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      【オバアサマ。

    21:56/7/Oct
  • おばあさまのお元気がないとうかがって、久しぶりにお電話しました。
    お声はお元気そうでしたけど、ご機嫌は確かに悪そうでした。
    おじさんは、自分が50歳を過ぎてバツ1の超絶デブと結婚し、あまつさえ何十年間もおばあさまの人生すべてであった生活空間にいまさらになって異人を進入させ、それでご機嫌が悪くなって困り果てると姪であるエルシーにSkypeするように命令し、おばあさまの鬱憤を抜かせるのです。近頃の習慣となりつつあります。

    私はおばあちゃんが大好きで大好きで、時折母が機嫌を損ねるくらいおばあちゃんが大好きで、色々なことにおばあちゃんの影響を反映させて生きていています。ちょうど戦争の頃に娘時代を過ごしたおばあちゃんは、多感な時期特有の視線で時代を切り取り、それを今でも鮮烈に胸の引き出しのひとつひとつに仕舞っていて、それを引き出しては少しだけエルシーに見せてくれるのです。

    おばあちゃんと話したことは、なるべくひとつ残らず覚えていたい。なるべくそのまま。美化も風化もさせずに。

    今回は、私のひいおばあさんにあたる人のお話をしてくれました。明治女の話はすごく衝撃的なコトがたくさんあって、また明日からの私の生き方に影響します。私の躯の中にも、そのヒトの血が流れてる。そう思うととても誇らしく、そしてちょっとぞっとする怖さもあり、なんだか笑ってしまいます。
    お話でしか聞いたことのない、老人になってからの写真しか拝見したことのない明治女の血は、きっと明日からの私に色々なものを良くも悪くも違ったふうに見せてくれる。
    明治は、なんていうか江戸時代と現代を区切った時代だと思っていたんですが、もちろん過渡期が存在したわけなんですよね。おばあちゃんの実家は田舎だったので、その波が都会よりも遅く、そしてゆるやかだったわけで。

    衝撃でした。今の私があるってことは、当然大勢のご先祖様がいるってことを、はじめてきちんとした形で飲み込めた気がしました。おばあちゃんのお母さんのお母さんは、江戸時代のヒトなんですよね、当然といえば当然なんですけど。もっともっと、ずっとずっと遡ったら平安時代でも飛鳥時代でも弥生時代でも戻れてしまうわけで。

    そう考えたら、長い流れの中で淘汰されずに今ここでこうしているということは、まったくの奇跡ですね。

    生まれて初めて、結婚して子供産まなきゃ!!!みたいに思った。
    結局そこかよ、というツッコミはなしで。

    それにしてもなぁ。
    わたくしのひいおばあさまは、なかなかよいお生まれであったにも拘らず、花街で働く遊女たちのお着物を縫って女でひとつで双子のおばあちゃんたちを何不自由なく立派に育て上げてくれたそうです。
    おいっつぁんの仕立ては衣文がいっとう綺麗、と言って遊女さんたちに好評だったんだって。ひえー。
    というか、今は山と林檎畑と家しかないあの場所が昔は栄えていただなんて、そっちにもひえー。

    時代は流れる。

    いろいろなものを、跡形もなく、流し去る。

    不確かに残るのは、ヒトと書物だけだ。



    なんか、まだ興奮冷めやらず、いつも以上にまとまりのない文章になってしまった。
    噛み砕いたらもう一度今度は日記に書き直そうっと。

    読んで下さったお嬢様、機会があったらぜひ!おばあさまに昔話をおねだりしてみて下さい。
    衝撃のお話が聞けたお嬢様は、エルシーにも聞かせて下さい。

    えるしゐ
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