「おおぉぉっ……! フィロメーナ様、よくぞご無事で……! お久しゅうございます、わたくしです、ルシェッロ村の村長カワードでございます! 覚えておいででしょうか……!? いえ、こうして我が村へ戻ってきて下さったのですから、お忘れということはありませんよね……!? 我ら村民一同、あなた様のお戻りを一日千秋の想いでお待ち申し上げておりました……! どこぞお怪我などされていらっしゃいませんでしょうか? 長旅でお疲れでは? ややっ、お召し物もいささか汚れておいでですな……!? さあさあ、そういうことでしたら村の者にお着替えを用意させましょう、どうぞこちらに──」
「──おい。その前にあんた、俺に返すもんがあるだろ?」
「あいたたたたたっ! イーク殿!? いえ、イークさん!? も、もちろん覚えておりますとも!? あれ? 何のことだっけ? なんて思ってません! 断じて思っておりませんよ!? ですから暴力はお止め下さい!? さもないと大変なことになりますからね!? 主にわたくしが……ッ!」
と、そんなこんなで、イークたちはようやくルシェッロ村へ戻ってきた。
村へ入るなりカワードの熱烈な歓迎を受け、やっぱり帰ってくるんじゃなかった、なんて思いが去来したりもしたが、まあ、
母親の形見を預けてしまった以上、帰ってこないわけにもいかなかったわけで。
イークにしてみれば六日ぶり、フィロメーナにすれば十四日ぶりの帰還だった。カワードたちはイークの方はともかく、フィロメーナはもう戻ってこないかもしれないと思い始めていたようで、再会の喜びよりも驚きの方が勝ったようだ。
よくぞお戻り下さいました、と総出で出迎えにやってきた村人たちに、フィロメーナは「遅くなってごめんなさい」と、かなり申し訳なさそうにしていた。
遅れた理由が理由だから仕方がないが、さすがに「傭兵の雇い方も知らずに飛び出したらしい」なんて真実を打ち明ければ、「果たしてこの人に任せて大丈夫か」と村人側も不安を覚えるに違いない。
だから今回ばかりはイークも口を噤んで、何事もなかったように振る舞った。ベルントたちの紹介も一通り済むと、一行は村の北側にあるカワードの屋敷へ通される。
屋敷と言ってもちょっと立派な民家£度のごく小さな家だったが、そこでは村の壮年たちが雁首揃えてイークらを待ち受けていた。
皆が皆、鉈や手斧など武器になりそうな道具を携えているあたり、どうやら彼らは
そういう覚悟を決めた男たちのようだ。
「カワードさん、彼らは……」
「はい。村の中でも、特に山中に詳しい者たちを集めておきました。皆様方の案内は、わたくしとこの者たちが請け負います。皆、兵役も経験しておりますので、いざというときの身の守り方は心得ているつもりです。もっとも、本職の皆様のような戦いぶりは期待できませんが……」
「そうですか……」
と、広間に集められた顔ぶれを見渡すなり、フィロメーナはきゅっと唇を結んだ。明らかに緊張している様子だが、彼女がここまで来て逃げ出すような手合いでないことは、数日間の付き合いでイークもちゃんと理解している。
「皆さん、お待たせして申し訳ありませんでした。遅くなってしまいましたが、皆さんを苦しめているトレンテ山の山賊を討伐することを、改めてここにお約束します。そのためにリーノの町で、優秀な傭兵を数名雇ってきました。人数は多くありませんが、彼らが優れた能力と多彩な経験の持ち主であることは、リーノからの道中、魔物との戦闘で確認済みです。彼らと力を合わせれば、たとえ地方軍の協力がなくとも、きっと山賊を打ち払えるでしょう。これ以上この村の人々が苦しまずに済むよう、私も全力を尽くします」
相変わらず硝子細工が喋っているような透明な声で、フィロメーナは決然と演説した。イークは広間の片隅で壁に背を預け、彼女の様子を見るともなしに眺めている。
(……明らかに足が震えてるが)
それを村人たちに覚られまいと、フィロメーナは必死で平静を装っているようだった。今から彼らを死地へ送る自分が怯えていては、示しがつかないと考えているのかもしれない。割れ物を扱うように育てられた貴族の娘にしては、肝が据わっている。人を率いる上での要諦をきちんと押さえている、と言ってもいい。
けれど、引っかかる。彼女は何故ルシェッロ村を救うことにこだわるのか?
