皆さんこんばんは


続きですφ(.. )

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剛志 じつは経済学も、現実から乖離した抽象化によって失敗しているという点では同じです。とりわけ数理経済学は、非常にバカげた学問です。数理モデルを駆使して社会現象を説明するのですが、最初に環境から切り離された「個」としての人間を設定する。そして、個の利益を合理的に追求するとこうなる……といった具合に計算を積み重ねる。
そのような数理モデルではなぜ人間が社会のルールや制度に従うのかは説明できないとされていたのに、経済学者たちは説明できると言い張るようになった。自己利益を最大化するためには制度に従っておくほうがいいからであって、それを前提にすれば数理モデルで社会現象を説明できるのだと。
信子 しかし、効用関数が定義できないと、これを示せないのが弱点ですね。
剛志 そうです。その制度に従って得られる効用を数値に置き換えないといけない。ところがこれはなかなか数値化できないので、適当に置いてしまう。
もう1つの根本的な誤りは、社会の構成員が二人ぐらいであれば損得を計算して制度に従ってくれるかもしれないけど、三人、四人、五人になるとだんだん難しくなって、社会や国のレベルになるとほぼ不可能になり、計算できなくなってしまう。
信子 砂の上に高層建築を建てようとしているようなものです……。
剛志 これについては、エドマンド・バークよりもう少し早いスコットランドの経験論哲学者で保守主義者のデイヴィッド・ヒューム(1711〜1776)が『人性論』という著作の中で書いています。
自己利益の計算の結果としての協力行動は二人ぐらいならできるけれども、村レベルだと難しく、国レベルになると絶対に不可能だと。つまり、社会というものは知性によって結びついているものではないのです。それでも人間は、社会がないと生きていけない存在だとすれば、社会は知性以外のもので統合されていると言わざるを得ない。
信子 経済学にも二つのグループがありますね。効用関数から積み上げたモデルが有効だという立場と、全体の社会構造から分析すべきという立場と。
剛志 後者のグループは、いかにも全体主義的というか、国家主義的になってしまう。
適菜 うん。
剛志 だから、みな個から積み上げる前者のグループのこと行きたがる。
信子 惹かれる気持ちはわからないでもないですね。理系の素養がある人なら、一度は試してみたくなるでしょう。
剛志 しかし、約300年前にヒュームによって論駁されています。
信子 たしかに、経済学そのものが、人間という存在の本質を根本的に誤解したところから始まっているような気もします。要素還元論的な手法一辺倒では、間違った結論を導いてしまいかねない。経験則に基づいて感覚的に捉えられた、現実社会の人間の姿を、常にフィードバック情報として使うのでなければ、理論だけでは、理論上の結論が導き出されるだけですね。
適菜 行動経済学はそのあたりは織り込み済みなのでしょうか?
剛志 主流派の経済学よりはだいぶ良いですが、やはり「個」の積み上げの傾向はありますね。





半端ですが続きはまたいずれ( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