※自分で分かりやすいようにまとめた自分のためのメモ
……のはずが、自分でも何が何だか分からなくなってきたので、どなたか添削して頂けませんでしょうかorz

※ところどころ個人的な見解が入ってます。




●応仁の乱@1467

【登場人物】
足利義政 … 室町幕府8代将軍。文化人。ちなみに父はあの義教。
日野富子 … 義政の妻。
義視 … 義政の弟。仏門に入っていたが、義政に言われて仕方なく還俗した。
義尚 … 義政と富子の息子。
細川勝元 … 義視の後見人で守護大名。幕府の中枢にいる人。
山名宗全 … 義尚の後見人で守護大名。幕府の中枢にいる人。

畠山政長・義就 … 従兄弟同士。共に幕府管領を務めるお家柄の人。
斯波義敏・義廉 …  共に幕府管領を務めるお家柄の人。



・そもそもの始まり

室町幕府8代将軍の義政は早く隠居したかった。しかし跡継ぎがいないので難しい。
そこで弟に将軍職を押し付ける事を思いつき、さっそく仏門に入っていた義尋(義視)を呼び戻す。
これで、後継者も決まって心置きなく隠居……とは行かなかった。
妻の富子が元気な男子(義尚)を産んでしまったからである。

義政「あのさ…弟の義視が次期将軍ってことでいいんだよね?」
富子「は?義尚は?」
義政「いや…でも例え男が産まれても譲るって約束で戻ってきてもらったしさ…」
富子「あんた何言ってんの?将軍の子が次の将軍になるのが当然でしょ?」
義政「いや、でもあの……はい、そうですよね……」
というやり取りがあったかもしれない。

一方。
義視「なんか兄者、いつまで経っても将軍職譲ってくれないんだけど」
勝元「どうやら男子が産まれたそうで」
義視「えっ、待ってよ。じゃあ自分はどうなるわけ?」
勝元「(波乱の予感)」


男子が産まれたからには話は別

跡目争い勃発!



将軍家の後継者争いを、幕府権力の掌握に利用しようとしたのが守護大名の細川勝元山名宗全の両名。

勝元「(義視様が将軍の座に着けば権力は後見である私に…)」
宗全「(義尚様が将軍の座に着けば権力は後見であるワシに…)」
勝元・宗全『これはもう争って決めるしかありませんね』

ここで管領・畠山家で予てより家督を争っていた政長と義就を巻き込み、更に斯波家の義敏と義廉まで入ってくる。

義政「(面倒なことになった…)」
と思っていたかもしれない。




・開戦
宗全&義就、管領の畠山政長を追い出し、斯波義廉を新管領に就ける。
これに当然キレた政長は勝元と組んで宗全&義就に戦を仕掛ける。

宗全「政長と勝元が京の町を焼いとるぞ、オイどうするんや将軍」(圧力)
義政「えぇ…」

義政「(大事になったらヤダな。みんなに政長と義就の争いに関わらないように言っておこう)」

義政「あのさ、やめなって…」
義就「(聞こえなかったことにして)攻めろ!」
宗全「攻めろ!」
政長「なんか来たで!勝元はよ!」
勝元「(聞こえてしまったので)動けんわ」
政長「え…!?」→敗走

一応、義就側が勝利で終わる。




・本戦
先の畠山両名の私闘の決着がどうあれ、どっちにしろ勝元と宗全は戦う事に。
勝元派(東軍)宗全派(西軍)に分かれて近隣各地に飛び火。
図にするとこんな感じ?

この辺から私もう何が何だかorz


妻・富子が義尚の後見を頼んだ宗全が西軍なので、義政も気持ち西軍寄りのはずが…

義政「(なんか大事になってるし俺将軍なのに誰も言うこときかないし、いつまでも隠居できないし、いーよじゃあもう!!)」
とキレてしまったのか定かではないが、何故か東軍の勝元に将軍旗を預ける

勝元「いいんですか?将軍旗もらっても」
義政「いーよ、あげる」
勝元「本当にいいんですか?これでこの戦、将軍家お墨付きって事になりますけど」
義政「いーよもう何でも。宗全倒して早く終わらせて」
勝元「御意」
というやり取りがあったかもしれない。

とにもかくにも、元は管領家のお家騒動だったはずが将軍公認・東軍vs反乱・西軍という形になってしまった。
その後も一進一退の攻防が続き、じわじわと京都の町を焼き尽くしていくことに。

その間―
義視「(みんな敵に見える怖いもうやだ…逃げよう)」 → 伊勢に逃亡

義政「あの…義視がさ、逃げちゃって…」
勝元「困ります。至急お戻り頂くよう言って下さい」

義政「絶対大丈夫だから!怖くないから!」
義視「本当に?」
義政「敵いないから!大丈夫だから!帰ってきて!」
義視「……わかった」


一方で…
我が子の後見人・宗全の西軍が、夫によって反乱軍とされてしまった事で困ったのが富子。
このままでは義尚が次期将軍の座につけるか危うい。
だったら東軍の勝元のところ(というか将軍公認)につけばいいんじゃん。
恐らくそういう流れで、富子が宗全から勝元に鞍替え
そうなると、今度は勝元が後見を務める義視が邪魔になるので追い出しにかかる。
(後継者を争ってる者同士が同じ軍にいたら何のための戦か分からないですよね…そういう認識であってますでしょうか)


義視、逃亡先の伊勢から入京するが(なんだかんだあって)…

義視「嘘つき!敵だらけじゃーん!!」
宗全「お困りのようだね義視さん。ワシが助けてあげるよ」
義視「本当?」
宗全「西軍にきてくれるかな?」
義視「い、いいともー」
というやり取りはさすがにないが、京に居場所のなくなった義視が反乱軍とされた西軍につくことになる。これで一応、体制は整った。
正直なところ、勝元も宗全も権力争いに勝てさえすれば大将は義視だろうが義尚だろうがどっちでもいいわけで。

かくして二転三転、右往左往、紆余曲折ありながら、約10年もの間この戦いはグダグダと続く。




・決着
まず西軍の山名宗全が病気により死亡
後を追うように東軍の細川勝元も病気で死亡。 (暗殺説あり)

両軍、和睦。


これにより…
義政「義尚に後継がせるわ(やっと隠居できる)
義視「」


Q.結局みなさんは何がしたかったのですか?
A.
義政「早く隠居したかった」
富子「息子を将軍にしたかった」
勝元・宗全「ただ権力が欲しかった」
義視「くれるって言ったじゃん…」(将軍職)





・結果発表


勝者:日野富子(義尚)


しかし、あれだけの戦の末に9代将軍となった義尚も若くして病死してしまう(20代前半)。
義尚に嫡男がいなかったため、次期(10代)将軍には従兄弟の義材がつく。
この義材は、義尚が将軍の座を争った義視の息子である。
個人的には、自身が将軍の座に着くことは出来なかったにせよ代わりに息子がそれを成し遂げたことを考えると、最終的な勝者は義視のような気もする。



忘れてはならないのが…
一番の被害者:京都府京都市




・まとめ
応仁の乱とは…
将軍家の後継者争い・幕内の権力争い・管領家の家督争いを約10年間グダグダと続けた結果どうにもならず、ただ京都市内を無残に焼き尽くした戦である。
こんな感じでしょうか…?