2019-5-13 10:15
ええと、令和になって早々残念なお知らせなのですが。
Twitterの方では既に告知させていただきましたが、今月より長谷川の創作活動を大幅に縮小していく運びとなりました。それに伴い『
エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―』も非公開設定に切り替えまして、今後は人目につかないところでひっそりと連載していく形になります(更新日は今のところ変更ありません)。
併せてしばらく連載が止まったままだった拍手文『誰が為に花は咲く』とブログにて連載中の『されど天使は魔人と踊る』も休載という扱いにさせていただくことにしました。
本編の執筆で手一杯でなかなか続きを書く時間が取れないことと、モチベーションが維持できなくなってしまったことが一番の理由です。このため連載再開時期は未定ですが、もしも続きを楽しみにして下さっていた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。
本編も番外編も読者様からの反応がほとんど得られず、せっかく読んでいただいても「楽しめなかった」という反応が9割、さらに未読の読者様にも「ESだけは読む気がしない」と言われる機会のあまりの多さに実質上の引退を決意いたしました。
自分が心から書きたいと願う作品が読者に受け入れられないのであれば、もう何を書いても意味がないと思うので。
そんな中、毎回更新の度に拍手を下さっていた皆さま、大変ありがとうございました。それだけが連載を続けていく上での心の支えでした。
今後は生涯の目標であるエマニュエルシリーズの完結を目指して、あくまでも個人的に楽しみながら書いていく予定です。
非公開設定にはしたものの、URLを辿っていただければ引き続き連載を追いかけていただくことは可能ですので、もしこれからもカミラたちの物語にお付き合い下さる方がいらっしゃいましたら、今後もエマニュエルシリーズをどうぞよろしくお願いいたします。
蹄鉄が砂礫を噛む音が、戛々と響いていた。
ブルルッと身震いした村の輓馬が、踏み出した蹄で山道を踏み締める。
するとイークを乗せた
橇がズズズッと坂を登り、草木が揺れる音がした。ほとんど獣道と呼んで差し支えないほど細い道を、そうしてイークたちは登っていく。
いや、より正確に状況を説明するならば、橇で曳かれているのはイークを始めとする数名の傭兵だけだった。橇の周りには徒歩で山道を登る複数の人影がある。
彼らは馬を導き、イークらを
警固するルシェッロ村の村人たち。その中には丈の短い外套を頭から被り、粛々と彼らに続くフィロメーナの姿もある。
(本当に上手く行くんだろうな……)
一行がリーノの町からルシェッロ村へ帰り着いた翌日。フィロメーナが立案した山賊討伐作戦は早速実行に移され、イークたちは目下、山賊どもが根城としている山中の洞穴を目指していた。
どうやら交渉役に選ばれた男──グレアムは、ブラッドリーなる山賊の頭目と上手く話をつけたようだ。先方からの返事は昨日のうちに村へ届き、イークたちは怪しまれる前に事を運ぼうと、素早く行動を開始した。
気になるのは昨日、日没頃まで雨が降っていたことくらいか。麓の村ではさほどの雨量ではなかったが、山の方はそこそこの雨に降られたようだ。
おかげで道がぬかるんでいて、何度も馬が脚を取られそうになっている。ズルッと蹄が滑る度、イークは窮屈な箱の中で頭部を打ちつけ、その都度悲鳴を噛み殺しながら頭を抱える羽目になった。村が傭兵を雇ったことを山賊たちに覚られるわけにはいかないため、一行は銘々貢ぎ物の中にまぎれ、出番が来るまで待機という計画になっているのだ。
(くそ……こんなことならベルントの方についてくんだった……)
と、本日何度目になるともしれない後悔に苛まれながら、イークは哀れな後頭部をいたわった。そろそろ目的地に着いてくれないと、いい加減瘤ができそうだ。
かと言って、この状況では迂闊に舌打ちすることすらできない。何せ洞穴を目指す村人一行の中には、山賊側の使者も数名混じっていた。
村人たちが途中で妙な動きを見せないか、同行しつつ監視しているのだ。イークが窒息しないよう、ほんのわずか開けられた木箱の隙間からは、抜き身の山刀を手にニヤニヤとフィロメーナを眺める山賊の横顔が垣間見えた。
(……ジルヴィアを付き人≠ノしたのは正解だったな)
舌打ちしたい衝動がいよいよ極限に達するのを感じながら、イークは気取られない程度に嘆息する。顔を隠して歩くフィロメーナの傍らには、貴族令嬢のお忍びの旅に同行してきた女傭兵≠ニいう
