お彼岸中日の疲れが爆発し、たくさん眠った。とにかくよく寝た。今日、夕方起きてカーテンを開けたら庭の桜のてっぺんに一輪の花が咲いていたが、雪がちらついていた。まさに花冷え。寝起きと同時に開けた窓から冷たい風が入り込むのですぐ閉めた次第。一昨日まで春を感じたのに。とはいえ、三寒四温でまたすぐに暖かくなるだろう。

 私の大好きな詩人の一人・中原中也が、生前に刊行された唯一の詩集『山羊の歌』をサインつきで、ある女性に贈った。そのサインとともにあった宛名の女性は誰なのか。以下、ややこしい話になりそうだが書いてみる(笑)。

 山口市の中原中也記念館が、ファンから寄託された署名入り詩集の宛名にある『矢追順子』の身元について情報提供を呼び掛けている。
 サインした山羊の歌を志賀直哉、川端康成など文学関係者や親戚に贈ったが、この女性だけ中也との関係が分からなかったという。そこで昨年、記念館の公式ホームページで情報提供を呼び掛けたところ「歌手『矢追婦美子』と関係があるのではないか」との情報が寄せられた。この歌手はオペラ歌手なのはわかっているが、同じ苗字の『矢追順子』と何か関係があるのではとか、姉妹なのではと憶測が飛び交っているが正確な情報は見つからなかったらしい。
 中原中也の元恋人で彼のファンには有名な女優の長谷川泰子の戦前の芸名は「陸(くが)礼子」。その名付け親は、矢追婦美子が主題歌を歌った映画の一つ『海の王者』(1932年)を監督した清水宏だった。清水宏監督といえば、小津安二郎監督や溝口健二監督が憧れの巨匠と尊敬し、田中絹代の元夫としても有名。
 中原中也は長谷川泰子と別れても時々会っているのがわかっているので、彼女を通じて矢追婦美子とも交流があり、その姉妹の「順子」とも知り合いだったのかもしれない。

 とにかく中原中也という人は女がらみの謎が多い(笑)。もしかすると太宰治よりも女好きだったかもしれない(笑)。わずか三十年の生涯だったがたくさん恋をしたようだ。資料があまり少なくて謎が謎を呼んでる。
 しかしながら今でもとても人気は絶えず、私も十代の頃に夢中になったものだ。風貌は俳優の三上博史さんにも似てハンサムで、病弱なのも儚げで母性本能をくすぐる。そんな彼の恋愛なんて調べるのも野暮かもしれないが、その時代の文士の暮らしこそドラマチックであり、現代人の恋愛よりも激しく純粋なので何かしらわかったらドラマ化にもなり、リアリティーが増すものである。インターネットが普及した今なら何かわかるかもしれないね。恋する中原中也の姿がまた新たに見つかるかもしれないと思うと、胸の奥が少しキュンとしている私だった。









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