室内に通されて、まず目に入ったのはなだれを起こしかけている箱や袋の山だった。
色とりどりの包装を施されたそれらは机の上に無造作に置かれ、殺風景な部屋の中でその一角だけが浮彫りになって見える。
部屋の主にしては珍しいその有様に軽く目を見張っていると、困ったような笑い声が聞こえた。
「見苦しくてすまない。片付けてる暇がなかったんだ」
「いや、どうってことねぇけどよ……これ、どうしたんだ?」
山積みなったものを指差して問えば、眉尻をさげてフレンはユーリを見つめた。それが捨てられた子犬のようだと内心で思いつつ、ユーリは目前に広がる包みの一つを手に取った。
僅かに漂う甘い香りからして、中身は菓子類であることが分かる。そこでユーリは一瞬、顔を顰めた。普段なら好ましい匂いな筈なのに、何か違和感を感じた。
「僕宛てに送られてきたものなんだ。贈り物の類はいつもだったらソディアが管理してくれてたんだが、彼女は今、城を離れてるからね」
言いながら真似るようにフレンも手近にあった袋を手に取った。普段身に着けている鎧は脱いでいる為に、戦う者にしては繊細な手が露になっている。
細かに動く白い指先をユーリはぼんやりと眺めていた。だが、フレンが包みを開こうとした瞬間、思い出したように直ぐさまそれを取り上げる。そして、まるで汚い物でも扱うかのように机に放り投げた。
突如起こしたユーリの行動に、フレンは最初はただ驚いていたが、次第に己の私物を無造作に扱われたことに眉を寄せる。
「急になにするんだユーリ」
「差出人の控はあるのか?」
「えっ…?」
「だから、これ持ってきた奴の名前とかメモってあんのかって聞いてんだよ」
暗に問われた内容に戸惑ったが、理解すると同時に緩慢な動作で頷いた。それを見たユーリが、贈り物を運ぶのに近くに置いてあった大きな袋を手に取る。
何をするのかとフレンは訝し気にユーリを見つめていた。そして、山を成している机に向かうユーリの背中をただ眺めていた瞳が、瞬く間に瞠若の色を拵える。
用意した袋の中にそこにあった全てのプレゼントを、乱暴な手付きで収め始めたからだ。
突拍子もないユーリの行いにフレンはただ呆然としていた。何の脈絡もないユーリの言動はしょっちゅう見てきたが、そこには必ずユーリなりの理由なり意図なりがあった。だから、これにも何か訳があることは想像できるが、如何せ不可解すぎる。
フレンの視線に気付いたのか、ユーリは振り返った。既に机上に置かれた荷の全ては、大きく膨らんだ袋の中にある。
「他にはないのか?」
「ない、けど……」
それをどうするつもりなんだ、と言おうとした所でユーリは窓に向かい走り出した。小脇には先程の袋が当たり前のように抱えられている。
「ユーリっ!!」
勢いよく窓の外へと飛び出したユーリを止める間もなかった。ガサガサと木から木へと跳び移る音を耳に、フレンは慌てて窓枠へと駆け寄る。
だが、もうそこにユーリの姿はない。それに小さく舌打ちをするなり、周囲を確認してから、フレンも窓枠へと足をかけた。
こんな所が騎士達に見つかれば、団長としての威厳がなくなってしまう。只でさえ、未だ成り上がりのくせにと囁かれることも少なくないのだ。
だけど、それ以上にユーリが何をしようとしているのか確かめなければいけない気がした。
フレンは一度大きく深呼吸をしてから、太い枝へと飛んでいった。
地面へと降りてすぐの城壁を左に曲がると、目的の人物はすぐに見つかった。
フレンは乱れた呼吸を整えながら、ユーリが足早に進んで行く先を見て驚愕する。赤い炎を揺らめかせるそれは、城の不用物を焼き払う焼却炉があるのだ。ここまでくれば、この後の展開は嫌でも分かる。