体でジルヴィアが付き添っていた。
彼女は堂々と顔を晒して歩きながら、時折木の根やぬかるみに足を取られそうになるフィロメーナへ手を貸して、甲斐甲斐しく護衛役を演じている。丸腰なのは村人たちに欺かれ捕らえられた≠ニいう設定を忠実に守るためだ。
とは言え彼女には
蒼?刻という隠し玉があるし、得物もいざというときに備え、貢ぎ物にまぎれ込ませてある。たとえ不測の事態が起こっても、ジルヴィアが傍にいる限りフィロメーナは安全だろう。……そう信じたい。
『足手まといは嫌なのよ。無知で愚かで、浅はかだった自分と訣別したい。でないと、ジャンに会わせる顔がないもの……』
昨日聞いたフィロメーナの切なる想いと、ひどく思い詰めた表情。それが不意に脳裏をよぎって、イークは掻き上げた前髪をくしゃりと掴んだ。
耳元で軽くぶつかり、微かな音を立てる
羽根飾りの
飾り玉が、戦え、と囁いているように聞こえる。フィロメーナに
許嫁がいたことは確かに想定外だ。恥を承知で白状すれば、少々落胆もした。いや、たぶん現在進行形で、少々どころか結構気落ちしている。
しかしだからと言って戦場で手を抜くわけにはいかない。自分の身一つならまだしも、今回は依頼人であるフィロメーナと村人たちの命が懸かっているのだ。
──萎えてる場合じゃない。しっかりしろ、俺。
ただでさえ暗い箱の中で瞼を下ろし、あちこち飛び回ろうとする思考を二重の暗闇に閉じ込めた。呼吸を深く、深くして、戦いという名の砥石で己が意識を研磨する。集中。
「止まれ」
とめどなく湧き起こる雑念の中へ手を突っ込み、煩悩を引き千切り、イークが戦士の本分を取り戻した頃。一際大きな揺れと共に橇が止まり、輓馬が低く嘶いた。
身をよじって外の様子を覗き見れば、馬の尻の向こうに群衆の姿が見える──あれが今、このトレンテ山を支配しているという山賊ブラッドリー一味か。木箱の中からの限られた視界では、相手の人数を把握するのは難しいものの、少なくとも二十人以上はいる。カワードたちの話によれば総勢は五十名程度とのことだったが、果たしてあの情報はアテになるのかどうか。
「よう、カワード。今日は一体どういう風の吹き回しだ? 聞けばお前たちの方から自主的に貢ぎ物を献上しに来たそうじゃねえか。おれァてっきり、またいつもの
泣き落としかと思ったぜ。なあ、野郎ども」
ほどなく耳障りなほど酒焼けしたどら声が響いて、イークは思わず眉をひそめた。馬の尻とゆらゆら揺れる尻尾が邪魔で姿はまったく見えないが、アレが頭目のブラッドリーなる男だろうか?
そんなイークの憶測を裏づけるように、下卑た男どもの哄笑がどら声に追従した。カワードたちへの嘲りと、どら声の主へのおもねりが入り混じった笑い声。似たような失笑が、イークが隠れた箱の右側面と、左斜め後方からも聞こえた。そこに見張りの山賊がいるらしいことを、本能に刻み込んでおく。
「ぶ……ぶ、ブラッドリー様。この度は我々との交渉に応じていただき、感激の至りでございます。話は既に、我が村のグレアムよりお伝えしたとおりでございますが、どうか改めて釈明させて下さい。こ、今回もまた、手を替え品を替えた
泣き落としであることには変わりありませんので……」
次いで響いたのは、明らかに怖じ気づいているルシェッロ村の村長カワードの声。あれが演技ならば名演だと拍手を贈ってやりたいところだが、カワードはたぶん本気で及び腰になっている。
何せ彼は当初、親子ほども歳の離れたイークに対してさえ、怯えきった様子で辞を低くしていたのだ。それが凶悪な山賊の頭目など相手にしようものなら、たとえ作戦の内と分かっていても恐怖が先立つのは致し方ないことだろう。
「ああ、聞いてるよ。何でもお前らは、ようやく手土産と引き換えに交渉するってことを覚えたらしいな。今までは聞き分けのねえガキが駄々こねてるみてえなモンだったから相手にしなかったが、今回くらいは聞く耳を持ってやってもいいぜ」
「あ、有り難き幸せ……で、では、早速ながら申し述べさせていただきます。実は先日我が村に、とある名家のご令嬢がお立ち寄りになりました。聞けばこのお方はなんと、かのオーロリー家のご息女であらせられるとか。オーロリー家と言えば今からおよそ三百年前、トラモント黄皇国の建国に携わった奇跡の軍師、エディアエル・オーロリーの末裔であることはブラッドリー様もご存知でございましょう。そんな大貴族のご令嬢が、これほど辺鄙な村に現れたということ自体がまず奇跡でございますが……わ、我々はそれを、偉大なる二十二大神の
思し召しであると愚考しました」
……黄皇国の建国に関わった英雄の末裔?
