*獄都事変見切り発車短編夢小説です。
*今回は佐疫と夢主のお話になります。
*恋愛対象と言うよりは姉弟愛な小話。
*佐疫が夢主を甘やかしている日常(笑)
*ほのぼのに佐疫は欠かせない症候群←



【:†アクアマリンと織り成す平穏†:】



(甘く薫る柔らかな湯気の向こうに)
(温かな記憶と日常とを織り混ぜて)



ある日の午後。所用で食堂を訪れた佐疫は、視界の端でテーブルに突っ伏している忌瀬を見付けた。それと同時に、溌剌としている常時のものとは異なる忌瀬の雰囲気に、佐疫はほぼ反射的に傍らに駆け寄る。

「忌瀬(キセ)!?忌瀬、大丈夫!?」

「……ん」

佐疫が慌てて声を掛けて肩を叩くと、緩慢な動作でもって、忌瀬の顔が上がる。
徐々に目蓋が開き、虚ろで焦点の合わなかった黄緑色の双眸が佐疫の姿を捉えると、忌瀬は自然と口許を綻ばせた。

「……あ。お帰りなさい、佐疫君」

「ただいま。じゃなくて、大丈夫?いつもより顔色が悪いみたいだけど、一緒に医務室行こうか?」

「……ううん。大丈夫大丈夫。こんな見た目だけど、医務室行く程の事じゃないよ。それに、明日の買い出しに行っているキリカさんに此処の留守番頼まれているし」

眉を下げて心配の色を滲ませる佐疫からの進言に、忌瀬はヘラリと苦笑を浮かべると―平気だと言う旨で手を振って見せる。

「そう?大丈夫なら、それに越した事は無いけど……」

「ちょっとばかり呪詛の毒を摂り過ぎてね。食中毒ならぬ毒中毒真っ只中だよ」

「ちょっ!?ドヤ顔で上手い事言ってる場合じゃないよ忌瀬。それに呪詛の毒を摂り過ぎたって、一体何が有ったの?」

大丈夫ならと安堵し掛けた佐疫だったが、続けられた忌瀬の台詞に思わず瞠目して仕舞う。呪詛の毒の過剰摂取と言う穏やかではない内容なだけに、いよいよ佐疫の顔にも冷や汗が浮かんだ。流石に苦笑で誤魔化される訳にはいかないと、佐疫は真摯な声色と雰囲気で忌瀬に問い掛ける。

「いやぁ……それがさ、任務で別班の助っ人に行ったんだけど、無差別に呪詛を撒き散らす亡者の罠を、現地班が諸に喰らっていてさ。亡者は取り押さえたけれど、その後処理として、人手不足の医務室に担ぎ込まれちゃって今に至る。以上っ!!」

「……うん。何か色々と、ちょっと処の話じゃ無くなってるね」

忌瀬の話を聞いた佐疫は、想像していたよりも―目の前の姉貴分兼同僚が、現場の不備により大変な目に遭ったのだと悟る。

忌瀬の持つ呪詛の毒への耐性が、獄卒の中でも突出して秀でているのは確かだ。

だが。補助に行った筈が、木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊にされて仕舞った理不尽さに、佐疫は人知れず怒りにも似た感情を覚える。じわじわと内側から込み上げて来る―言い知れない苛立ちや不安や焦燥を隠す様に、佐疫は小さな溜め息を一つ吐いて、冷ややかな激情を遣り過ごす事にした。

目下最優先すべきは、忌瀬の体調の把握だ。取り敢えず―忌瀬の持ち前の食欲は健在だろうかと、佐疫は話題を振ってみる。

「忌瀬、食欲は有る?」

「うん」

「そっか。良かった。お粥とか如何かな?それとも、擦り下ろした林檎なら食べられそう?」

間を空けず頷いた忌瀬に、佐疫は少なからず安堵する。本来ならば、『獄都』に生きる『獄卒(鬼)』の『生命徴候(バイタルサイン)』等、幽冥ではこの上無く似つかわしく無い程に―無意味なものだろう。

