Tagebuch von Blauer Baum


More than a woman or a man(12/06mixiより)
2009/12/08 08:28

さっき昔録画してた『約三十の嘘』を見ました。

中谷美紀さんの役に大層感情移入し、ずっと目に涙を溜めたまま見ていました。
女として、凄く損な性分。
しっかりしていて、はっきりしていて、賢いが故に不器用。
若いだけの女の子がちやほやされて、正しいことを言っている筈なのに空回り。
まるで私。
私、若いのにね。

結局その話では、彼女は女として、幸せを掴むし、女としての狡さを発揮できる。それは私とは違うけど。

私は女として生まれついた筈なのに、女になりたい。
違う、男とか、女とか、そういう風にカテゴライズされるのが辛い。
私はすこぶる幸せで、常に少し不安で不幸。


それが私のヘドウィグに対する想いの根底じゃないのか。

今回の公演は、集中出来なかった部分が多く、また内容をわかっていることもあり、初回ほど食い入るようには観られなかった。
と思っていました。

わかっている筈のストーリー
わかっている筈のヘドウィグ

けれどそれは私のこころに蓄積して


私、芸術は死んだと思った
芸術を愛する人々はどこへ
私や高校の友人、極一部の人間のこころには確実に息づいているけれど
パブリックに芸術は死んだと

けれど、この作品には芸術が息づいている。確かに。

芸術は殺されかけ、そして怒っている
怒っている


そして日常性
私の日常とのリンク
他の人のことは知らない
私にわかるのは私のことだけ

私はヘドウィグになりたいの
男とか女とか、そうじゃないの
私は私で完全だと
私は知りたい
最終的にはそう知りたいのだけど、
私、女のフリしたい
女の言葉で喋る私はどこか嘘で、
でも、それでもいい

或いはね、あの素直に流されるところ
ヘドウィグが女として生きているのは、単に戸籍上女だから
女になりたかったわけじゃないけど、男で居たかったわけでもなく
結局どっちでも無くなって
怒りながらも、どこか諦観に溢れて
しょうがないじゃない私女なんだから
って


しょうがないじゃない私女なんだから
そう思いたいよ

そして愛
愛は生きること
生きることは芸術
少なくとも私にとって
愛が不滅であれば、芸術も不滅だ

私は探さなければ
私はまだ20歳
ヘドウィグは子供の時から探し続けて、探し続けて、探し続けて
私はまだ、見つけられないけど
まだだ


私はヘドウィグになりたい
男とか女とか、そんなこと問題じゃないわ
私はなれる
大口は叩いたもん勝ちよ
家に帰って、関係ない映画を見て、こんなことに気付くなんてね


2009年
ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ
全公演終了です。

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