でてくるひとたち
わたしの肩で泣いてもいいよ
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それから新しい購読者さん、こんばんは。
飲み会のお話。つづき、つづき。
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駅の裏側の路地を奥に入っていった先にある居酒屋はあの頃と何も変わっていない。暗めに落とされた照明と、結構な音量で流れるジャズのBGM。アシンメトリーな掘りごたつが個性的な個室。なにより濃いお酒が出てくるところがみんなのお気に入り。
わたしたちのゼミが集まってお酒を飲むのは、ほとんど決まってここだった。だから卒業してから集まるとなっても、暗黙のうちにこのお店に決まる。
男のひとは先生と2人の先輩だけ、あとの7割は女の子たちっていう集まりなくせに、空になるグラスの量は半端なものではなくて。そしてみんながみんな、いかにもお酒は飲めなさそうに見えるところがたちが悪いのだと、まわりの人は口をそろえて言う。
飲み始めて2時間もすると、もう収拾がつかなくなって。
わたしが一緒に飲んでいた友だちもひとりが泣き出したかと思うと、しまいには女の子同士抱きあっている。それを眺めているのは、ぜんぜんきらいじゃないけれど。ふたりとも、とんでもなく可愛いし。
そうなってしまうと、黙ってBGMを聴きつつ、強いお酒を飲むことにしている。世界はわたしから遠くなって。懐かしくって。一生このままこうしていたいと思う。
そうしているとね、ほら、先生がつまらなさそうにしているから、グラスを持って隣までゆく。
先生がまたあの困ったような悲しげな表情をする。そんな表情になんて、もう揺らがないよ、わたしは。
黙って先生を見る。あの頃の生意気なわたしが戻ってくる。いや、もともとどこにも行っていなかった?先生の目は「何か言って」とわたしに訴える。実際に何度も口にしてそう言われたこともあるし。沈黙を扱えないひととは、
恋愛なんてできないよ、ねえ。だからわたしはあえて、何も言わない。
先生のグラスが空きかけていたから、ウイスキーのオン・ザ・ロックをふたつ頼む。
「なんでお前そんな度数の高いものを頼むんだよ」
「先生が飲まれないなら、わたしが2杯ともいただきますよ」
「また酒に強くなってないか?」
「MEOSを鍛えてるのかもしれないですね」
「肝臓が壊れるやつな。ダイエティシャンがそんなんでいいのかよ」
「本職じゃないんで、いいんです」
先生が距離をはかりかねているのが手に取るようにわかった。なにか言おうとしたのに、またつぐまれた口元を見る。先生はグラスに視線を落として、わたしの視線から逃れる。
小さな苛立ちがふくれあがる前に、目を閉じる。BGMに意識を向ける。Autumn Leaves。トランペットはマイルス・デイヴィス。ミュートが素敵すぎる。よのもとくんの部屋で何度も何度も聴いた曲。そんなことをぼんやり思うと、思わず口元がゆるむ。
ふわり、またまわりの世界が遠のく。掘りごたつの下で、つま先で先生の脚に触れる。あの頃、よく先生がわたしにしたみたいに。あの頃、先生が黙って仕掛けてくることは全部拒まなかった。
目は伏せたまま。肘をついて、表情を見せないようにする。先生が顔をあげてこっちを見るのが気配でわかった。
それはそのままにしておいて、今度は脚を絡める。
先生が飲み会のたびにわたしにしたことを思い出しつつ、それをわたしから仕掛ける。
テーブルの下で、先生の太ももに手をのせた。
顔をあげると、先生の目には明らかに狼狽の色が浮かんでいた。それからまたあの困った顔をする。
「懐かしくないですか?」
わざとに聞く。もしまわりに聞かれていても、この集まりのことだと思われるでしょうね。先生はそれには答えてくれない。
「これからでも大学院に来ようと思ったりしないの?」
先生が聞く。
「戻れないですよ、もう」
「アシスタントで戻って来る気は?」
「先生の、アシスタントでしょう?」
「いや、他に誰がいるの?」
うつむいて笑う。ウイスキーを舐める。ひと呼吸おいて、わざとに砕けた調子で尋ねる。
「なあ先生、なんでぜんぜん連絡してきてくれへんのんです?」
先生ははっとしたようにわたしを見て、固まった。
こういう態度がだめなのは知っている。だめ、というかどういう結果をもたらすか。でも知っててやっている。
わたしが大学生だった頃も個人的に連絡を取り合ったことはなかった。でも、連絡網的なものはあるのだから、先生はわたしの番号を知っているから。なのに、権利の濫用はしないなんて強がっていた。
先生は結局それにうんともいいやとも、もちろん理由も口にはしなくて。
わたしはそのまま、席を立って先輩のところに移った。
先生はわたしが男の先輩と話すと不機嫌になるのも、ちゃんと知っている。もうどうしようもなく中学生みたいなひとなんだ。
でもね、わたしの方がほんとうはどうしようもない奴だから。一度しかない人生だからぼんやりしていたくないなんて、馬鹿なことをやめられないまま。
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