裕(ナカムラユタカ)、1984年7月23日 死去。享年57才。
障害者スポーツの発展に力を尽くした生涯でした。
昨今、パラリンピックの報道では、口先だけの感動の押し売り。逆にしらけてしまう。
障害者の中には、自分は障害者なのだから親切を受けて当たり前と考えている人間さえいる。
それでも、彼は障害者の自立に本気で挑戦したのだ。
1965年には身体障害者の職業的自立を目指す社会福祉法人太陽の家を別府市に創設。
「保護より機会を」
「世に身心(しんしん)障害者はあっても仕事に障害はあり得ない」
を理念としました。
多くの企業が賛同し、重度障害者が納税者に変わったのです。
口先だけの福祉、弱者をアピールする偽の正義。甘えるだけの構図。
本当に障害者の事を考えるなら、今こそ故人の理念を見つめるべきではないのだろうか?
何時もコメントありがとうございます。
おっしゃる通りです。
確かにある程度の保護は絶対に必要なんです。
しかし、過剰に保護したり、特別視しては絶対に自立出来ません。
中村裕氏は将来を考えて、自立する方法を模索しました。
下らないマスコミの偽善的番組より、ずっと前から行動していたのです。
甘やかしはしない!だが、チャンスをくれと訴え続けました。
それこそ本当の障害者支援ですよね。
世の中の“弱者”と呼ばれる方々…
弱者を保護するのは強者の義務だと思います。
それは主に男の役割なんですが…(苦笑)
だけど、過剰に“保護”するのは、単なる“甘やかし”になり、逆差別とも言えますね。
よく●時間テレビとかで、過剰に“可哀想”だけど“頑張ってる”アピールしてお涙頂戴ドラマを押し付けて来ますが、あれこそ弱者や障害者を祭り上げて正義の押し売りしているようにしか見えません。
当事者より、裏にいる連中の“自己満足”の邪悪な顔が見え隠れして気分が悪くなります。
本来なら、健常者と同等に扱わないと差別はなくならないと思います。