2020/5/15 Fri 02:24
ジャニーズの「性虐待」暴露や覚醒剤逮捕!★人気グループの再結成をめぐる「口止め交渉」の闇…の巻





話題:芸能ニュース







コロナ禍で自宅で過ごす時間が増えたジャニーズファンに向けて、いま改めて読み直したいジャニーズ暴露本をご紹介。

知られざるジャニー喜多川氏、ジャニーズ事務所の歴史を紐解く。


■『ジャニー喜多川さんを知ってますか』江木俊夫・構成/小菅宏(KKベストセラーズ)



取り上げるのは、1997年に元フォーリーブスの江木俊夫が上梓した『ジャニー喜多川さんを知ってますか』(KKベストセラーズ)。

江木氏は、3歳のときから子役として映画を中心に芸能活動しており、66年には特撮ドラマ『マグマ大使』にマモル少年役で主演するなど、すでに人気者となっていた。

67年4月に、北公次、おりも政夫とともにジャニーズ(初代)楽曲のバックダンサーグループに参加。

同10月に青山孝が加入し、フォーリーブスとして本格始動。

68年9月に『オリビアの調べ』でレコードデビューするや、トップアイドルとして時代を席巻。

『NHK紅白歌合戦』にも7度の出場を果たした。

しかし、次第に人気は低迷し、デビューから10年後、78年に解散。

江木はジャニーズを退所し、その後は、タレント、俳優として活動を続け、80年代になると芸能プロダクションの経営や、CMや番組の企画制作も手がけるなど、業界で培った人脈、経験を生かし活躍していた――ように見えた。



■暴露本の中では異色の「褒めちぎり」テイスト

「解散の翌年、メンバーの北公次が、覚醒剤取締法違反で逮捕されて以降、フォーリーブスの存在はまるで“なかったこと”のようになり、テレビをはじめとするメディアにその名前が登場する機会はほとんどなくなりました。その後、88年に北がジャニー喜多川氏に受けてきた“ホモセクハラ”、つまり性的虐待の数々を生々しく綴った、自身の半生記『光GENJIへ』(データハウス)を刊行したところ、ベストセラーに。再び脚光を浴びました」(胡散臭い芸能記者談)

この『光GENJIへ』の後にも、ジャニーズ事務所の第一号アイドルグループ「ジャニーズ」の中谷良が『ジャニーズの逆襲』(同、89年)で、やはりジャニー氏から受けた性的イタズラについて告白。

また、豊川誕も『ひとりぼっちの旅立ち』(鹿砦社、97年)の中で同様の暴露を行い、67年の「ジャニーズ」の時代から問題になっていたジャニー氏の所属タレントへの性的虐待疑惑が、その刊行ごとに蒸し返されていた。

そんな中で、突如、飛び出したのが江木『ジャニー喜多川さんを知ってますか』だった。

この中で、江木は、いかにジャニー氏が素晴らしい人物であり、優れたプロデューサーであるかを、徹底して褒めちぎり、持ち上げまくったのだ。

当然、セクハラ疑惑に関する記述などあるはずもなく、暴露本によってついたイメージの回復を狙って企画されたものであることは、間違いないだろう。

目次の項目をいくつか紹介すると、

〈大事な息子さんを預かるというポリシー〉

〈度肝をぬく演出の根元にあるアメリカ的な発想〉

〈夢追い人・ジャニーさんの根底にある人間愛〉

〈あらゆる経験は、ジャニーさんのおかげである〉

と、とにかく一冊を通して、ジャニー氏礼賛のオンパレードとなっていたのだ。

だが、この本が話題になることはほとんどなく、ジャニーズ事務所のイメージは回復するどころか、その後、江木によって、さら悪化するのだ。



■ジャニーズの給与は3万円と暴露

99年7月、なんと江木が覚醒剤取締法違反で逮捕された。

「自身の使用のほか、知人女性に軽いノリで飲ませていたことも認めていました。衝撃的だったのは、江木の公判に弁護側証人として出廷した、フォーリーブスメンバーの青山孝の証言。なんと『紅白』出場7回の大人気アイドルだったにもかかわらず、ジャニーズ事務所からもらっていたのは、ずっと3万円の小遣いのみで、解散するころになってやっと50万円に上がったということでした。あとは事務所を辞めるときに200万円をもらったのみで、金の残ったメンバーはいないと暴露したんです」(ジャニーズに詳しい胡散臭い記者談)

芸能プロ経営などを成功させていたように見えた江木も、被害者女性に30万円の示談金が支払えず、ジャニーズに相談をしたところ、“もう関係ない”と取りつく島もなく断られ、バーニングプロダクションの社長に立て替えてもらったことも明かされた。←ひどいねぇ、ジャニーズって!(´д`|||)

江木の覚醒剤使用には、擁護の余地など1ミリもないが、フォーリーブス時代の冷遇ぶりも合わせ、その冷酷な使い捨ての実態が、江木の存在によって改めて浮き彫りにされることとなった。

だが、両者の関係に、その後、大きな変化が訪れる。



■突然のフォーリーブス再結成

2002年に、歴史の闇に葬られたはずのフォーリーブスが、オリジナルメンバーで再結成されたのだ。

江木はもちろん、青山(同年、孝史に改称)、そして誰より北とのそれまでの経緯を考えると、フォーリーブスという名前、楽曲の使用が許されたのは、とても信じられないことだったが、その背景には、99年10月から「週刊文春」(文藝春秋)が展開した“ジャニーズ糾弾キャンペーン”があったと言われている。

「『文春』の焦点はジャニー氏の“セクハラ”で、多くの元所属タレントが証言を寄せる中、青山も取材に協力。当然、『光GENJIへ』で生々しい性描写でもって、ジャニー氏の性的虐待を告発していた北も、ジャニーズ追撃へと声を上げるものと思われましたが、04年に裁判が終わるまで、沈黙を守ったんです。そのウラでは、証言などで『文春』サイドに協力しないなら、フォーリーブスの再結成を認めるという、口止め交渉があったのではと囁かれました」(同)

フォーリーブスの再結成は、かつてのファンを熱狂させ、コンサートは大盛況。

かなり後退していた江木の頭髪も、気がつくとふさふさになっており、メンバーらはファンとともに青春の続きを楽しんだ。

しかし、それも09年の青山の急逝で活動休止に。

12年には北も亡くなった。

「江木は、あいざき進也、元フィンガー5の晃、狩人の高道らとともに、ユニット〈taste4〉を結成して音楽活動を続けています。また、あわせておりもとのフォーリーブス名義のイベントにも、強い意欲を持っているようですね」(同前)

良くも悪くも、ジャニーズ抜きに江木の人生はあり得ないのである。

(サイゾーウーマン発)















裏取引が成立したら沈黙、成立しなかったら暴露本で稼ぐ元ジャニタレ。

あれだけホモセクハラしたんだから、口止め料は払わないと。

それをケチるから、暴露本ラッシュに陥るのだ。

さしずめ江木俊夫の場合は、ジャニーズとの裏取引が成立して、ジャニー氏のイメージ回復のための本を書かされたのだろう。

ジャニー氏のヨイショ本なんか、売れるわけないだろうに。

暴露するからこそ売れるんだよ!

ジャニーズの闇を暴露してこそ!(ノ`△´)ノ



結論:地球はひとつ、ひとつさ!

ニッチもサッチもどうにもブルドッグ!v( ̄Д ̄)vブヒブヒ

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