話題:メンタル
誰かに望まれることで、自身の自信を補ってた。
誰かに求められることで、自身が生きていて良いのだと言い聞かせてた。
最近だと…ほんの数年前まで、そんな感じ。
一人じゃ足りなくて、一人じゃ、その人がいなくなった時に自信も、生きていていい証も消えてしまうのではないかと怖くて…多数を望んだ。
それが、いつのまにか変わった。
自分に自信は相変わらずないけど、一人が望んでくれるから、一人が求めてくれるから…こんな私になっても…
外見が醜くなったら、捨てられると思ってた。誰からも必要とされないと思ってた。生きる価値がなくなると思ってた。
怖かった…ずっと怖かった…
でも…そうか…大事なのは中身なんだね。外見ばかりを気にする人ばかりじゃない。
私を認めてくれる人が、中身を必要としていてくれたなら、それでいいんだ…
こんな私になっても、まだ望まれる。幸せなことだね。もう私は自己卑下をやめるべきなのだと思う。だって、私を認めてくれる人に失礼じゃないか?
自己卑下をやめるのは大変かもしれない。だけど人は変われる。変われるんだ。
生きていていい証も、もう人から承認されなくても大丈夫になってきたかもしれない。私は生きていていいんだ。そう…長い長い呪縛から、やっと解き放たれた。何十年かかったんだろう?
自分で、やっと認められるようになった。生きていていいと。
あとは…やっぱり自信は難しいね。
主人一人で大丈夫にはなったものの、主人が毎日かまってくれないと直ぐに自信を無くす。主人に、いろいろお世話されて、成り立つ自信。主人に毎日たたれて成り立つ自信。主人がたたなくなったら、どうなるんだろう?
ちょっと怖い。
まあとりあえず、主人には長生きしてもらって、私に毎日自信を持たせて欲しい。
自信なくなると自暴自棄になりやすいから。
生きていていいと思えるようになったのは、いいことかもしれないが、自身に自信が持てなくなったら、自分でも何を始めるかわからないのが怖い。
いつか…主人がいなくても、主人に承認されなくても、自分に自信を持てる日は来るのだろうか?
これも、いつのまにか変わるのかもしれない。