スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

どの道を行く

集団ストーカー犯罪というコントロールシステムは、恐怖で世の中をコントロールしようというシステムですから、何とかして皆さんを(加害者やターゲットを始めとする世の中を)怖がらせよう怖がらせようとして来る訳です。首謀者としては、とにかく怖がってほしい、誰も怖がらなければ意味が無いのです。そのために人をバンバン殺したりしている訳ですが、この術中に半ば浸かってしまっているのが現状です。

集団ストーカー犯罪ターゲットとなった私の勝手な意見を言わせてもらえば、人は放っておいても何れは死ぬ訳です。その死に方をどうするか?
加害に加わって、加害に加りながらも、集団ストーカー犯罪の恐ろしさに怯えながら支配されて死ぬのか?
集団ストーカー犯罪という言葉から逃げるように、関わらないように、自分の身に降りかからないように願い、怯えながら死ぬのか?
集団ストーカー犯罪という恐怖の大本を撲滅して、無くして行く道を選んで死ぬのか?
被害に遭いながらも、無視、泣き寝入りして死ぬのか?
何も考えずに死ぬのか?

日本は民主主義国家ですから、日本国民である皆さんには、選ぶ自由があります。

コントロールシステム

創価学会が集団ストーカー犯罪に大きく関わっていると言われています。
ネット上の書き込みどこを見渡しても創価学会と集団ストーカー犯罪は切っても切り離せません。
そこで、創価学会と集団ストーカー犯罪とは、どのような関係になっているのかをネット上等で知り得た知識を元に、私なりに纏めてみたいと思います。



結論から言うと、集団ストーカー犯罪とは、首謀者が、主に創価学会という組織を使って、恐怖で世の中を支配し、コントロールする為のシステムです。

このシステムが機能する為に、ターゲットは悲惨な人生でなければならないのです。



『人に迷惑をかけてはいけない』というのは、子どもへの躾として常識のような気もしますが、集団ストーカー犯罪加害者にとっては、これも世の中をコントロールする為の、一つの呪文なのかもしれません。

ターゲットは沢山の迷惑を毎日毎日たっぷりと与えられます。しかもターゲットにしかわからないように、こそこそと組織的に。そしてターゲットが被害を訴えたり、暴れたところで加害組織はターゲットを精神病に仕立て上げ、ターゲットの言論を奪った上で(ターゲットが何を言っても精神病だからと言って取り合わない)加害行為をやりたい放題行います。
ここで精神病に仕立て上げるのに都合の良い常識となるのが、『人に迷惑をかけてはいけない』なのです。
「訳のわからない事を言って、人に迷惑をかけるから精神科に見てもらえ」と、組織的、世間的に圧力を掛ける事で、沢山の人間が精神病に仕立て上げられています。
そして、精神病に仕立て上げられたターゲットは、自殺するか死ぬまで加害行為を受け続けるのです。

こうして悲惨なターゲットを作り上げる事で、「創価学会に逆らうとこうなるよ」とか、「人に迷惑をかけるとこうなるよ」、「脱会するとターゲットになるよ」…などと、内緒話のように影で組織的に広く噂を流すことにより、恐怖で人をコントロールし、延いては世の中をコントロールしています。何も知らないで入会した学会員を脱会させない為の手口にもなっており、特に加害に加担した学会員は、加担したが為に自分の首を絞めるようなもので、強い恐怖で支配されてしまいます。加害者や、加害に加担する多くの人間は、この恐怖のモチベーションで動かされています。

そして残念ながら、多くの加害者は、加害行為によって世の中が良くなると本当に信じ込んでいます。それは、もうひとつ重要な動機付けをされているからです。
創価学会を操る首謀者は、「ターゲットは仏敵である」という教育を学会員に対して行います。仏敵とは、そのまま信仰の根源である仏の敵という意味ですから、信仰心が強ければ強いほどターゲットに対する、ある種の恨みのような感情も比例して強くなります。ターゲットをとことん追い込む事自体が正義であるかのように教え込まれているのです。そしてこれが彼ら学会員同士の間でしか通用しない大義なのです。

このような教育を受けた者が警察官になったり、検察官、裁判官、医者、政治家と、国の重要な様々な機関に入り込んで集団ストーカー犯罪の隠蔽や協力を影でしています。


この集団ストーカー犯罪首謀者によるコントロールシステムが成立するには、ターゲットの存在が必要不可欠であるから、加害組織は常にターゲット候補を探しています。そして自分の気に入らない人間や、組織にとって不都合な人間をみつけると、あからさまに執拗に嫌がらせを行い、ターゲットを反発させて、表面上の作り上げたトラブルを起こすのです。その責任、発端を組織的にターゲットに負わせます。あたかも、ターゲットが悪いかのように、無理矢理押し付けてターゲットは作り上げられているのです。