いくら相手の注意を引きつけるためとはいえ、話を盛りすぎじゃないかと思いつつ、現状、イークは黙って事のなりゆきを見守ることしかできなかった。
カワードがあらゆる物事をいちいち誇張して話す性格なのは、イークもここ数日のやりとりで嫌というほど理解している。その悪癖が今回は吉と出るか凶と出るか……できれば前者であってくれと願うイークはまだ知らない。フィロメーナがベルントたちの前で、己の姓を偽った本当の理由を。
「なるほど。で、そこにいるのがくだんのお嬢様ってわけかい?」
「は、はい。と、隣にいるのは、彼女の護衛として雇われたという傭兵でして……こ、こちらも見目は上々ですので、ご一緒にブラッドリー様へ献上できればと……」
「クク……確かにいい女じゃねえか。おめえも話が分かる男になったな、カワードよ。要するにお前らはそっちの女どもと引き換えに、村からの搾取を今後これっきりにしてくれと言いてえわけだ? おめえの話が本当なら今そこにいるのは、この国の皇家に次ぐ名家の娘ってことだからなァ」
カワードが生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。イークが隠れている場所と彼の位置関係を考えれば、そんなもの到底聞こえるはずがないのだが、それほどの緊迫した空気が、頑丈な木箱の蓋越しにもひしひしと伝わってくる。
ここが正念場だ。イークは物音を立てないよう細心の注意を払いつつ、腰の剣に手をかけた。木箱には外側から縄がかけられているものの、蓋の隙間から短剣を突き出せば即座に切れる。いざとなったらそうして戒めを解き、箱から飛び出して山賊どもを奇襲──そのタイミングを見誤らないよう、イークも神経を研ぎ澄ます。
「しかし、カワード。そいつァいくら何でも出来すぎじゃねえか?」
「は……はい? と、おっしゃいますと……?」
「さっきおめえも言ってたじゃねえか。こんな辺鄙な田舎の村に、トラモント三大貴族のお嬢様が現れるなんざ奇跡みてえなモンだとな。そもそもそいつは、黄都から何百
幹も離れた辺境に何の用で立ち寄った? 護衛はたった一人、馬車もつけず、まるでてめえらと
示し合わせたみてえに」
「そ、それは……」
「今まで言い忘れてたがな。こう見えておれァ、育ちはソルレカランテのゴミ溜めだ。物心ついた頃には、あの街の貧民街で物乞いをしながら暮らしてた。そこから腕っ節一つでのし上がり、ハタチで役人を拈り殺して黄都を追われるまで、生粋の
黄都っ子だったのよ。だから貴族とそうでない人間の区別くらいはひと目でつく──分かったら、まずは女の顔を見せろ」
視界の端、ギリギリのところに佇むフィロメーナの肩が、ほんの微か震えた気がした。彼女とジルヴィアは手に縄をかけられているため、身動きが自由に取れない。とは言え外套のフードを外すくらいのことはできただろうが、フィロメーナは終始うつむき、無言の抵抗を見せた。
あれは自分の正体に真実味を持たせるための演技か、それとも。イークが碧眼を細めて彼女の心中を汲み取ろうとした刹那、無遠慮に歩み寄った一人の山賊が、乱暴とも言える所作でフィロメーナからフードを引き剥がす。
「
痛っ……!」
豊かな栗色の髪をフードごと掴まれたフィロメーナが、痛みに顔を歪めながら顎を反らした。途端に山賊どもが色めきたち、身を乗り出し、息を呑んだ気配がする。
「おいおい、ありゃあ……」
ブラッドリーではない誰かが呆けたような声で言い、山にどよめきが広がった。理由は言うまでもない。古さびた外套の下から現れたのが、天使と見まがうような造形の女だったせいだ。
「お、お頭……!」
と、まるで熱にでも浮かされたみたいに、山賊たちがブラッドリーの審判を仰いだ。かと思えば地を這うような低い笑いが起こり、それはほどなく、獣が吼え猛るのに似た放笑へと変わっていく。
「おいおい、マジかよ、こいつァ傑作だ! カワード、おれァてっきり、血迷ったてめえらの三文芝居を見せられてんのかと思ったぜ! だが今回ばかりは、どうやらおれが間違ってたらしい。謝罪しよう。その女は確かに、
