2021/4/14 Wed 01:06
「火葬場での骨上げは辛かった…」★60年来の盟友の石井ふく子が明かす橋田壽賀子さんの最期の姿…の巻





話題:芸能ニュース







「こんなに早く亡くなられるとは思ってもなかった」

と涙ぐむのは、テレビプロデューサーの石井ふく子氏(94)。

4月4日、脚本家・橋田壽賀子さんが急性リンパ腫で息を引き取った。

享年95。

60年来のお付き合いという石井氏が、橋田さんとのお別れの様子を語る。

「今年2月に東京の病院をお見舞いしたときは、『渡る世間は鬼ばかり』の次回作のテーマについてお話しされていたんです」

橋田文化財団によると、橋田さんは2月下旬に都内の病院に入院。

3月中旬に自宅がある熱海市内の病院に転院した。

生前たびたび“安楽死したい”と語っていた橋田さん。

昨年1月2・9日号の本誌(「週刊新潮」)インタビューでも、

〈人に迷惑をかけてまで生きたくない。私はもう作家として役立たずだし、(中略)家族もいませんから、私に生きていてほしいと思う人も、私がこの人のために生きたいという人もいません。仕事がなく、楽しみもなく、会いたい人もいないのなら、多額の医療費を無駄にしてまで生きるよりは、安楽死したいのです〉

と強く訴えていた。

やはり治療を拒み、“安楽死”を選んだのだろうか。

石井氏はこれを否定する。

熱海転院はご本人の希望だが、転院後も都内の病院で検査を受けるなど治療は続いていた。

4月3日に自宅に戻ったが、それは体調が安定したからだという。

ところが、翌4日朝に容体が急変した。

「7時頃に“呼吸が苦しそうになってきた”と連絡が入り、私は車で熱海に急ぎました。けれど(臨終には)間に合わなかった」

午前9時13分のご臨終には、主治医と家政婦、旅行仲間、そして泉ピン子さんが立ち会い、橋田さんは彼らに看取られながら静かに目を閉じたという。

石井氏が到着したのはその約1時間後だった。

「お亡くなりになって間もない先生を拝顔すると、ちょっと痩せてましたけれども、にこやかな表情でした。私は“どこに行くのよ。起きなさい!”と怒鳴り、さらに“戻ってきなさい”と何度も言ったけど……」

故人の遺志により告別式は執り行わず、身内のみで荼毘に付された。

「火葬場での骨上げは辛かった。喉仏とか見る余裕はありませんでした。でも、職員の方は遺骸を見て“骨がすごい丈夫な方ですね”とおっしゃっていました」

最後に石井氏はしんみりとこう呟いた。

「もう喧嘩相手がいなくなっちゃった」

(週刊新潮発)













YouTubeで「おしん」を観て追悼。

合掌。



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