2021/10/22 Fri 01:56
デヴィ夫人、先祖ゆかりの茨城県を絶賛する!…の巻





話題:芸能ニュース







デヴィ夫人が19日、オンラインで開催された、茨城県の魅力をPRする「体験王国いばらき×IBARAKI sense 3周年イベント」に茨城県牛久市出身のフルーツポンチ・村上健志と、お笑いコンビのジョイマンと出席した。

銀座にある茨城県のアンテナショップ「IBARAKI sense」から配信された同イベント。

デヴィ夫人は「体験王国いばらき」の女王を務める。

「茨城は見どころの多い場所。このアンテナショップもきれいな場所で楽しい。お酒もあるし」とご機嫌でコメントすると、茨城の名所を次々に紹介し絶賛。

また、自身の祖先が武士だったといい、先祖ゆかりの根本城があることも強調。

「素晴らしい建造物がたくさん」と笑顔を見せた。
 
茨城を盛り上げるためにしていきたいことを問われると、「みなさん、茨城のことを知らなさすぎる。太平洋側で海の幸、山の幸がたくさん。すごくリッチな場所。これからどんどん宣伝しないといけないかなって思います」とコメント。

村上がこの日、伯爵に扮してデヴィ夫人のそばについていたが、印象を問われると、「伯爵として品がない。コスチュームだけね」とバッサリ切り捨てるなど、トークも絶好調だった。

(リアルライブ発)










デヴィ夫人のご先祖様には、戦国時代に活躍した武将がいます。

平安時代の929年に唐沢山城主となった藤原秀郷を祖とする武門で、代々常陸国の守護代を勤めた小野崎氏(おのさき)がいます。

この小野崎氏は常陸・太田城を築いたことでも知られ、分家(庶流)として、小貫氏、常陸大森氏、茅根氏、根本氏、助川氏、内桶氏を輩出し勢力を拡大しました。

小野崎通成の2男・小野崎盛通が根本氏を称したのが始まりです。

小野崎氏は佐竹四天王と称された、佐竹氏の有力な重臣であり、根本氏は常陸国久慈郡根本(根本城)を本貫とし、根本宮内正や、根本里行(根本紀伊守里行)の名が見受けられます。

1600年、関ケ原の戦いにて、主君・佐竹義宣は徳川家康からの人質提出を断り、上杉景勝と密約を交わしたようですが、積極的な支援には出ておらず、逆に上田城攻めの徳川秀忠に、佐竹義久ら300騎の援軍を派遣しています。

そのあと、徳川家康や徳川秀忠にも陳謝したことから命は許されましたが、54万石から20万石への減封となり、佐竹義宣は秋田に移ります。

この時、根本氏からは根本為通、根本為行、根本小兵衛ら8家が従いました。

しかし、小録の佐竹家臣らは、秋田に行って生計が立たないことから断念し、武士を辞めて帰農した武将がたくさんいます。

同様に、根本氏の一族からも帰農して豪農となったり、漁師の頭領になった武将が何人もいた模様です。

100石以下の下級武士は、秋田に行けなかったともされます。



■デヴィ夫人のツイッターより

「皆様意外に思われるかもしれませんが、わたくしのルーツは茨城にございますのよ。先祖は県内に根本城を所有していた武士だったそうですの。祖父はひたちなか市(旧那珂湊)で漁師などをしており、父も東京に移り住む前はそちらで船大工をしていたと聞いておりますので、茨城との縁を感じておりますわ」


↑秋田に行かず常陸の国に残ったってことは、デヴィ夫人の先祖は知行100石以下の下級武士だったのか。

なら、根本城を所有したとは言えんぞ。

根本一族の一派だろう。

嫡男が家督を全部相続する時代だから、一派は家来扱いになるよ。(´д`|||)



セレブちゃうやん!ヽ( ̄▽ ̄)ノ



ブー(^0_0^)



(^-^)/(^-^)/







コメント(0)




back next

[このブログを購読する]



このページのURL

[Topに戻る]

-エムブロ-