2018/7/9 Mon 01:42
麻原彰晃死刑囚ら7人の死刑執行★事件で注目されたオウム真理教の女性信者たちのその後A…の巻






話題:一般ニュース







オウムという業を背負った結果、重い病に侵されている女性信者は、彼女だけではない。

麻原個人を崇拝する原理集団「ケロヨンクラブ」を立ち上げた北沢優子(47)は末期ガンと診断された。

彼女はグループの女性信者を竹刀で叩く「カルマ落とし」の修行中に死亡させたとして、04年10月に逮捕された。

「今年6月、懲役8年の一審判決が出たが、ここまで公判が長期化したのは北沢の病が原因です。末期ガンと診断され、鼻にチューブを差し、車椅子で出廷したこともあり、そのために暫く公判も停止されたのです」(北沢を知る胡散臭い元オウム信者談)

現在は都内のケアハウスで暮らしているという。

すでにこの世を去った者もいる。

これまで全く報じられなかったが、山本まゆみは07年1月に死亡していた。

享年53。

「彼女はオウムでは石井久子に次ぐ管理番号00002番の古参信者で、正悟師の位でした。遠藤誠一の逃亡補助などで、96年7月に懲役1年4カ月の実刑判決を受けた。公判中から謝罪し、いち早く脱会したものの、咽頭ガンで亡くなったそうです」(同)



■家賃5万4千円

教団の幹部ではなかったものの、日劇のトップダンサーでタレントとして活躍していた鹿島とも子(61)が、オウムへ入信していたことは世間の注目を浴びた。

教団の広告塔的役割を果たしたが、実の娘を逮捕・監禁したとして95年5月に逮捕。

懲役2年、執行猶予4年の判決を受けた。

「東京拘置所を出て最初に身を寄せたのが、千葉県木更津市の実家でした」

と振り返るのは、鹿島本人である。

「そこで父から“お前はテロの片棒を担いだんだ”ときつく言われたりして、徐々に洗脳が解けていった。その後、小学生だった息子と2人暮らしを始めるまでは、アパートを借りるのにも苦労しました。不動産屋に相談し、鹿島とも子だと分かった途端、物件が見つからないと言われたことも一度や二度ではありません。仕事も見つからなくて、息子と2人で日給6千円とか8千円のビラ配りをしたこともあります」

その後、ホームヘルパーの資格を取得し、計11年間続けた。

02年には芸能活動を再開している。

「お年寄りは好きだし、償いという意味もあって資格を取りました。ヘルパーの時給は1300円から身体介護付きの場合は1800円。実働時間はバラバラで、24時間拘束されることもあります。月に30万、40万は稼いでいたので、この仕事に就いてから、生活が苦しいことはなかった」

ところが、82年のスノーモービル事故による後遺症で、最近左膝の具合が悪化したという。

現在は、杖を使わないと歩けない状態である。

「今はヘルパーもしていません。芸能活動は、引退したわけじゃありませんよ。良いお仕事があればやりたいですが、この足じゃね。皆さんに迷惑を掛けるだけです。実家を売ったお金で暮らしており、生活は決して楽ではない。今住んでいるアパートの家賃は5万4千円です。家を出る時は、電気もガスも全て止めるなど、節約して暮らしています。まあ、修行していると思えば、苦ではないですけどね」(同)



■“美人信者”たち

鹿島とも子同様、広告塔として利用されたのがオウムシスターズであった。

一家総出で入信し、美人4姉妹が出家した。

90年の総選挙では、彼女たちが象の帽子を被り、麻原を礼賛する歌と踊りを披露したことをご記憶の読者もおられるかもしれない。

その後、脳機能学者の苫米地英人と長女が婚約すると、これを三女が批判したりして、姉妹の不仲が表沙汰になったこともあった。

「姉妹は皆、元気にしています。連絡も取っています。でも、それぞれ、どうしているかはお話ししたくありません」

と話すのは、オウムシスターズの三女(37)。

彼女は、かつて元信者と結婚していたが、現在は別の男性と一緒になっている。

「今の主人は私がオウム信者だったことは知っています。でも、オウムについては一切、話題になりません。アレフの信者が1千人を超えたそうですが、やっぱり、生きていて何か辛いとか人生がうまくいかない人たちが、そうやって求めていってるだけなんじゃないですか。オウムに限らず、そういう宗教ってたくさんあるじゃないですか。でも、私のように離れた人間からすれば、またそうやって大きくなっていくのは嫌ですね……」(同)