流石にこれは止めなければと思い、フレンは駆け寄るが、僅かにユーリの方が早かった。
「待て、ユーリ!!」
フレンの叫び声と同時に、ユーリは持っていた袋を焼却炉へと放り込んだ。
一瞬にして炎に包まれたそれは、もくもくと黒い煙を噴きながら、嫌な臭を発する。ツンと鼻をつく刺激臭にフレンは思わず手で口元を覆った。
対してユーリは無感動にそれを眺めていた。だが、瞳は険しいもので、赤黒く燃えていく贈り物たちを睨み付けるように見つめている。
一体全体、彼は何がしたいのだろうか。
自分の私物、ましてや好意で贈られた物を燃やされたのだ。意味などないとは言わせない。本来なら怒るのも当然のことなのだから。
「ユーリ、なんで…」
「嫌な臭をだしやがる…」
「は…?」
「流石はそれなりに強烈なもんを使ってるってことか」
ぱちぱちと燃え盛るそれを見つめていた瞳がゆっくりと向き直り、フレンを捕らえる。
向けられた視線があまりにも厳しいもので、フレンは肩を竦めた。炎の赤が、ユーリの顔を照らしている。
「優秀な副官に感謝するんだな。じゃなきゃお前、今頃ここにはいないぜ」
紡がれた言葉の真意が読めない。何故いきなり今ここにいない人の話題が上がるのか。
フレンの心情を察したのか、ユーリは眉を寄せる。はっきりしない態度は彼にしては珍しいな、などとフレンは思った。
「毒薬が入ってる」
ただ一言告げられたそれに、フレンは目を見開く。
今、言われたことな筈なのに、頭の中にはまるで入っていかない。
「それって…」
「お前を狙ってたんだろうな。まぁ、全部が全部って訳じゃないだろうが、用心するに超したことはない」
誰かが何を思ってのことかは到底知りえないが、お人好しのフレンが贈り物の類を無下にする訳がないと予想してのこと。つまり、善意ではなく、確かな悪意を担った進物が、フレンのもとに届けられていたのだ。
そして、ユーリはそれを見切っていた。杞憂ではなく、真実だということは、漂う臭気で分かる。
まだ騎士に成りたての頃、演習の一環として嗅いだことがあった。それも同じように、鼻を刺すような臭を放っていた。
人の良心に付け込むようなやり方が許せない。だが、何よりも気がつかなかった自分がフレンは情けなかった。
自分の身もろくに守れない己の不甲斐なさを悔やむと同時に、じわじわと哀しみが広がっていく。
こうしてユーリは誰かを守るのだ。自分がどんなに悪く思われようとも、それを厭わないで。
だけど、誰かを守る為に自分の手を汚すというのは、決して辛くない筈がない。
ユーリがそんな思いをしなくてもいいように、一人で罪を背負わなくてもいいように、夕日照らす空の下で約束したのに。剣を交えたあの日、心に誓ったのに。
「ごめん、ごめんね……ユーリ、ごめ…っ」
「バーカ、された側のお前がなんで謝ってんだよ」
おどけた調子で笑うユーリに、フレンはとうとう目も合わせることが出来なくなった。
ユーリが言うように、あの贈り物の中の全てが毒物だった訳じゃない。親切心だったり、敬いだったり、あるいは敬愛だったり。
それらの気持ちも一緒に火の中へと放り込む時、ユーリは何を思ったのだろう。そう考えれば考えるほど、やるせない想いが募っていく。
嘆きも泣きもしない姿は、強く気高い。その様が切ないのだと言ったら、彼はなんて言うのだろうか。
じわりと滲んでいく視界が黒に包まれ、背中に温もりが触れた。ユーリの腕の中にいるのだと気付いた時にはもう、焼却炉の中身は燃え尽きていた。
「オレはお前を守りたいだけなんだよ」
一言ぽつりと零された言葉は、フレンの心に鋭く突き刺さり、そして溶けていった。
お前を守る為なのなら、
(非情にも、非道にもなれる)
例えそれでお前が泣いたとしても
それは過ちに似ていた