貴族の作品だ……!」
瞬間、イークはぞわりと全身の毛が逆立つのを感じた。やつらがフィロメーナの美貌に食いつくであろうことは先刻承知だ。そこは覚悟していたから別にいい。しかし
作品とはどういうことか。
つまるところあの山賊どもにとって、女とはモノ≠ノすぎない。フィロメーナの穢れを知らぬ肌が、そんな連中の視線に晒されているのかと思うだけで反吐が出る。これがルシェッロ村を救うための、唯一にして乾坤一擲の策だとしても──やはり反対するべきだった。どす黒い炎にも似た後悔が、今更イークの胸を焼く。
「おい、嬢ちゃん。おめえは何だってこんなときにこんな村へ立ち寄っちまったんだろうなァ? 貴族んとこのお嬢さんが、たった一人で黄都を離れて何してる?」
「……あなたたちには関係のないことです。今すぐ私と、ジルヴィアと、あなた方が村から攫ったという娘たちを解放しなさい。さもなくば己の行いを悔いても悔い切れぬまま、魔界へ堕ちることになりますよ」
「おうおう、いいねえ。その高圧的な物言い、いかにもお偉い貴族サマって感じだ。加えて上流階級特有の正統ハノーク語……本当にオーロリー家の娘かどうかはさておいて、良家のお嬢さんであることは間違いねえな。家の名前はまあ、追々改めりゃいいだろう。
隅々までくまなくな」
舌なめずりでもしそうな口調でブラッドリーは言い、彼に追従する野次や口笛があちこちから飛んだ。どうやら山賊どもは、フィロメーナの素顔を見ただけで猿のように盛っているらしく、さっきまでの緊迫した空気が異様な熱狂に塗り替えられていく。
「おい、カワード。おめえらにしちゃ上出来だ。グレアムが持ってきた話、受けよう。そちらのお嬢さん方と引き換えに、てめえらの村にたかるのはこれっきりにしてやる」
「ま、まことでございますか……っ!?」
「おうとも、男に二言はねえよ。おめえらの村から搾り取るのは、どのみちここらが限界だろうからな。ああ、ついでに今まで捕らえた娘も解放しろとか言ってたか……おめえの村の女どもには充分楽しませてもらった。出涸らしはもう必要ねえ。生きてる女は全員返してやる。何人かは孕んじまってるかもしれねえが、まあ、生まれたガキは村の労働力として大事に育てな」
ギャハハハハ、と胸糞の悪くなるような笑い声がして、イークは剣を握る手にさらなる力を込めた。叶うことなら今すぐにでもここを飛び出し、余裕をかましている山賊どもに
神の裁きを見舞ってやりたい──が、まだそのときではない。
早くしろ、と念じながら、イークは己の中の激情を宥めすかした。交渉は成立し、イークたちの乗る橇が馬から切り離される。
フィロメーナとジルヴィアが山賊どもに抑えられ、代わりに竜の
顎のごとく巨大な洞穴から、裸同然の娘たちが蹴り出されてきた。山賊どもの野次に送り出され、よろめきながら泥濘へ跪いた娘たちへ、父親と思しい村の衆が駆け寄っていく。彼らは悲鳴じみた声で愛する娘の名を呼びながら、慟哭し、あるいは悲痛な叫びを噛み殺して、彼女らの痩せ細った体を掻き抱いた。
──ああ、もういい。たくさんだ。気の短い俺にしては我慢した方だろう。
右手の
雷刻から生まれた神気が、今にもイークの体を内側から食い破って、暴れ狂おうとしている。
「──ベルント……!!」
次の瞬間、イークは木箱を蹴り開けると同時に、叫んだ。
ぎょっとした様子の山賊どもの視線が、貢ぎ物の橇へ釘づけになる。
おかげで彼らは気づけなかった。山賊どもが屯する洞穴の直上。
そこで一人の大男が、裂けるような愉悦の笑みを湛えながら、地割りの斧を振りかぶっていることに。
コメントありがとうございます!
こちらのお話はもう丸3年も止まったままですみません……。
イークとフィロメーナのなれそめを語る大事なお話なので、時間はかかってもちゃんと完結させたいです。今はまだ本編の連載だけでいっぱいいっぱいですが、時間に余裕が出てきたら、隙を見てまた連載再開したいと思います!