だが。その反面、集団生活を送る上で、互いが互いの生命活動に必要な目安が分かるのは、常時血色の悪い仲間内に取ってみれば、有り難い事でもある。

忌瀬の食欲は、人間で言う処のそれに該当する。現に―佐疫からの問いに、真剣な表情で考え込んでいるのがその証拠だ。

「う〜ん……あ。じゃあ、佐疫君のホットケーキが食べたい。きっと、食べたら今よりも良くなると思う」

「……えぇっ!?大丈夫?ホットケーキなんて食べたら、余計に具合が悪化するんじゃない?」

毒に中(あた)っている最中に、菓子を食べたら更に胃凭れするのではないかと。
その旨を込めて―佐疫が疑問と指摘を投げ掛けると、忌瀬は首を横に振った。

「ううん。しないしない。そもそも呪詛の毒の過剰摂取で影響が出るのは精神的な部分だよ。呪詛は激情から生まれるものだからね。誰かの『想い』から生まれた毒だもの。流石に許容範囲を越えたら、幾ら耐性の強い私だって気落ち位するよ」

「……忌瀬の『あの能力(呪詛毒喰らい)』って、そう言う仕組みだったんだ」

「うん。『食べ過ぎてお腹を壊す』って言うのは言葉の綾でね。呪詛の毒の影響が身体に来るのは、本当に最終宣告の時かな。万が一そう為ったら、その時は肋角さんか災藤さんが居てくれないと、色々大変な事に為るだろうけれど……今は未だ、大丈夫の範囲だよ」

佐疫の問い掛けに丁寧に答えつつ、自身の胸の辺りに手を当てながら、忌瀬は具合を確認する様に言って微笑んだ。

「そう?それなら良いけど、あまり無理しちゃダメだからね?」

「うん。了解。それに、佐疫君のホットケーキを食べれば早く治ると思う」

「わぁ。忌瀬的に、大事だから二回言った感じだね」

「大事と言うか最早必須事項だよ。私には欠かせない事だもの。だから、ホットケーキを食べれば早く治ると思う」

「三回目……ふふっ。分かった分かった。今準備するから、ちょっと待っててね」

如何やら。気落ちしていても、忌瀬の中の食い気が衰える気配は皆無らしい。

それに小さく苦笑すると、佐疫は忌瀬の所望している甘味を作る為に、食堂の台所に入って準備を始めたのだった……。





狐色に焼けた生地の上にバターを乗せて、更にその上から蜂蜜を回し掛ける。
ふんわりと鼻腔を擽る甘い香りに誘われる様に、忌瀬は期待を胸に、ナイフとフォークで切り分けたホットケーキを口に入れると、文字通り―訪れた至福の時を味わっていた。

「あぁ〜美味しい〜♪幸せ〜♪」

周りに花を咲かせ顔を綻ばせながら、ご満悦モードでホットケーキを頬張る忌瀬に、佐疫は嬉しそうに微笑んだ。

「良かった。忌瀬が美味しそうに食べてくれると、僕も作った甲斐が有ったよ」

「『美味しそう』って言うか、これ本当に美味しいんだもん。焼き加減も丁度良いし、口当たりもフワフワしてるし。お洒落な喫茶店とかで、普通に看板メニューに為っていても違和感無い位の美味しさだよ」

「そうかい?そんなに喜んでくれるなら、僕も嬉しいよ」

忌瀬の感想に気を良くした佐疫は、淹れた紅茶を忌瀬の前に差し出す。

「忌瀬が万全なら、本当はもっと凝ったものでも良かったんだけどね」

「じゃあ、それは次回に持ち越しで。美味しいのを期待しているよ♪」

佐疫から受け取った紅茶を飲みながら、忌瀬は次回の佐疫の自信作に思いを馳せる。勿論。目の前に鎮座しているホットケーキを食べ進めるのも、忘れずに。

「ん〜……佐疫君の作る料理って、何か安心する味だよね。キリカさんのも美味しいけどさ。あ、別にホットケーキに掛けてる訳じゃなくてね」

ホットケーキ攻略が中盤を迎えた処で、忌瀬は何と無しに話を切り出した。

「急に如何したの?」

「ううん。如何も。何か、感慨深いなぁと思っただけ……」

穏やかな微笑を浮かべながら、忌瀬はホットケーキを食べ進めていた手を止める。

「佐疫君が私に最初に作って出して呉れたのも、確かホットケーキだったよね」

「え?そうだったっけ?」

「うん。あの時の佐疫君は、キリカさんに教えて貰いながら作ったんだよ」

懐かしいなぁと。忌瀬は飲み掛けの紅茶を片手に、厨房の方へと視線を向ける。

「……当時の私は、未だ見習いから卒業したばかりの新米獄卒でね。任務で大失敗をやらかして、それで流石に食欲が失せちゃってさ。一時期何にも食べたくなくなっちゃった事が有ったんだよねぇ、これが」