こうやって、ターゲットを作っては自殺という型で殺し、またターゲットを作っては殺す、これを永遠と繰り返します。その事実が恐怖となり、恐怖と仏敵教育で組織の団結を強め、世の中を支配し、コントロールしているのです。


以上が私の集団ストーカー犯罪というもの理解であり、創価学会と集団ストーカーの関係性の理解です。



最後に、
人は、人に迷惑をかけて成長して行くものです。

『人に迷惑をかけてはいけない』という言葉は、決して良い常識とは言えません。こんなのを常識にしているから、世の中が殺伐として人付き合いが面倒臭くなって、誰もがどんどん孤立して行き、集団ストーカー犯罪を助長させてしまうのです。

[後編]被害に遭われている方へ〜貴方は自罰的ですか?他罰的ですか?それとも〜

大学を卒業し、新卒第一期生とて、ある会社に入社した私は、毎月新卒者研修を受ける事になりました。
新卒者研修では、会社に招かれた経営コンサルティングの方から、社会人としての在り方や、心得などを学ぶのです。この研修で学んだ事の中に、とても心に残っているものがあります。それは、「貴方は自罰的ですか?それとも他罰的ですか?」と言うお話です。

簡単に説明すると、「自罰的な人」とは、何か自分に悪い出来事が起こった時に、自分が悪いのだと思う傾向にある人の事を言い、他人が悪いと思う傾向にある人は「他罰的な人」と言う。自罰的な人は、自分を成長させることが出来、他罰的な人は、他人を成長させることが出来る。どちらも良い所があり、どちらの方が良い悪いと言うことはないのだと、そう教わりました。
また更に、自罰や他罰傾向の人はいいのだが、自罰にも他罰にも当てはまらず、次のような傾向にある人は注意しなければならない。
『本当は他人が悪いとわかっているのだけど、自分が悪いのだと思い込もうとする傾向の人。またはその逆に、本当は自分が悪いとわかっているのに、他人が悪いのだと思い込もうとする傾向の人。このような人の心の中はドロドロしている。』

と、たったこれだけの学びと言ったらコンサルティングの方に失礼かもしれませんが、たったこれだけの教え、学びに私は強烈なショックを受けてしまったのです。イメージとして例えるなら、某ゥせぇるすまんの喪黒◯造に指差され、“ドーン”とやられたような、そんな衝撃を受けました。今だに昨日の事のように思い出されるのは、私がこの時のショックを、その後何年も引き摺って来た証でしょう。では何故それほどの衝撃を受けてしまったのか、それは、このドロドロしている心の傾向にあるものが、その時の私そのものだったからです。

私は毎日毎日集団ストーカー被害を受けて、『数知れぬ不幸の連鎖に遭い、それが本当は他人によって引き起こされているのだと感じ、感じさせられながらも、それを言ったら精神病扱いされるかもしれないので誰にも言えない。ついには、もしかしたら自分に何か非があるのかもしれないと、自分が悪いのだと思い込もうとして来た』のです。
心の中は鬱々とした、苦しいものが多くを占めており、このような捻れた考え方は、典型的なドロドロした心理傾向だったと言えるでしょう。

新卒として入社したこの会社も、精神的な体調不良が続き、2年程で退職しています。そしてその後も自分の思う様に行かない人生に悩まされました。結局、私自身も集団ストーカー被害によって自殺未遂をする程に追い込まれ、一時は生死を彷徨いました。私は確実に死のうと考えて行動を起こし、それなりの身体的代償もありましたが、何故か生き残ってしまったのです。

それからおよそ、1年経った頃、精神的にも肉体的にも不安定なまま、どうにか就いた仕事の関係で、携帯のインターネットプランを「パケ放題」と言う、インターネットをどれだけ利用しても定額に収まる料金プランに変えました。そしてインターネットから頻繁に情報を得る様になったのがきっかけで、「集団ストーカー」と言う言葉や犯罪内容を知り、私の受けている犯罪被害だと確信するに至りました。
そう確信出来て、開き直って被害を訴えて行く事で、私の捻れて苦しいドロドロ心理状態は、徐々に、自然に解れていきました。「自分が悪い」と思い込もうとしていた所が、「集団ストーカー犯罪が悪い」と正しく理解出来て、捻れを解消したからであろうと思います。
正常な心を取り戻すまで、本当に辛い30年でした。

集団ストーカー犯罪は、嘗ての私のような、ドロドロ人間製造犯罪です。被害者もそうですが、加害者の多くもドロドロ人間なのです。特に、まだ完全には洗脳されていない加害者は、『本当は自分が悪いとわかっているのだけど、自分が集団ストーカー犯罪のターゲットになるのが嫌だからとか、子供の為とか自分の都合の良い理由を作ったり、コアな加害者から促されたりして、あいつ(ターゲット、被害者)が悪いのだと思い込もうとして加害に加担する』傾向にあると想像します。

