白いシャツに細身のタイをゆるく締め、下はブラックジーンズ。
さらりと羽織っている黒いテーラードジャケットの胸元にはチェーンブローチがさりげなく煌めいている。
雑誌の中から抜け出て来たようなその姿に青木の目は釘付けになる。
「ま、薪さ…っ」
今までスーツ姿やシャツ一枚だったりは見てきたが、こんなにきちんと私服を纏っている薪を見たのは初めてだった。
(普段も異常に若いけど、私服だと余計に…ていうか可愛い!もう本気でいくつかでわからん…)
これを連れて歩くのかと思うと、改めて自分の格好が恥ずかしくないか見直してしまう。
「なんだ?もう行くなら、車をだしてこい」「はい…」
この人自覚無いのか…。さらわれたりしたらどうしよう…。
そんな一抹の不安を胸にしまいこみ、青木は目的地に車を走らせた。
「わぁ、凄い人ですね!」
「随分と人気があるんだな」
流石にオープンしたてなだけあって、水族館は人でごったがえしていた。
到着して早々薪は気持ちが折れそうになる。人込みは得意じゃない。
「っ」
いきなり手を握られ、驚いて顔を上げると、青木のいたずらっこのような笑顔があった。
「大丈夫、誰にも見つかったりしませんよ」
こんなに人が多いから、と笑いかける。
「…どこにいても楽しそうな奴だな」
そういって少し顔を赤らめながら握り返して来た手が愛しくて、青木は思わず顔がにやけてしまう。
手を繋ぎながら、広い水族館の中をゆっくりと見て回る。
(完っ璧にデートだ…)
喜びを噛み締める青木を余所に、意外にも薪は水族館を満喫していた。
先程から分厚いガラスに顔を近付けてみては、水槽の内部をじっと見ている。
「そんなに見つめたらハコフグが照れちゃいますよ」
「ハコフグ?どれ?」
これです、薪さんの目の前にいるなんとなく四角いやつ…。
と青木も少し屈んで、ガラスに顔を近付ける。
「あ…」
すぐ横に薪の横顔がある事に気付いて青木は赤面する。
ゆらゆらと、水槽の光が大きな瞳に映って輝いていて、もう説明どころではなくなってしまう。
(…綺麗だなぁ)
「…青木、どれだって?」
振り向くと青木は水槽でなく自分をじっと見つめていて、薪はかぁっと顔が熱くなる。
「〜!魚じゃなくて僕を見にきたのかお前はっ」
あまり沢山話した訳では無かったが、二人はほとんど全ての水槽を時間をかけてゆっくり見て回った。
青木には圧倒的に魚より薪を見つめる事に夢中になっていたが…。
「いやー、楽しかったですねぇ」
出口付近に造られたカフェに二人は立ち寄り、歩き回った疲れを癒していた。
「思ったよりはな…というかお前はろくに見てないだろ」
「楽しそうな薪さんを見るのが、楽しかったです」
「……」
あ、そうだ、ちょっとここで待ってて下さい。
青木は席を立つと、カフェと隣接した土産物屋に入っていった。
(まさか職場に土産なんてバカなこと考えてるんじゃ…)
「お待たせしました」
戻ってきた青木の胸元には大きな包みが抱えられていた。
「これ、薪さんに」
そう言って取り出したそれは。
「ハコフグ…?」
大きなハコフグのぬいぐるみ。
「はい、薪さんすごく見入ってたから、気に入ったのかなぁと思って!」
「……」
薪はそのぽかんとした顔のぬいぐるみを、じっと見つめる。
ぬいぐるみなんて…僕の歳忘れたのか?
それに、僕は結局どれがハコフグか判らなかったのに。
お前が僕ばかり見ていて説明を忘れたから。
「あ、気に入りませんでした?」
スミマセンと頭をかく青木を見ていると、なんだか言いたかった文句もどうでもよくなってくる。
「…ふふっ」
「え、俺なんかしましたか!?」
薪は珍しく声をあげて笑った。
慌てる青木があまりにもおかしくて、可愛くて。
「いつまで笑ってるんですか〜」
「あはは、青木、…はぁ、ちょっと、耳貸して」
「はい?」
素直にテーブル越しに近付いた青木の頬に、薪は軽くキスをした。
「…な、薪さ…」
「ありがとう」
薪は天使の様に微笑んで、はっきりとそう言った。
今日ばかりは青木も、周りの目がある事に感謝した。
もし居なかったら、すぐにでも抱き締めてしまいそうだった。
きっとどんな夜景も、花火も、美しい風景も、この人の前ではただの背景になってしまうのだろう。
「そんなに驚かなくても。大丈夫、こんなに人が居るんだから」
誰も気に止めやしないさ。
そういって薪は、青木の気も知らず、悠々とグラスの氷を掻き混ぜた。
(終)