穂月も過ぎると、黒界のお勤めもだんだんと少なくなり、軍人さんにも休暇が多くなります。
いつきくんも、久しぶりに3日間のお休みを頂いたようです。
彼はその知らせを聞いた途端に寄宿舎に走り荷物をまとめだしました。そしていそいそと獣舎に向かって、自分の操獣に跨りました。
その彼の後ろをくーちゃんが後ろめたそうな目で見つめています。
「ごめんな、くーちゃん。明日…たぶん…もどってくるから。いい子に留守番しててな」
くーちゃんはいつきくんの言葉を受け入れたのか、それとも拗ねたのか、プイっと獣舎の方へ走っていきました。
いつきくんはそんなくーちゃんを見送ると、背筋を伸ばし、操獣に駆ける合図を出します。操獣は応えるように前脚をトトンっと鳴らして、心地よい風のように界を出ていきました。
灰本土は稲刈りが終わって、ひつじ田が高い青空の元、広々と広がっています。その間の畑道をいつきくんの乗る操獣が、まっすぐに町外れの小高い小山に向かって走っていきました。そこには、竹やぶに隠れるように平屋の小さなお家が一件建っています。
「なえちゃん！」
いつきくんの目指した先はそこでした。
彼はお家がすぐそばまで近付くと、操獣が止まるのも待たずに滑り降りました。そして大きな声でお家にむかって名前を呼びました。
すると玄関から、待ってましたと言わんばかりの勢いで
「いっくん！」
満面の笑顔のさなえさんが飛び出してきたではありませんか。
「いっくん、いっくん！また来てくれたんやねぇ」
「へ、へへ。休み、もらったから…」
「そうね、そうね…。ののものぶも、はよう帰ってこんかねぇ。ふたりとも山に薪を拾いに行ってくれたんよ」
「そっか…どうりで静かなんだな」
「ふふ。いっくんが来たら大はしゃぎやもんね。…大したものは何もないけど、ご馳走しようね、いっくん。来てくれてありがとう。さ、あがって！」
さなえさんはいつきくんの手をふわっと握り、家の中に入るよう促します。
いつきくんの頬はポっと赤く染まりました。彼はそれを誤魔化すように顔を逸らし、はにかんでお礼を言うと、操獣の手綱を木に巻いて、さなえさんと一緒にお家の中へ入りました。
玄関を入ると横長い土間があって、台所につながっています。そこに並んだかまどからはクタクタと煮物のいい香りが漂い、いつきくんを迎えました。いつきくんは思わずごくっと喉をならします。そして香りの正体を想像しながら、履物を脱いで玄関に繋がる居間にあがりました。
「風、冷たかったやろ？お茶ねぇ、ちょっと熱いかもしれんけど…ちょうどいいかねぇ」
正方形のちゃぶ台の前に腰掛け上着を脱ぎ寛いでいると、さなえさんが湯気のほわほわとあがるお茶をだしてくれました。いつきくんは、「ありがとう」と受け取り、冷えた両手で湯のみを包みました。じんわり伝わる熱がピリピリと心地よく手を温めてくれます。意識が白い湯気に溶け込むようです。
「いっくん、いっくん」
ふと、さなえさんがいつきくんの名を呼びました。
「ぅ、ん？」
ハッとしたいつきくんは、湯のみをちゃぶ台に置いて横に座っていたさなえさんの方に体を向けます。
ニコリと微笑むさなえさん。いつきくんの心臓はドキッと弾み、そのリズムを保ったまま体は固まって、さなえさんの笑顔から目を離せなくなってしまいました。
「いつもあの子達がおるでしょう。やけん、なかなか言えないんやけど…あのね、」
「お、お、おう…」
「いつも、ありがとう」
さなえさんが膝の上で揃えていた両手を広げ、いつきくんを柔らかく抱きしめました。
「！？…！？」
突然のことにびっくり仰天ないつきくん。耳まで真っ赤にして、声にならない驚きで口をパクパクさせています。それを知ってか知らずか、さなえさんは、ふふっと笑って
「いっくんがおるから、わたしたちはこうして生きていけるんよ。ありがとう、ありがとうね」
「ぁ、あの、その…っ」
「大事な御手当も送ってくれて、ののとのぶにも色んなものを買ってくれて、本当に、本当に…」
「なえちゃ…」
いつきくんは、小さく首を振って息をスンと吸い、さなえさんのの頭にそっと柔らかく手を添えました。
「…おれ、俺は、なえちゃんたちがいるから頑張れるんだよ、そう、そうなんだ」
さっきまで真っ赤でオロオロとしていたいつきくんの表情は、まっすぐに真剣に、でも、優しげに落ち着いて、さなえさんに向けられています。
「いっくん」
「だから、だから、俺も、感謝しなくちゃなんだ、なえちゃん。ありがとう」
ふたりは互いに微笑みあって、また一言、「ありがとう」と言いました。
今日の晩ご飯は、きっといつも以上においしく感じられることでしょう。
支えられる事、その事が誰かの支えとなっている。
そして紡がれる「ありがとう」
こうしてわたしたちは繋がり生きているのです。
「
ありがとう」
(語りはサリでした)
ついき
