今日は沖雅也さんのご命日だった。もうあれから三十四年が経ってるなんて驚くばかりだが、月日はあっという間ですな。幼かった私も中年になり、沖様の歳をどんどん追い越している。

 年明けの頃だったか、つかこうへいさんの劇団にいらっしゃった方からメールをいただいた。その方Aさん(男性)は82年頃に劇団に入られて、沖様がつか氏の演出に興味を持たれて何度も公演に足を運ぶ姿を見ていたんだという。スターなのに、こんな劇団の芝居に興味があるなんてって思っていたそうだが、お稽古の様子も見学され、やがて生前最期のドラマ『蒲田行進曲』の銀四郎を演じることになるが、Aさんは下っ端の劇団員でお金もなく雑用に追われ毎日お腹をすかせていたそうな。食べる余裕もないのでふらふらしながら帰り支度をしてたら、沖様から「ラーメンでも食っていくか?」と誘われ、彼の白いベンツへ乗せられたという。Aさんは本当は早くアパートへ帰って銭湯に行きたかったそうなのだが、空腹も耐えられなかったので有難かったという(笑)。
 着いたところはラーメンの屋台ではなく、当時としては珍しい深夜も営業している小洒落たレストランだったそうで、汚い格好のAさんは恐縮したらしい。「何でも好きなの注文しろよ!!」と沖様に言われ、お言葉に甘えてお肉を注文。そしてサイドメニューが次々と運ばれ、空腹が満たされたと思ったら、朝まで沖雅也流の演技論を聞かされたのだそうだ(笑)。すべてが格好良かったとAさん。ボロアパートまで送ってくれて、お茶を出したら「こんな汚い部屋初めて見た」と笑っていたとか。その数ヶ月後、沖様は旅立たれAさんは衝撃を受け、つか氏の激しい指導にも我慢できずに劇団を退団してしまったという。
 そのAさんは今、裏方のベテランで数々の舞台の演出を出かけている方なのだが、その夜の沖様の男気溢れる優しさを時々思い返しては懐かしさに浸っているという。何とも羨ましい話である。
 たまにこんな沖様の秘話を教えてくださる方からメールをいただくことがあり、本当に貴重なお話ばかりで中には胸にしまっておきたい話もあるが、できるだけ皆さんにもお裾分けしたいと思っている。どれも素敵な沖様がそこに居て、彼は確かに生きていた。大切な大切な出来事。もう本にまとめたいくらいだ。