ぴりぴりと痛む額に脱脂綿を押しつけられる。
傷に滲みこむ消毒液にフィアは思わず声を漏らした。
「うぅ……痛い」
「それは痛いに決まっているでしょう。
ざっくり切れているのですから」
やれやれ。
そう呟いた医療部隊長はそんな傷にガーゼを当てる。
そのままぐるりと包帯を巻きつけると、ジェイドはもう一度フィアを頭から足まで見て、小さく頷いた。
「傷は全て手当出来ましたよね」
「はい、大丈夫です。
……お手数をおかけしました」
フィアはぺこりと頭を下げる。
ジェイドはそれを聞いて苦笑を漏らした後、フィアの傷に触れないように気を付けながら、その頭を撫でてやった。
「手数などとは思いませんよ。
貴方たちの手当てをするのが僕たちの仕事ですからね。
……それにしても今回は酷くやられたな、とは思いますが」
そういいながら、ジェイドはまじまじとフィアの姿を見つめた。
額にはぐるぐると包帯が巻き付けられている。
まだ着替えていない白い騎士の制服のあちこちは破け、血が黒っぽく固まっている。
それはすべて、彼が先刻まで赴いていた任務で負った傷だった。
至って普通の魔獣討伐。
しかし思ったよりも強力な魔獣であったこと、そして炎属性の魔術を使う魔獣であったことが災いして、こんな傷を負って帰ってくる羽目に陥ったのだった。
大したことはない。
そういってのけたフィアだったが、ボロボロなのは事実。
部隊長であるルカに報告に向かうと同時、医療棟送りになったのだった。
「確かにいつもよりは少し酷い傷ですが、大したことはありませんよ。
ルカやシストが無暗に心配しすぎるだけです」
フィアはそういって苦笑する。
ジェイドはそれを聞いて少し困ったような、複雑そうな表情を浮かべた。
「まぁ、それもゼロではないとは思いますが……」
―― 心配性、の一言で済む問題でもないのですよね。
そんな言葉を飲み込みながら、ジェイドはそっと息を吐く。
そしてもう一度フィアの頭を撫でて、"暫くはゆっくり療養なさい"と声をかけたのだった。
***
静かな自室で、書類仕事をこなす。
カリカリとペンが走る音。
一度手を止めて、ふぅと息を吐き出したルカは、少し伸びた前髪をそっと払いのけた。
と、その時。
こんこん、と軽い音が響く。
そのノックの音に顔を上げると、ルカは"どうぞ"と返事を返す。
すると静かにドアが開いた。
中に入ってきたのは紫髪の少年。
ルカの部下である少年……シストだった。
おうシスト、と彼に声をかけようとして……思わず口を噤む。
その理由は、眼前に居る少年が酷く怒ったような表情を浮かべていたからだった。
「?シスト?」
どうした?
ルカがそう問いかけると、シストはゆっくりと彼に歩み寄った。
そのまま、真っ直ぐにルカを見据えて、言った。
「どうして、フィアをあの任務に行かせた?」
「は?」
唐突なシストの問いかけ。
ルカは思わず大きく目を見開いて、声を漏らす。
シストは更に顔を顰めた後もう一度、言った。
「さっき、フィアが傷だらけになって帰ってきただろう。
……どうして、あんな危ない任務に行かせたんだ、それも一人で」
そう。
シストが怒っているのは、ルカがフィアをあの任務に行かせたこと、だった。
どの任務に誰をいかせるか、決めるのは部隊長であるルカだ。
故に、フィアが赴く任務がどんなものであるか、どれほど危険な任務であるかは良くよく理解しているはずなのだ。
それなのに、なぜ。
シストはルカにそういう。
暫しぽかんとしていたルカだったが、やがて小さく溜息を吐き出した。
そして"何だそんなことか"と呟く。
シストはそれを聞いて、大きく目を見開いた。
そして盛大に顔を歪める。
「……そんなことって、お前。
従弟だろう、家族が怪我して帰ってきてるのに、どうしてそんなことがいえる?」
「お前は俺にどうしてほしかったんだ?」
逆にルカにそう問われ、シストは思わず一瞬言葉に詰まる。
しかしすぐに真っ直ぐに前を向いて、言った。
「危険だとわかっているなら、行かせないっていう選択肢もあっただろう。
或いは、俺も一緒に行かせるという選択肢だって」
一人で行ったからあんな傷を負った。
ヘタをしたら死んでいたかもしれない。
何故その可能性に気が付くことが出来ないのか。
そう、シストはルカにいう。
それを聞いてルカは小さく溜息を吐き出した。
そして少し険しい表情を浮かべ、シストを見る。
「……俺が彼奴のことを信頼しているからこそ、に決まっているだろう。
彼奴は強い、彼奴はしっかりしている。
その上で俺は彼奴に、任務を任せた」
以上だ。
ルカはきっぱりとそういう。
シストはそれを聞いて顔を歪めた。
「……っでも、その所為で」
「騎士が怪我をするのは当たり前のことだろう。
それはフィアであっても同じだ。
……それとも、お前はフィアの覚悟を無駄にするつもりか」
そう言われ、シストは大きく目を見開く。
そんな彼を見つめ、ルカは静かな声で言った。
「フィアは、元からその覚悟で騎士になった。
無論騎士になった以上怪我をすることもあるだろう。
命を失うことだってあるだろう。
無論無茶苦茶なことをしたらそりゃあ俺だって怒る。
けどな、"かもしれない"程度のことで彼奴を女扱いするほど、俺は落ちぶれちゃあいない。
……わかったか、シスト」
真剣なルカの声音。
それを聞いてシストは項垂れる。
……本当は、わかっている。
自分が無茶苦茶を言っていることも。
フィアが男性として扱って欲しいと思っていること。
それはよくわかっている。
そんな彼の思いを尊重するのであれば、彼が赴く任務を制限することは間違っていると思う。
けれど、それでも……
「それでも心配になるのは、当たり前のことだろ」
ぽつり。
そう呟く、シスト。
ルカはそれを聞いて、ふっと息を吐き出した。
「そりゃあまぁ、そうだよ」
俺だって心配だしな。
ルカはそういうと、シストの頭をぐしゃりと撫でた。
「本当は俺だってあんな任務に行かせたくはなかったし、あんな怪我して帰ってきたのを見て後悔した。
でも……それだけの理由で、彼奴の想いを砕きたくはない。
それは、理解してくれ」
―― 彼奴の、相棒として。
ルカにそういわれて、シストは俯く。
しかし暫しの間の後、こくりと小さく、頷いた。
「……わかった。
悪かった、ルカ。いきなりあんな風に、噛みついて」
すまなそうにそういうシスト。
ルカはそれを聞くとふっと笑みをこぼした。
「気にすんな、それがお前の性格なのはわかってるからさ」
そう言って笑うルカ。
シストはそれを聞いて、表情を綻ばせる。
―― あぁそうだ、俺たちは……
そう思いながら、シストはふっと微笑んで、もう一度ルカに"ごめんな"と詫びたのだった。
―― 同じ思いで ――
(いつだって、思いは同じなのだ。
大切なものを守りたいという、その思いは)
(そう、"彼"の体を、命を守りたいというだけではない。
"彼"の想いも、守りたいとそう思うのだ)