「あぁあ、暑い……」
そうぼやきながら、紫の髪の少年は机に突っ伏する。
いつもは結ばずに背中に流している長い紫の髪が机の上に散らばった。
はぁあ、と溜息を吐き出す彼……シストを見て、彼の友人であるアネットは苦笑を漏らした。
「氷属性魔術使いは大変だなぁ」
そう。
この時期……暑い時期は、氷属性魔術使いは戦いにくいのだ。
魔術の質が悪くなるし、普通に生活しているだけでも疲れてしまう。
季節柄、致し方ないのだけれども……
シストは殊更純粋な氷属性魔術の使い手。
故に、暑さの影響を受けやすいのだろう。
既にぐったりだ。
彼の隣には相棒である少年……フィアの姿。
"情けないな"と苦笑してはいるものの、彼も大分この暑さに参っている様子。
そんな彼を見てアネットは目を細めた。
「あぁ、そういや」
ふと、アネットが思いついたような声をあげる。
どうした、とフィアとシストが顔を上げ、首を傾げる。
アネットは口元に笑みをうかべて、いった。
「皇御国ではこの時期によくカイダン、てのをするらしいよ」
「カイダン?」
シストは聞いたことのない単語に不思議そうな顔をする。
アネットは緩く口角を上げたままに、悪戯っぽく目を細めて、いった。
「怖い話するんだって。そしたらぞわっとして、涼しくなるんだって」
アネットはそういう。
フィアはそれを聞いても大して興味なさそうな顔をして、いった。
「ふぅん」
実際そこまで、その手の話に興味はない。
だから軽い返事をしたのだが、アネットにはそれが不服だったようだ。
拗ねたように唇を尖らせている。
シストはそんな彼を見て苦笑を漏らす。
此処で少し話に乗ってやらないと完全に拗ねてしまうだろう。
そう思いながら彼は言った。
「でも怖い話なんてそうそうあるか?」
「あぁ……うぅん……」
アネットはシストの言葉に少し考え込む顔をする。
何か良い"怖い話"を考えてはいるようなのだが……特に思いつかない様子だ。
シストはそんな彼を見て、苦笑を漏らす。
「現実が正直一番怖いよな」
そう呟いて、彼は汗で貼りついた髪を軽く払う。
確かに怖い話の一つや二つ、幼い頃に聞いたことはあるのだけれど……
それ以上に、騎士をしている中で遭遇する事態の方が余程ぞわりとすることが多い。
いきなり飛び出してくる魔獣、人間では対抗できないような魔力を持った悪魔のような生き物、無理難題を押しつけてくる依頼者……――
そうしたものの方が余程怖い。
シストがそういうと、アネットは唇を尖らせた。
そして拗ねたような声音で言う。
「むぅ、それ言っちゃったら話が終わっちゃうだろ」
面白くねぇ。
そういってアネットはむくれる。
フィアはそれを聞いて苦笑を漏らしながら、ティーカップに指をかけた。
「まぁそれはそうだな」
アネットが求めているのはそういう"リアルな"怖さではないだろう。
それは分かっている。
フィアはカップを傾けて、コーヒーを口に含んだ。
「夜中に城の何処かから女の声が聞こえる、って話は一時期はやったよな」
ふと思い出したように、アネットがいう。
それと同時、フィアが噴き出した。
「っぶ……」
げほげほ、とむせるフィア。
シストはそれを見て苦笑い。
アネットはきょとんとした顔をしたまま首を傾げた。
「フィア?」
どうかしたか?
そう問いかけるアネット。
フィアはそれを聞いて咳き込みながら首を振る。
「……否、何でもない」
「え、怖いの?」
怖くてそんな顔してんの、とにやにやするアネット。
フィアはそんな彼の発言に少し眉を寄せて、彼を睨みつけた。
そして溜息を吐きながら、いった。
「そんな訳がないだろう」
ふんと鼻を鳴らすフィア。
シストはくつくつと笑いながらそんな彼を見る。
アネットは"嘘だー、怖いんだろー"と言いながらフィアを小突いていたのだった。
***
「しらばっくれるの上手くなったなフィア」
アネットが任務に行くといって出ていった所で、シストはフィアにいった。
フィアはそれを聞いて顔を上げる。
苦笑を漏らしたシストが紫の瞳を細めながら、見つめているのを見て笑うと軽く肩を竦めた。
「ばれたか」
「当たり前だよ、あんな反応したら当然だろ。
その歌声って、お前の声だろ?」
アネットが鈍くて助かったな、とシストはいう。
フィアはそれを聞いてふ、と笑いながら言った。
「御名答。
……多少しらばっくれるのは上手くならないとどうにもならないだろう」
そういって彼はコーヒーを飲む。
それからふぅ、と息を吐き出して、いった。
「誰かに聞かれるとは思っていなかったし、ちょっとした鼻歌のつもりだったんだが」
そう。
先刻アネットがいっていた"夜中に聞こえる歌声"の正体はフィア。
元々歌を歌うのが好きだったフィアは、時々鼻歌のつもりで歌を歌っていたのだという。
……それを聞いた騎士たちの間で噂になってしまっていたのだった。
シストはそれをきいて目を細める。
それから可笑しそうに笑って、いった。
「ちょっとしたも何も……
お前の歌ってる声は明らかに女のそれなんだからさ」
バレるに決まってるだろ、といってシストは笑う。
普段のフィアの声は意識的に低くされているのだけれど……
歌声はやはり、なかなか意識的に変えることが出来ないようで。
「しかもよりによって、オルフェウスの塔で歌ってんだろお前」
噂は、シストも聞いたことがある。
その声はよく、オルフェウスの塔の方から聞こえる、という。
よりによってそんなところで歌うものだから、余計にホラーになるのだろう。
そうシストがいうと、フィアは視線を泳がせて、呟くように言った。
「……部屋だとバレバレだろう」
「その気づかいが状況悪化させてる気がするけどな」
やれやれ、とシストは肩を竦めながら言う。
少し拗ねたような顔をして視線を外に逃がすフィアを見ながら、彼は可笑しそうに笑っていたのだった。
―― 恐ろしい話の裏には…? ――
(ホラーなんて大体そんなもの。
…ばれてしまうことの方が俺としては怖いんだがな)
(普段は大人っぽい癖にこういうところでぼろが出る。
そのあたり、彼もまだまだ子供、なのだろう)