国に見捨てられ、苦しんでいる人々を捨て置けないという心情は分かる。しかし見ず知らずの他人のために、戦いを知らない女が保身を捨てて賊に挑むというのは、どう考えても単なるお人好し≠ナは片付けられない。
(この村に何かあるのか? あるいは……)
鬢に結わえつけた
羽根飾りの青い羽根に軽く触れ、イークはひとり思案に暮れた。その間にも話は進み、デカい体を小さな背凭れ椅子に沈めたベルントが、髭面をバリバリ掻きながら言う。
「で? 相手は五十人、こっちは九人。五倍の敵に挑むからには、何かしら策があるんだろ、姉ちゃん」
「はい。トレンテ山のおおよその地形は、事前に村の皆さんからお聞きしています。それによれば、山賊たちは山の中腹よりやや上方、ルシェッロ川の源流付近に野営している……そうですよね、カワードさん?」
「はい。大雑把ではありますが、フィロメーナ様がご不在の間に、頼まれていた山の地図も作成しておきました。山賊どもが屯しているのはこのあたり……村から歩いて三刻(三時間)ほどのところです」
そう言ってカワードが卓上に広げたのは、くたびれた無地の麻布だった。村人たちはそこに溶いた顔料を塗りたくって山の地図を描いたらしい。
「ほう」とか「へえ」とか、感心の声を上げたゲヴァルト一行が八方から身を乗り出してその地図を覗き込んだ。イークも見に行くべきか一瞬迷ったが、まあ、何も今すぐ確認する必要はない。
話し合いが一段落してからざっと眺めればいいだろうと結論づけて、広間の隅から動かないことを選んだ。何より今は、たったこれだけの戦力で山賊を討とうと言うフィロメーナの策が気になる。
「ルシェッロ川の源流は、山中にぽっかり開いた巨大な洞穴の中にあります。山賊たちはその洞穴を
塒にしていて、侵入口は正面しかありません。川の流れは源流から少し下ったところで二股に分かれておりまして、東側が我が村の北を流れるルシェッロ川、西側がユトラタ川と呼ばれる川になっております。こちらの川の上流は渓谷です。左右を高い崖に挟まれ、谷幅は広いところで二
枝(十メートル)くらいでしょう」
「このユトラタ川の上流に山賊たちを誘き寄せ、水攻めで一気に押し流す──というのが、今回の作戦の要です。古典的な策ではありますが、少ない戦力で倍する敵を打ち払うには、地の利を活かすしかありません。村の皆さんのお話では、山賊たちの拠る洞穴からユトラタ川の上流までは、急げば四半刻(十五分)程度で移動できるそうです。ベルントさん、それだけの距離を、敵に追われながら無傷で移動することは可能ですか?」
「追ってくる敵の数と山の地形によるが、まあ、できないことはねえ。問題は追っ手を防ぐ方法よりも、水攻めの具体的な方法だ。ただ押し流すだけなら
蒼?刻持ちのジルヴィアがいりゃあ楽勝だが、敵を仕留める方法としちゃ確実性に欠ける。神術にも効果範囲と効果時間ってモンがあるからな。大人数を一気に巻き込むことはできても、溺死させるのは難しいぜ」
「分かっています。ですからジルヴィアさんには、隘路と神術を駆使して、敵の態勢を崩していただくだけで結構です。虚を衝かれれば山賊たちも無防備になり、わずかな隙が生まれます。加えてまともに水攻めを受ければ、彼らは皆ずぶ濡れになる……そこにもし雷が降ってきたなら、山賊たちはどうなるでしょうね?」
地図から顔を上げたフィロメーナの問いかけに、ベルントたちが目を丸くした。かと思えば彼らは一斉に、輪から離れたイークへと視線を投げかけてくる。
……なるほど。つまりフィロメーナの作戦はこうだ。
まずは敵をユトラタ川の渓谷に誘い込み、水攻めする。ジルヴィアが操る氷水系神術の中には、人為的に水流を発生させる『
大水流』という術があって、それを山賊どもにお見舞いするというわけだ。
すると当然、水に呑まれた山賊たちは態勢を崩し、なおかつ濡れ鼠になる。そこへイークが雷系神術を撃ち込めば、敵は一人残らず天へ召されることだろう。
何しろ水は雷をよく通す。イークも故郷で魚を捕まえるとき、釣りをするのが面倒だからと、よく微弱な雷撃を川に流して魚を獲った。あれと同じ要領で、山賊どもを一網打尽にしてしまえるわけだ。少ない力を最大限活用し、確実に敵を仕留める計画。その全容を理解したイークは、ぞっと背筋が寒くなる。
(あの女──見た目にそぐわず、ずいぶんとえげつない策を考えやがる)
虫も殺したことのないような顔をしながら、大勢の人間を一瞬で殺す算段を口にする。イークは彼女の意外な一面を見せられた気がして、無理矢理口角を持ち上げた。
フィロメーナ・オーロリー。
単なる世間知らずのお人好しかと思っていたら、そんなことはない。
彼女は人の殺し方を知っている。
いや、あるいは彼女に教えたものがいる……のか? 一体誰が、何の目的で?