集団ストーカー犯罪が無くなれば、思いも寄らないほど多くの人間が救われ、精神的苦痛が解消されるはずです。被害者は元より、多くの加害者も救われるはずです。

現在では、世界中で集団ストーカー犯罪が起こり、それが外国のニュースで報道されたり、撲滅の為に法律が出来たりしています。
自殺問題、いじめ問題、孤立化、引きこもり、リストラストーカー、冤罪、仕立て上げられた精神病患者、など多数の不幸、負のスパイラルを生み出すこの集団ストーカー犯罪を、我慢してじっと耐える必要はもう無いのです。
但し、自分の身は自分で守れる様に、しっかりと考えて行動しなければなりせん。



集団ストーカー犯罪の実体を正しく理解し、正々堂々と撲滅の為に行動すれば、心の中はスッキリ、晴々します。



【創価学会が、集団ストーカー犯罪に大きく関わっていると言われています。】

ここまで言える様になれば、免許皆伝です。

[前編]被害に遭われている方へ〜貴方は自罰的ですか?他罰的ですか?それとも〜

集団ストーカー被害者は我慢しない方が良い。昔と違い今は大分周知されて来ているし、精神病だと言って来る人には、インターネットの動画を見せて説明したり、多くの探偵社が集団ストーカーという被害案件を扱って、実際に調査してる事実があるなど、現実的に何の関係もない他人でも分かりやすいように説明をして行けば良いのです。ですから、早めに開き直って堂々と被害を訴え、集団ストーカー犯罪を撲滅する為に周知活動を行いましょう。ブログを書いたりポスティングをしたり、自分が出来る範囲の行動を起こせば良いのです。

私の場合、まず間違い無く産まれて間もない頃から集団ストーカー被害が始まっていたようです。
私の母は、その時まだ4才の私が自宅でテレビを見ていたその直ぐ隣の部屋で自殺して亡くなりました。母は自殺する以前、住んでいる団地の上の住人が嫌がらせをしていると訴え続けて、病院で鬱病と診断されたそうです。

私はこの頃から既に我々家族が集団ストーカー被害に遭っていたのだと考えていて、私の兄まで精神病になってしまった事実を含め、そう考えるのが一番合理的なのです。


母は団地から新築の家に引っ越して、たったの1年前後で亡くなってしまいました。団地で被害に悩まされ、やっとの思いでてに入れたマイホーム。何故そのような状況で母は自殺しなければならなかったのか?私は長年それを理解する事が出来ませんでした。
しかし、集団ストーカー犯罪の実体を知った今になって私の受けてきた被害と同じように考えれば、その謎は容易に解けました。
母はやっとの思いで夢のマイホームを手に入れ、これでやっと安心して暮らして行けると思ったそのマイホームで、人知れずまた団地の時と同じ集団ストーカー被害に遭ってしまったのでしょう。そして絶望した母は自殺した。いや、自殺させらた。そう、集団ストーカーによって自殺させられたのです。こう考えれば全てが素直に辻褄が合う。私の人生に巻き起こっている不幸、被害、現象の原因と結果が1本の線で結ばれます。
私はこの考えで間違い無いと確信しています。逆に、それ以外の理由を当てはめてもしっくり来ないのです。例えば母は鬱病だったから自殺したのだ…とか、そんな理由は集団ストーカー犯罪を隠蔽したい人間の理由付けでしかなく、何の合理性もありません。何故母は鬱病になり自殺したのか?ここが重要なのです。


因みに父は、集団ストーカー被害に関して、 我関せずを貫いており、この件について全く取り合おうとしません。私は私でこの父の態度に対して、それはそれで良いのだと思っています。何故なら、集団ストーカー犯罪が完全に隠蔽されていたほんの数年までは、この態度が正解であり、この態度の躾によって、私自身救われてきたのだと感じているからです。今とは違い、集団ストーカー犯罪の実体もわからなかった昔の私が、誰かに嫌がらせを受けていると訴えていたら、兄や母のように精神病に仕立て上げられていたことでしょう。
父は今更自身の態度を変える気はないのだと思います。

このように、私には集団ストーカー被害を我慢しない方が良いと勧める事しか出来ず、決して強制出来る事ではありません。
それは、このブログを読んで下さる被害者の方々に対しても同じです。


実に私は、30年も集団ストーカー被害を我慢して、不幸が続くのは自分の運が悪いから、自分次第でどうにでも好転させられるのだと考えて、何をやられても無視し、気がつかない、騒がない様に自分に言い聞かせてきました。


大学を卒業し、新卒第一期生とて、ある会社に入社した私は、毎月新卒者研修を受ける事になりました。
新卒者研修では、会社に招かれた経営コンサルティングの方から、社会人としての在り方や、心得などを学ぶのです。この研修で学んだ事の中に、とても心に残っているものがあります。それは、「貴方は自罰的ですか?それとも他罰的ですか?」と言うお話です。



と、少し長くなってしまいましたので、続きはまた後日にします。
前の記事へ 次の記事へ