ちょっと前に話した、笑顔の意味を教えてくれたおじさんの話し。
私が小学生の頃、2ヶ月半というちょっと長い入院をしていた時ですね。
いままで私は小児科専門の病院に入院をしていたんですがその時は割とお年寄りの方が多い病院だったんです。
まあー、暴れん坊の私としてはとてもつまらなかった。
でもたまたま入った病室に5歳年上のマリカちゃんというお姉さんとであって、仲良くしてもらってました。
マリカちゃんとは同じ手術で、しかも手術日も近くて意気投合。
まあマリカちゃんは頭脳明晰で、東大受かるぐらい頭が良い子でした…!!!
そんなマリカちゃんと話していると、今度は同室のおばちゃんたちとも話が進む。
みんなカーテンを締め切ってたけど、しばらくしたらほとんどみんな全開にして毎日楽しく話してた。
そしたらその笑い声を聞いた隣の部屋のおじさんたちも話に混ざってきまして。
そのなかにいたのが、玉田さんというおじさんでした。
玉田は歩き方がすごくお父さんに似ていて、あまり喋らずちょっと怖そうな人。
でも話すと優しくて良い人で、病院で行われた夏祭りには無理行って玉田さんと一緒に行ってもらったぐらい、大好きでした。
ある日は同じ病室で、誰が最後まで残ってるんだろうって話たりしてて、おばちゃんが「きっと私よ」なんて言ってて。
まあ結局そのおばちゃんが1番最初に退院しましたwwwW
おばちゃんの退院の日には、みんなで売店で買ったカフェオレでお祝い。
そのあとマリカちゃんも退院。私は傷がなかなか塞がらなくて、いつまで経っても退院できなかった。
そんなわけで、最初の知り合いは玉田さんと私だけになった。
でも玉田さんも退院が決まって、すぐに私も退院が決まって。
お互いに無事退院しました。
最後は玉田さん、笑って頭を撫でてくれました。
それから2ヶ月ぐらいしたあと、玉田さんの奥さんからお電話が。
玉田さんが亡くなった、と。
私が入院した当初から、玉田さんは末期のガンでいつ亡くなってもおかしくない状態だったそうです。
それで本人ももうほとんど笑わなくなり、奥さんもどうしていいのかわからなかったそうです。
そんな時に夢路ちゃんが来てくれて、あの人毎日、楽しそうに夢路ちゃんの話をしていて、おかげで笑顔が増えたのよ。
本当にありがとう。
そう言ってくれました。
みんなより足は遅いし、マリカちゃんみたいに頭もよくない。
そんな私でも、ここにいてもいいという証をくれたのは、玉田さんです。
玉田さんだけじゃない、同じ病室だったおばちゃんたちだって、看護師さんだって。
みんなのおかけで私はここにいていいんだって思えるようになりました。
玉田さんは最期、静かに息を引き取ったそうです。
それからは本当に。なるべくなら笑って生きようと思ってますね。
反対にうざいかもしれないけどwwW
私には、支えてくれる人達がいる。
私は幸せ者です。
昔、とある人に夢路は幸せでいいよね。と言われたことがあります。ちょっとひねくれてね。
だから胸張って言いました。
「私は幸せだよ。」
だからこそ、他の人にも幸せになってほしい。少しでも、短い間でも、些細なことでも。
他人が決めた幸せではなくて、自分が感じる幸せ。
きっとあるはず。
さて、お仕事しよう。