はい。皆様どうもです♪
前記の続きで妹と一緒に映画を見に行って来ました燈乃さんですっ!!


見に行った映画で色々と考えさせられる所が有って、その影響から自分を振り返ってみよう的な内容になっています。

なので、今回の内容はかなり重いです。
しかも無駄に長いです。所々で愚痴も入ってます。寧ろ私の黒歴史しか語ってません。読んでいて疲れる可能性が高いです。
もしかしたら、呼んだ後に不快感や嫌悪感しか残らないかも知れません(可能性大)

それでも、閲覧にお付き合いして下さると言う寛容で寛大な御仁は↓からどうぞ。
長くなってしまいますが、よろしくお願い致しますm(__)m













……はい。二十代後半もいよいよ折り返しな燈乃さんですが、最近『自分は成長しているのだろうか?』と思うようになり、何と無く、主観と客観を織り混ぜた自己分析擬きをしてみました。自己認識と言うか自己確認と言うか、『今の自分はこんな感じ』と言う、結構ぼんやりとした分析です。


・無謀な安請け合いをしなくなった。
→安請け合いと言うか、八方美人みたいな事は昔よりは少なくなったと思う。
(でなければ中学時代の修羅場は何の教訓にもなっていない訳だからかなり皮肉)
昔より周りを見られるようになったか、或いは自分で必要じゃないものを切り捨てたか。何かを『割り切る事』と『妥協する事』の境界線が未だに曖昧。多分意味合いは違うだろうなぁと。自分の囲いの中は、結局自分にとって居心地の良いモノしか置きたくないのが、人間的な精神衛生上の構造なのかなと考えてしまうと、それはそれで中々に悲しいものがありますけどね。
でも、それだけだと社会的に不適合な人間になってしまうので、無意識に『嫌われたくない』と言う壁を作ってしまうのもまた、人間の悲しい所なのかなぁ。他人が煩わしい癖に、孤独が嫌いだなんて。滑稽と言うか。器用と言うか。優柔不断な上に寂しがり屋とか。不思議ですよね。本当に。
好きな相手なら好きな程、それが強くなってしまうから、本当に。人間は難しい。


・出来ない約束はしなくなった。
→これは中学時代に母上から散々言われて来た忠告の様なものです。自分が出来ない約束は相手としない。相手から持ち掛けられた場合でも同様に。相手の時間と自分の時間の使い道が違うのは当たり前で、各々に都合や配分が有って、それを見積もっての予定(大体が未来)の算段なのだから、相手と自分のどちらかの都合が悪ければ御破算になるのは当然なのですけれど。外の世界よりも自分の世界を優遇していた昔の私は、それでかなり痛い目を見ているので、その所為で約束事には大分厳しくなったかなぁと。だから約束を取り付けておいて、『予定は未定』だの言ってる人間は基本信用なりません。余裕が有れば話は別ですが、自分よりも相手が痛手を負うのは、やはり嫌だなぁ。相手の都合で待つのは慣れているので別段気にしませんが、過去の経験上待たせてしまうのは物凄く罪悪感があります。そう考えると改めて良く出来た戒めだなぁと思います。古傷が痛みますが。


・自分が出来ない事を相手に押し付けなくなった。
→これも生きて来た中で学んだ教訓です。そして未だにこれで悩まされます。主に職場で。自分と相手の仕事量や技量や知識量が違うのなら、当然仕事の効率も違って来るのは当たり前。仕事の経験だって、有る無しでその差が歴然なのは当たり前。
でも、その当たり前の事を見極めるのが中々に大変な訳で。新人指導とかで自分よりも年上の方に仕事を教える時は、相手が何が出来て何が出来ないかが分からない中で、少しずつ同じ仕事に慣れて行って貰える様に一緒に作業に入ります。それで一つの作業に慣れて来たら新しいのを、と言った感じで教えているのですが、これが中々にしんどい時が有ります。主に先輩の横槍が。新人指導の割り込みが。そして、自分が出来るかどうか分からないで作業をしようとする無謀な新人が。腹立たしい。
基本的に私が新人だった頃に習った様なスタイルで、相手の作業の様子を見ながら仕事を頼んでいるのに、指導をしているのに、話を聞かないとか有り得ないなと。
……まぁ。そんな面白くない事を散々吹っ掛けられて来たので、自分が出来ない事を相手に押し付けない様にと、なるべく気を付けるようにしています。反面教師ですが、これも大事ですよね。理不尽と無茶振りは、一番相手の恨みを買いますからね。


・不用意に下手な嘘を吐かなくなった。
→『口は災いの元』とは言ったもので。
これでも散々痛い目に有っています。元凶が全く悪意の無い、自分の口から出た強がりとか見栄とか下らない発言でも、相手を騙した時点で嘘になりますから。
私の場合は自分の失敗を隠そうとして吐いた嘘が多いです。『保身』の為の嘘。
本当の事を知っているのが自分だけであっても、それが真実だと相手に騙ってしまった時点で既に嘘です。一時的にその場を遣り過ごそうと考えた『逃走』の為の嘘も沢山吐きました。でも、その嘘が決壊した後はどうしようもない虚無感と罪悪感だけが残りました。途方も無い自己嫌悪も。
二十代前半の中期はそれが悪癖になっていた感じでしたね。都合が悪くなると、逃げ道を作る為に嘘を吐く。自分で自分の首を絞めるだけなのに、当時の私は自分で首を吊る縄でも編んでたのかも知れません。
情緒不安定だったのも有りましたが、今考えると昔の自分を殴りたくなります。
吐いて重ねた後悔と罪悪感と自己嫌悪を身をもって知って、心身共にボロボロにならないと、本当に苦しいのは何なのか、分からないものなのかも知れませんね。死ぬ前にそれが分かっただけでも、良かったと思うのは阿呆なりの楽観的な考え方ですが。





……はい。最早成長云々以前に『懺悔の書』になってしまいましたね。

これ。鬼灯の冷徹とかだったら即地獄行きですね。絶対舌を引っこ抜かれるだろうなぁ。運良く輪廻転生しても絶対虫辺りになってそう。まぁ。自業自得なんですが←

さてさて。毎度の如く大分長くなってしまいましたが、ここまでお付き合い頂き、ありがとうございましたm(__)m

次回は、もう少し明るい話題を書けたら良いなぁ。獄都の夢小説も進めないと(爆)



ではでは、今回はこの辺で☆









大切なものはいつも心の中にある。

目を閉じればいつも自分の傍に有る。

だけどね。それだけだと心細いんだよ。

形が無いと悲しいんだよ。温もりが無いと寂しいんだよ。声が聞きたくて苦しいんだよ。あなたがいなくなったら、私はどうやってあなたを確かめれば良い?あなたが居たと言う証をどうやって示せば良い?

思い出だけが最後の希望だと知っていても、それはあなたがもう隣にいないと言う、途方も無い絶望の証でしかないのに。

それでも心に刻まれた思い出が寄り添って、私を未来へと生かそうとする。

それは、優しくて。底無しに残酷だ。
それでも、歩いて行くしか道は無い。



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