「へえ……確かにそれなら何とかなりそうね。お嬢さん、まるでベテラン軍師みたいじゃない。だけど、もう一つ問題があるわ」
「問題、ですか?」
「ええ。アナタたちから聞いた話じゃ、山賊どもは食糧や金品の他に
人間も要求してくるんでしょう? つまり彼らの塒には、囚われの身の人たちがいるってことじゃない? その人たちを人質に取られたりしたら、こっちは手も足も出せなくなっちゃうと思うんだけど。まあ、人質を見捨ててもいいって言うなら、アタシたちは別に構わないけれどね?」
「ば、馬鹿な! やつらのもとには、私の娘もいるんだ! あの子を見殺しにするなど……!」
と、まるで試すようなジルヴィアの言葉に、いきり立って立ち上がった村人がいた。そう言えば最初にカワードの陳情を聞いたとき、村の若い娘たちも
持っていかれたと言っていたような……。
つまりあの壮年の娘は山賊への貢ぎ物にされ、今も山中で飼われているということか。……考えただけで胸糞が悪くなってきた。
だが村人たちの話が事実なら、ジルヴィアの懸念ももっともだ。父親たちの剣幕を見る限り、囚われの娘たちを切り捨てるなんて選択肢はまず存在しないだろう。
ということは山賊退治へ乗り出す前に、まず人質を解放する必要がある。しかし敵が洞穴を根城にしている以上、秘密裏に娘たちを逃がすのは難しい。
洞穴の入り口は正面にしかないと先程カワードも言っていたし、まさか内部に通じる穴を掘っていくわけにもいかないだろう。それではあまりにも時間がかかりすぎて、実現する前に村が干上がってしまう。かと言って、他の策などイークには閃きもしないが──
「でしたら、人質よりも価値のあるものを山賊たちに差し出しましょう」
──フィロメーナは、違った。
彼女はそんなことなど初めから想定していたかのように、微塵も怯まず、毅然とした素振りで言う。
「要するに、物々交換です。山賊たちには人質を解放してもらう代わりに、彼女たちよりも利用価値のあるものを渡す。いえ、渡すふりをするだけで構いません。人質が無事に解放されたら、その場ですぐに作戦を決行すればいいわけですから」
「し、しかし、フィロメーナ様。誠に遺憾ながら、この村にはもう、人質よりも価値のあるものなど何も……」
「ええ。ですから──私が攫われた娘さんたちの身代わりとなります。皆さんもご承知のとおり、私は貴族の娘です。実家とは縁を切った身ではありますが、そんなことは山賊たちの預かり知らぬこと。私を誘拐して家を脅せば、高額な身代金を手にすることができると、彼らにそう思い込ませるのです」
広間にどよめきが起こった。意表を衝かれる回答にイークも面食らったが、フィロメーナの傍らにいるカワードに至っては、目を剥いて絶句している。
確かにフィロメーナは良家の子女だ。おまけにあの美貌とあれば、若い娘を食い物にする山賊たちが食指を動かさないわけがない。
しかしそれはあまりにも危険な賭けではないか? フィロメーナはあくまで
ふりをするだけだというが、もしも彼女の身に万が一のことがあったら……。
(……万が一のことがあったら、何だ?)
