タイトルから察せられる通り、とっても役に立ちません。
今日は本能寺の変が起こった日だから勉強メモをまとめたかっただけなんだ…



※自分で分かりやすいようにざっくりまとめた自分のためのメモ




♪ジャンジャンジャーン→
♪ジャンジャンジャーン↑
デッデッデッデデデン…


京都事件ファイル
本能寺の変〜炎にひそむ叛意〜
明智光秀ミステリーシリーズ
※冗談です。




【本能寺の変】@1582


●事件のあらまし

天正10年(1582)6月2日未明。
京の本能寺に宿泊中の織田信長が寝込みを襲われる事件が発生。

・情勢
3月に武田を滅亡させた織田軍は、中国方面の毛利征伐に本腰を入れていた。
その最前線・高松城を攻略中の羽柴秀吉から援軍要請が届く。
織田と同盟関係にあった徳川家康の接待をしていた明智光秀が、接待役を解任され秀吉救援の先鋒に命ぜられる。
また、信長自身も救援に向かう準備をしていた折の出来事だった。



●主な被害者

織田信長(49)
殿。中国の毛利と交戦中の羽柴秀吉の救援のため、わずかな供回りと共に入京。
事件発生を知ると「是非に及ばず(是非もなし)」と言い、弓や槍で立ち向かったが終には奥に籠り自害した。
ちなみに、援軍なのにわずかな供回りだけだったのは、先に天皇より賜る官職についてのお返事をするためと京の公達と茶会を開くためだったから(安土城から数々の名器を運ばせている)だとか。

森蘭丸(18)
恐らく日本一有名な小姓。
信長に誠心誠意仕え、今度の事件でも奮戦。
殿が潔く自刃する時を稼いだ。最期は討死。

織田信忠(26)
殿の嫡男。同じく毛利征伐の救援のため入京。
本能寺から少し離れた所にある妙覚寺に宿泊していた。
事件発生を知り、逃げる時間もあったが父の助けに向かう。名の通り忠信。
しかし包囲された本能寺に入れなかったため二条御所に立て籠り、やがて敵勢が押し寄せて来ると自害した。
ちなみに肖像画はパパ似のイケメン。
(信長から眉間のシワを取って雰囲気を優しくした感じ。とってもイケメン)


(ちょこっとメモ)
信長の遺体は結局見つかっていない。
本能寺には火が放たれているので、焼けた後の骸骨だけ見てそれが信長なのか他の家臣なのかを判断するのはほぼ不可能な事を思うと遺体が見つからないのも普通に考えたら当然なのですが…“見つかっていない”と言われるとちょっと夢見てしまいますね。





※この先、壮大なネタバレ注意※冗談でs


犯人:明智光秀
「敵は本能寺にあり」と言ったとか言ってないとか…

経歴に不明な点が多いながらも、中途採用からのし上がった実力派知将。
丹波亀山・近江坂本城主で、方面軍では近畿司令官を担当していた。重臣に斎藤利三など。
事件直前まで叛意は隠しており、目的地とは逆の京に向かう事に関しても「殿に軍装を見てもらうため」だとか「殿に家康討っとけと言われた」だとか、そのような感じで説明していたらしい。


(ちょこっとメモ)
事件直前、連歌の会で光秀が読んだ句
「時は今 あめが下しる 五月かな」
これが謀反の決意表明だったと言われていますが、クーデターとは関係なく単純に五月雨の情景を歌った句だったら綺麗だと思います(笑)





●犯行の動機
様々な説がありますが、どれもフィクション性が高いようです。


(1)光秀プッツン説
・国替えの不安
・母を見殺しにされた恨み
・外交を担当していた四国の長宗我部と上手くいきそうな時に四国征伐が下り、メンツを潰された
・皆の前で折檻された(頭を叩かれた)際に、カツラが落ちて恥をかかされた。そりゃ恥ずかしいでしょうね…
などなど「カッとなってやった。今は以下略」説。


(2)光秀の野望説
・自分が天下を取りたくなった
単純明快。

派生系に「あ、なんか今なら信長討てそう」という魔が差した説も。


(3)黒幕おるがや説
容疑者としてよくお名前が挙がる方々

朝廷さん
譲位を迫られたり改暦を強要されたり、お馬揃えのパレードだったり様々な危機感から仕向けたとする説。
…その天皇も危うく事件の巻き添えになるところだったのですが(下手すれば落命)

足利義昭さん
光秀が元々支えていたお方で、幕府再建を狙って共謀したとする説。
光秀も選ぶ相手間違えている気がしますが…

羽柴秀吉さん
戻るのが早かったから仕方ない(中国大返し)
事件によって一番得したこともあり、実はサルが黒幕だった説は人気。

徳川家康さん
本当は家康を討つ予定だったが…という説。
事件発生時は堺を見物中。
たまたま近くにいたからでしょうか?
…事件のあと三河に帰るのも相当大変だったのですが(下手すれば落命)

長宗我部元親さん(&斎藤利三)
元親と仲が良かった事、重臣・利三の妹が元親の正室である事などから、四国征伐を命じた信長に反発して彼(あるいは彼ら)が光秀を煽った説。

イエズス会のみなさん
「わし、マジ神」的な事を言った信長を恐れた説。
なお光秀との関係は不明。

本願寺や会合衆などその他の勢力のみなさん
続・反信長連合説。



Q.結局、謀反の真相は?
光秀「秘密」




※この先、壮大なネタバレ注意※冗談ry


●その後

・羽柴秀吉さん
毛利と即行和睦し、わずか7日で引き返して(中国大返し)、山崎で逆賊明智を撃破する。
その後の展開は言わずもがな。

・徳川家康さん
素晴らしい家臣に恵まれたおかげもあって命からがら三河に帰る(神君伊賀越え)。

明智光秀 被告
思った以上に味方が集まらず、想像以上に早く戻った秀吉と山崎で対決する羽目になる(山崎の戦い・天王山)。
そこで敗れ、最期は落ち武者狩りにあって死亡。

一説には、逃げ延びて天台宗の僧・天海になったという噂もある。
※天海は後、徳川家康の側近となる。



●まとめ
天正10年(1582)京都の本能寺で、織田信長が家臣の明智光秀に突如襲われて自害した謎多き大事件。




浅●光彦と明智光秀の語呂ってなんとなく似てるというしょうもない発想からこんなことになりました。