苦笑が混じりながらも告げられた―今の忌瀬からでは想像出来ない発言に、佐疫は当時の忌瀬の心労がどれ程のものだったのかと、慮らずには居られなかった。

幽冥に在る獄卒に『死』の概念は無い。

しかし。精神と魂を『肉の殻(身体)』で覆われて生命(?)活動をしている以上、適度な休息と睡眠と摂食行動は、『自我』を保つ為の最低限の必須事項である。

それを自らの意思で拒否していた(受け付け無かった)となると、当時の忌瀬は精神的に相当危険な状態だったに違い無い。

「……それで。そんな私を心配して、キリカさんがホットケーキを作るって言って呉れてね。丁度その時に食堂に入って来た佐疫君が、私を心配して―キリカさんを手伝う形でもって、厨房に立ったんだよ」

「……あ。ちょっと、思い出したかも。
あれ?でも、あの時作ったのって……」

忌瀬の語りを便りに、記憶を遡る佐疫の脳裏に浮かんだのは、皿の上に乗った―真っ黒に焼けた不格好な『ホットケーキ(と呼べるか如何かも危ういモノ)』だった。

キリカの教え通りに作った筈なのに、あまりの出来の悪さに―幼かった佐疫は、自身の不甲斐無さに泣き出しそうに為った。
しかし、忌瀬はそんな佐疫から皿を受け取ると、皿の上の『ホットケーキ』を平らげていた。ペロリと完食したのだ。

口の周りが若干煤けて黒くなっていたが、『ホットケーキ』を完食した忌瀬は、佐疫に『御馳走様』『有難う』と言って微笑み、頑張った佐疫を心から労ったのだ。

其処まで思い出した佐疫は、居たたまれなくなり羞恥心から手で顔を覆った。

「……うわぁ。何か物凄く今更だけど、ごめんね。不味かったでしょ。アレ」

「う〜ん。『不味い』と言うか、個性的な味だったね。昔から苦いのは慣れているから平気だけれど……色んな感情が詰まっていて。一生懸命で。思い遣りが有って。優しい味だったよ」

思い出す様に言って、忌瀬はニヤリと悪戯っぽい微笑みを浮かべる。

「それに。優等生の失敗作を食べられるなんて、中々に貴重な体験だったし♪」

「茶化さないでよ、もう」

恥ずかしさを誤魔化す様に、佐疫は空になった忌瀬のカップに紅茶を注ぐ。紅茶の芳しい薫りと、ホットケーキの甘い香りが、ふんわりとした平穏な空気を醸し出す。

「……ねぇ、知ってる?五感の中でも特に『嗅覚』―つまり『香り』って言うのは、記憶に残る情報要因の一つなんだって」

「え?」

「あ、ううん。何でも無い。ただの独り言だよ」

何と無く思い出した様に呟いた忌瀬に、佐疫は首を傾げるが、忌瀬は小さく首を横に振って苦笑すると、食事を再開した。

束の間の穏やかで緩やかに流れる時間。
その一時を味わう様に噛み締める様に。

獄卒に成る前も。獄卒に成ってからはより一層に。暗闇に漂い纏わり付く死臭や腐敗臭は、嫌と言う程に嗅ぎ慣れている。

故に。こうして明るい場所で、家族と穏やかな時間を過ごせるのは、幸福な事なのだと。それこそ、身に余る程の幸福だと。

忌瀬は、ホットケーキを綺麗に食べ終えて空いた皿に、ナイフとフォークを置く。
そして、内側に満ちていく幸福を感受しながら、記憶の中にそっと仕舞い込んだ。

「ふ〜。御馳走様でした。今回のホットケーキも凄く美味しかったよ♪」

パンッと。両手を合わせて感想を言う忌瀬は、佐疫に満面の笑みを向ける。

「御粗末様でした。忌瀬が元気になって呉れて良かったよ」

「私の方こそ、心配して呉れて有り難う。次回の自信作も期待してるからねっ!!」

「うん。楽しみにしててよ。俺も腕によりを掛けて作るからさ」

二人がそんな会話をしていると―不意に、複数の足音と、賑やかな掛け合いの声が廊下から聞こえて来た。肋角への報告に執務室へと入って行った声と人数に、忌瀬と佐疫の中では、任務から帰還した個性豊かな家族の面々が浮かび上がっていた。

談笑していた二人は一瞬視線を合わせると、互いに思い付いた事を同時に口に出して、それが異口同音の作戦だった事に思わず吹き出し、擽ったそうに苦笑を浮かべた。

その後。食堂でホットケーキパーティが開かれるのは、また別の話である……。



(緩やかに過ぎて行く時間の傍らに)
(穏やかな日常の記憶が溶け込んで)



【完】