思わず反対しようとしている自分に気づいて、口を噤んだ。正直なところ、フィロメーナの提案に乗る以外に娘たちを救う術はない。
危険を伴うことは確かだが、他でもない本人が了承している。だったら赤の他人であるイークが異を唱える理由なんてないだろう。
(何かあった場合、寝覚めは悪いが……言い出したのも本人だし、俺がとやかく言うことじゃない)
そう。目的はあくまでルシェッロ村の救済だ。
優先すべきは村の利益。
任務の遂行を第一とする傭兵ならば、それ以外のことは二の次で構わない。
……構わない、はずだ。
(分かってる。なのに、なんで俺は──)
──こんなにもイラついて、舌打ちしたい気分になってるんだ?
そう思いながら見やった先で、フィロメーナと目が合った。
彼女は何か言いたげだったものの、イークは激しい気まずさを覚えて、とっさに顔を背けてしまう。
「ふむ。まあ、そうだな。山賊どももこのまま村に集り続けたところで、いずれ資源が枯れて実入りがなくなることは重々承知だろう。だが強請る相手が貴族となりゃあ話は別だ。やつらを手玉に取っちまえば、金はもちろん権力だって手に入るかもしれねえ。そういう餌を上手くチラつかせりゃ、食いついてくるかもな」
「では、その方向で話を進めましょう。カワードさん、山賊たちはいつも月の初めに貢ぎ物を要求しに来るとおっしゃっていましたね?」
「え、ええ、確かにそうですが……」
「今は月半ば、彼らが山を下りてくるのを待っていては時間がかかります。それなら今度は、こちらから出向くのはいかがでしょう。交渉したいことがあると言って、山積みにした貢ぎ物と一緒に訪ねれば、彼らもきっと応じるはずです」
「そ、そうですな……では、そのように取り計らいましょう。山の上に使者をやって、こちらに交渉の用意があることを伝えます。グレアム、頼めるか?」
「……お任せ下さい。
頭目が食いついてくるように、上手くやります」
カワードの問いかけに答えたのは、末席に座った暗い目の男だった。歳はまだ四十手前と思しいが、眼窩が落ち窪んでいて、表情に影を落としている。
その面差しがあまりにも陰惨で、イークはちょっと忌避感を覚えた。人を見た目で判断するのは良くないと分かってはいるものの、グレアムと呼ばれた男はどうも近づき難い。魔物の血で染めた
長衣を着て、呪術の儀式を行っていてもおかしくない、そんな風貌の持ち主だ。いや、外見だけでなく、彼のまとう空気自体が淀んでいると言ってもいいだろう……ああいう人種は、どうも苦手だ。
「んじゃ、決まりだな。細けえことはこれから決めるにしても、まずは向こうが乗ってこなきゃお話にならねえ。お前も文句はねえよな、青二才?」
「……あ? あ、ああ……それが村の総意なら、俺はただ従うだけだ。口を挟むつもりはない」
視線を泳がせながら答えれば、ジルヴィアがくすっと笑った気がした。……「くすっ」って何だ、「くすっ」って。何か言いたいことがあるなら言え。そう思いながら彼女を睨んでいるうちに、カワードたちは早速作戦の準備を始めている。
彼らの輪の中心に収まったフィロメーナが、真剣な面持ちで指示を飛ばしていた。そんな彼女に一瞥をくれ、イークは身を翻す。
とにかく、作戦は決まった。イークたちは早ければ明日にも山賊たちの塒へ乗り込むことになるだろう。
ならばまずは体力を温存するのが戦士の務めだ。今朝の魔物との戦闘では血を流しすぎた。今のうちに体を休めて、戦いに備える必要がある。
何より、今は……あれこれと余計なことを考えたくない。作戦内容を聞いてから何故かモヤついている胸中も、一度眠ればすっきりするはずだ。
そう信じて、カワードの屋敷を出た。
縋るようなフィロメーナの眼差しが、自分を追ってきていることにも気づかずに。