しかし、ここにいると何故か、自分が異質な存在であるような気がして酷く…落ち着かない。
(はやく、出てしまいたい)
心の中で、呟く。重くて苦しい溜息が零れた。…それでも、ここから立ち去る訳にはいかない。
目当ての人物は、此処に、居るのだ。
「なぁんで、こんなところでひとりの時間を過ごす気になるかなぁ…」
ひとりごちて、ひたすら重いだけの年季の入った木製の扉を開ける。
ステンドグラスから差し込む光がくらい堂内に反射して、光に弱い私の目が一瞬眩んだ
(…いた)
最前列。マリア像が一番良く見える場所。
「朝日奈」
「…?」
見るともなく慈愛に溢れた聖母像の顔を見ていた朝日奈に声をかける。一瞬、私がどこにいるかわからなかったらしい彼は私の数センチ上をくるりと見渡してからようやく私に焦点を合わせた
「百瀬」
「初見で見つけて欲しかったかな」
「ごめんね、思ったより小柄だったから」
美しいとしか形容できない笑顔が小憎らしい男である
「僕に、なにか用事かな」
「…探されてたよ」
隣のクラスの美人さん
言うと、そう。と呟いたきり朝日奈は私を見降ろしたままにこりと笑った。呆れるくらいに整ったラインで優雅にカーブを描く口元に一瞬どきりと、心臓が跳ねる。しかし、私は早く戻りたい。…聖堂は、嫌いだ
「告白でしょ?行ってあげなよ」
ほら、王子様。
聖堂の出口を指さして、出ることを促す。すると朝日奈は困った顔で笑った
「行かないよ」
「なんでだよ」
「百瀬が僕に用事があるのかと思ったのに」
「委員会も部活も違うのに?」
「得意教科は同じだ」
「えっ」
「知らなかった?」
寧ろ、何故朝日奈が私の得意教科を知っているのだ
顔に出ていたのだろう、「表情は変わらないのに、わかりやすいんだね」感心したように呟かれる。自分の表情変化なんて気にしたことがない。新しい発見だ。
「テスト結果、張り出されてるでしょう」
「ん」
「百瀬、国語と日本史はいつも名前が載るから」
得意なのかなって
「はー…」
「あと、本が好きだから」
「…なんで知ってるかね」
「席、隣だからね」
ずっと、話してみたかったんだ
「…王子が?」
「王子だって人間だよ。」
だから、今日話せて嬉しかったな
興味を持たれていたとは驚いた。
もともと雄弁なほうではなければ目立つ方でもない、クラスの男子と会話することなんてごくごく稀だ。朝日奈とも隣の席とはいえ、さし向って此処まで長く話をするのははじめてのことである。
「…明日は、お勧めの本を教えてくれないかな」
細い指がさらりと彼の薄い色をした髪を掻きあげる
「…うん?」
何を言われた?
わからない。
空気が抜けたような間抜けな音が喉から漏れる。
言ったでしょ、話してみたかった…って。
楽しそうに、彼は笑う。開け放した聖堂の扉から、5月の生温かい風が二人の髪を巻きあげる。
「僕も、好きな本持ってくるから」
「…交換?」
「そういうこと」
約束
髪を掻きあげた右手の小指が差し出される。恐る恐るそれに自分の小指を絡ませる
「ゆーびきーりげーんまーん」
心地のいいアルトが節をつけて歌いだす。
「…ゆーびきった」
「…懐かしいね」
「破られる約束は、嫌いなんだ」
「マメなタイプなんだね」
「ふふ」
破ったら、百瀬の小指、貰っちゃおう、かな
小さく漏れた言葉が少しだけ、怖かった