もう一人、美人信者として取り上げられた信者がいる。

地下鉄サリン事件後、上祐の運転手になった、元六本木のホステス、加藤智子(47)である。

元ホステスだけあって、華やかな雰囲気の異色の美人運転手だったが、95年6月、元信者への逮捕監禁致傷の疑いで逮捕され、懲役2年、執行猶予4年の判決を受けた。

「3年程前、智子の父親が亡くなったが、智子がお焼香に来た。その時、『おじさん、久しぶり』って声をかけられました。で、隣を見たら3歳くらいの自分の娘を連れてきていた。『沖縄で暮らしている』と言ってましたが、何でも陶芸をやっているという話でしたね」(加藤の胡散臭い叔父談)



■麻原の家族

最後に麻原の妻、松本知子(53)や4人の娘たちはどうしているのか。

知子は薬剤師リンチ殺人事件で逮捕・起訴され、懲役6年の判決を受けた。

02年10月に刑期を満了して出所しているが、

「次女や三女らと行動を共にし、関東地方で暮らしています」(先の胡散臭い公安関係者談)

長女は、00年銃刀法違反容疑で逮捕され、さらに、

「翌年1月、東京・北区のスーパーで100点以上の食品を万引きして逮捕されました。りんご、キムチ、やきそば、うどん等々……。総額2万円相当の品です。教団の権力争いに敗れ、当時から教団内で孤立していましたが、現在、ファミリーとは絶縁状態とされている。そして四女は自ら教団との関係を絶つため、松本家を離れているようです」(先の胡散臭い元オウム信者談)

前述したように麻原は石井に子供を産ませたが、95年秋、当時18歳だったスメーダ正悟師(34)にも女の子を産ませている。

彼女は、実母と麻原の子とされる高校生の娘の3人で、北関東の地方都市に住んでいるが、

「あの一家がここに引っ越してきたのは10年程前。当時、警察が来たから、あの子がオウムだったことは知ってるよ。お祖母ちゃんが孫を乗馬クラブに通わせていると自慢していましたよ」(近所の胡散臭い住人談)



■「穴を埋められない」

さて、「オウム裁判」が終結し、麻原をはじめとする13名の死刑囚の執行準備は整った。

早ければ、年内に執行されるとの予想もある。←(2018年7月6日8:00頃、東京拘置所にてオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の死刑が執行された)

「身近にいた人、知っている人が死刑になるわけですからショックですね」

と、先の村岡は言う。

「死刑という刑罰には反対ですが、彼らが罪を償うことは必要だし、死と向き合う中で苦悶しながら、なしたことの意味を考えているのだと思います」

もっとも、彼女は、

「尊師が死刑になっても、尊師と私の関係は今生だけではなく、これからも続いていくのだと思います。裁判の終結が何かの節目とも思いません。私自身は全身全霊を込めて奉仕していた対象がなくなってしまい、その穴を埋められないでいます。そういう中で生きていることは苦しいですね」

麻原は東京拘置所で食事は摂るが、コミュニケーションはなく、独居房で殆ど座ったままで過していると言われる。

「私に言わせれば、尊師は一種の瞑想状態にあると思います。普通の感覚では、精神病と言われるのでしょうが、修行を重ねていく途上に、精神病的な意識の段階があるということなのです。尊師は、法治国家の日本では罰せられるようなことをやっている、ということを認識していたでしょうし、それ故、囚われの身となったと良く分かっていると思います」(同)

一方、鹿島は麻原の死刑についてはこう語る。

「私は死刑に反対です。人が人を裁くことなどできるのでしょうか。反対というと、オウムにまだ帰依していると思われるかもしれませんが、よく考えないと。被害者の方がそれで浮かばれるのか、とかね」

さらに、本音を漏らす。

「私、正直言うと、個人的には麻原さんに感謝とかそういうものしかないんです。悪いことじゃなくて、仏教のいいとこだけ教わりました。生活水準はずいぶん落ちてしまいましたが、色々な面で少しは成長できてると思うので、恨みとかそういうのは一切ありません」



「オウム裁判」は終っても、彼女たちと麻原との関係はこれからも続く。

たとえ、麻原の死刑が執行されようとも、その亡霊はまだ醒めない夢の中に現われるのだ。(敬称略)

(週刊新潮発)














アレフも、ひかりの輪も、元信者も、麻原彰晃を完全に拒絶することなく、むしろまだ心の拠り所にしているのが危ういところだ。

なら、こいつらが信者を増やすことなく、このまま徐々に死に絶えるのを待つしかないのか。

オウム消滅まで、まだまだ時間が掛かりそうだ。(´д`|||)



ブー(^0_0^)



(^-^)/(^-^)/












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