2017/5/24 Wed 01:21
島倉千代子の「絶縁」していた実弟が孤独死していた!★過去には女性誌に姉を告発し、暴露本を書いたことも…の巻




話題:芸能ニュース







中絶、離婚、借金、がん――。

島倉千代子の「人生いろいろ」がヒットしたのは、それが歌い手自身の人生と重なり合っていたからであろう。

そして没後4年を経ても「いろいろ」は続いていて……。

「絶縁」していた実弟が、孤独死していたのだ。




千葉県市原市の築40年経つ一軒家。

ここで76歳の男性の遺体が見つかったのは2月末のことだった。

遠方に住む女性家主が言う。

「(借主の)征夫さんは心臓が悪く、何かあるといけないので朝と晩に連絡する約束をしていました。2月25日の朝は話ができたのですが、その晩から電話が通じなくなった。27日の朝になっても繋がらないので、隣宅の方に様子を見てもらうことにしたのです」

隣のご主人が言葉を継ぐ。

「呼びかけても反応がなかった。で、警察を呼んだのです。中に入ると風呂場で倒れていてね。服は着ていたので、掃除でもしていたのでしょうか。死後2日と思うのですが、きれいなままでした」

島倉征夫氏は千代子のすぐ下の弟で、8人きょうだいの7番目。

離婚歴が2度あり、タクシー運転手やスナック経営、晩年は年金とカラオケ講師などで生計を立てていた。

かつては歌手デビューし、姉の所属事務所の社長も務めたのだが、この40年程は「絶縁」状態に。

確執の深さで業界では知る人ぞ知る存在だった。

『島倉千代子という人生』(田勢康弘著)にはこうある。

〈島倉は征夫を社長に「島倉音楽事務所」を設立したが、弟の放蕩(ほうとう)で巨額の借金を抱え込む羽目になった〉

〈島倉は弟たちから手を引いた。「(美空)ひばりさんのところはあれほど弟たちの面倒をみてるのに」と征夫たちが言うこともあった。それでも突き放した〉




■「島倉一族の崩壊」

征夫氏自身も2年前、小誌(「週刊新潮」)の取材にこう述べていた。

「仲違いが始まったのは、1963年、姉が阪神タイガースの藤本勝巳選手と結婚を決めた時です。家族の反対を押し切ったので、身内は誰も祝福しなかった。その後、離婚し、私と音楽事務所を開いた後も、当時のパートナーと急に“独立する!”と言い出した。頭に来て、私が作詞作曲した『流し唄』の権利を“5000万円で買え!”と吹っかけたんです。そうしたら2000万円持ってきた」

女性誌に「私は姉島倉千代子にダマされた」と告発したことも。

さらには、こんなことも語っていた。

「1987年に姉の敏子が自殺した時には“殺したのはあなただからね”と言いました。寂しかった姉が“会いに来てくれ”と何度も手紙を送っていたのに、千代子さんは一度も返事を寄こさなかったのです。暴露本を書いたことがあってね。『島倉一族の崩壊』というタイトルを付けて姉に“出されたくなかったら500万円で!”と言った。そうしたら“勝手に出せ”と言うので、あきらめたんです」←恐喝やんか!

征夫氏は残る兄弟姉妹と疎遠、また息子たちとも絶縁状態にあったため、全員に亡骸の引き取りを拒否された。

恋仲でもあった先の家主が葬儀を出し、島倉家代々の墓に納骨。

葬儀の出席者は3名だったとか。

「体調がすぐれていれば引き取れたのですが……」

とは、姉の高相幸子さん。

「征夫がこういう最期を遂げたのも、千代子という大きな存在があったからなのか。そう思うと、何だかかわいそうな気がします」

姉が売り出して間もない頃は車に乗って全国を回ったよ。あの時が一番楽しかったな。またああして旅行にでも行きたかった……。

前出の取材の最後では、そうも述べていた征夫氏。

あの世で願いはかなったのだろうか。

(週刊新潮発)












どっちもどっちな姉弟ではないか。

でも、1番悪いのは島倉千代子で金儲けした細木数子な。

こいつが1番のブラックだわ!v( ̄Д ̄)vブヒブヒ




ブー(^0_0^)



(^-^)/(^-^)/








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