昨日はかなり具合が悪くて、一時はどうなるかと思った。夜中にやっと落ち着いて、ようやくご飯とお風呂。その反動か、今日は眠れなくてお昼に起きてしまった。急激な気温低下で体がおかしくなりそう。


 東京オリンピック・パラリンピックを来年に控え、パラリンピックに出場候補の試合が夜中に放送されている。
 夜中は録画した番組を観る時間なのだが、ちょこちょこ気になって障害者の競技を観る。勝利、メダル獲得した選手にインタビューするのはスポーツ中継では必ずあるものだが、時々観ていると選手たちがインタビュアーのアナウンサーの質問に言葉が出なくて苦しんでるように見える。
 Twitterにも書いたが、障害者の人たちの中には幼い頃から手術や入院したりして家が貧しかったり、病弱で満足に学校に通えなかったり、また知的障害があり難しい話はわからない人もいる。アナウンサーは普段健常者のスポーツを見てきた人たちだろうから、障害者の個人差や多様な障害について熟知されていないだろうと思う。しかし、特別扱いしないでくれているのは有難いが、健常者のようにいつもアスリートは注目されにくい現状も考慮して、自然な感想が出るようにリードして差し上げてほしい。健常者みたいに質問攻めされても何て答えていいか困っている選手がたくさんいるようなのだ。
 アナウンサーは名門大学を出て、優秀な方ばかりだから、つい専門的なことまで質問してしまうのだろうが、身体障害者も知的障害のある方も、プレーがよくやったなら褒めて気分を良くさせて言葉を引き出すことが大切なように感じる。
 こういう点でも日本はまだまだ障害者に対して慣れていないように見受けられる。障害者を長い間、隔離したせいで障害者が身近じゃないからしょうがないけど、来年のパラリンピックまでには理解がもう少し広まってくれたらいいなって私は願っている。

 私事だが、これまで人生のほとんどを健常者の社会で生きてきた。人と知り合い親しくなるとだいたい言われることがある。
「どう(対応)したらいい?」
 私はそう訊ねられると、普通にしてくれて構わないけど段差があるところは手を貸してね、とか言う。困ってる時は助けてと言うだろうし、無理そうなら手を差し伸べて助けてくれればいいだけなのだが、相手としては内心は物凄くパニックなのだろうね(笑)。いや、難しく考えなくていいの、本当に。
 障害者が生活や就労先などで当たり前にいる社会に早くなってほしい。そうすれば、私たち障害者はもっと人生を楽しむことができるし、健常者の人たちも人を労る気持ちが自然なかたちで育っていくと思うのだ。

 街で出会うアメリカ人でもフランス人でも、障害者が目の前にいたら黙ってドアを押さえててくれるし、困ったとき親身になってくれる通りすがりの人に今までたくさん出会った。あのスマートさが日本にはないのだ。せいぜい毎年八月の『24時間テレビ』で感動してその時募金するくらいで、一向に理解が進まないのは先進国として、みっともないぞ!!…なんぞ、偉そうなことを書いてみた(笑)。






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