2017-4-14 12:11
唐突にダークファンタジーが書きたくなりました、長谷川です。
そんなわけで暗い感じの掌編を書こうと思ったのだけど、気づいたら短編連載の形になっていた。悲しい。相変わらずお話を短くまとめるスキルがレベル1のままです。そろそろ課金しないとダメかもしれない……。
まあそれはさておき、今回は魔物視点のお話を書き始めてみました。
「魔族」と呼ばれる智恵ある魔物と元奴隷の少年のお話。
だいたい1話3000〜5000字くらいで書いていこうと思うので、それだと全8〜10話程度になるかと思います。なお今回は試験的に
アルファポリスでも連載してみることにしました。大きい文字で読みたい方はそちらでどうぞ。
気まぐれ更新になると思いますが、何とぞよろしくお願いします。
その竜は、ひどく禍々しき姿をしていた。
頭には雄山羊に似た角が生えていて、鱗は黒い。翼に張った膜は血で染めたように赤く、日に透かすと幾筋もの黒い血管が透けて見える。
赤いと言えば、胸もそうだ。まるで巨大な心臓が剥き出しになっているみたいに、彼の胸元では赤い皮膚がドクドク脈打っている。
尻尾の先は剣のように鋭く、恐らくヒトなんて簡単に貫けるだろう。
その尻尾の先から頭頂まで生えた硬い棘は、竜をいかにも狂暴そうに見せる。実際、竜は手当たり次第に地上の町や村を襲ってはそこに住まうヒトを喰った。
だからヒトは彼を恐れ邪竜≠ニ呼ぶ。何人もの屈強な戦士たちが彼に戦いを挑んだが、未だ生きて戻った者はいない。
竜の棲み処は地の底にあった。空飛ぶ生き物なのに地底で暮らすというのは何とも奇妙な話だが、とにかく竜はそこに棲んでいた。
腹が減ると
地裂と呼ばれる裂け目から飛び出してヒトを喰い、満足したところで巣へ戻るのだ。巣、というのは正確には『
魔界』といって、そこには竜以外にも多くの
魔物が棲んでいる。
魔物には様々な見た目の者がいるが、竜の姿で生まれる者は存外少なかった。大きく、強く、賢く生まれるということは、それだけ深く神に愛されているということ。竜は魔界に暮らす者たちの羨望の的だった。竜自身、それを誇ってもいた。
その日も、竜は狩りへ出た。地上へ噴き出す
瘴気と共に大空へ舞い上がり、蒼い満月の下で咆吼した。
四枚の翼を悠然と風に乗せ、竜はゆく。今宵はどこまで狩りへゆこうか、と思ったところで、鋭敏な嗅覚が血の臭いを捉えた。
どうやら今夜はわざわざ狩りなどしなくとも、既に弱った獲物がいるらしい。竜は黒い牙を見せてほくそ笑み、ぐるんっと体を回しながら速度を上げた。きっと、どこか高い山の上に棲んでいるという地上の竜だってこんなに速くは翔れまい。
竜は己の嗅覚を頼りにしばらく飛んだ。やがて眼下に針葉樹の森が見えてくると「ここだ」と思った。
ゆっくりと高度を落とし、黒い森の中へ分け入っていく。小蠅のように小さな鳥たちが一斉に逃げ散った。あれも喰えないことはないが、小さすぎて腹の足しにもならない。
だから逃げゆく鳥や獣の類には目もくれず、竜は地上に降り立った。邪魔な樹を薙ぎ倒し、四枚の翼を折り畳んで、爪のついた関節を
肢代わりにする。
地底にいるときはいつもそうしているように、逞しい後肢と翼を交互に動かし這うように歩いた。その姿が傍目には巨大な
地底蟲のごとく見えるらしいが、知ったことではない。
血の臭いはすぐそこだった。竜は赤い
眼を歓びでギラギラさせて首を伸ばした。そうして鼻を近づけた先には、小さな影が倒れていた。
月明かりがその影を照らし出す。倒れているのはどうやらヒトの子供らしい。
ピクリとも動かないところを見ると、死んでいるのか。竜はちょっと頭をもたげ首を傾げた――妙だな、このあたりにはヒトの里など見当たらぬのに、子供が一人でこんなところにいるなんて。
まあ、いい。ヒトの事情など竜の知るところではない。魔物にとってヒトは餌だ。それ以上でもそれ以下でもない――とにかく喰って喰って喰いまくれと、生まれながらにそう植えつけられている。他でもない神の手によって、本能に。
だから竜は大きく口を開けた。ヒトの子は小さい上にひどく痩せていてあまりうまそうではなかったが、とにかく竜は腹が減っている。この際、ヒトであれば何でもいい。そう思って鼻先を近づけた。丸呑みにしようとした。
そのとき、ヒトの子が奇跡みたいに蒼い
瞳を開けた。
「……だ……れ……?」
掠れた声が聞こえて、竜は思わず動きを止める。
その間にもヒトの子はわずか身動ぎし、あの満月の色にそっくりな瞳で竜を見上げた。ヒトの子は、体中から血を流していた。
「……くろい……竜……?」
竜はまた首を傾げる。――まだ息があったのか。意外だった。
だが獲物が生きていようが死んでいようが、実のところ竜には関係がない。生きたままの肉も死んで腐りかけた肉も、どちらも好物だったから。
だからまた改めて子供にかぶりつこうとして、
「天使、さま」
思わぬヒトの子の言葉に、意表を衝かれた。
ヒトの子は竜を見上げて笑っている。
「天使……さま……やっと……むかえに……来て、くれた……やっぱり……神さまは、いるんだ――」
途切れ途切れにそう言って、子供は泣いた。ぽろぽろぽろぽろ、ひどく幸せそうに微笑みながら。
これがただの魔物であったなら、恐らくそんな戯れ言は無視してただちに喰らいついただろう。何せほとんどの魔物は人語を解さない。
多少智恵のある者ならば言語を操るが、それもせいぜい
魔族語が限度だ。
人語を理解し話せるのは、魔物の中でもほんの一握りの――竜のように深く神に愛された、
魔族と呼ばれる上位種だけ。
だから竜は驚いた。
だってこの子供は竜を天使≠ニ呼んだ。
天使とはすなわち天上の神の使いのことだ。彼らヒト≠ヘ天上の神の
下僕であるから、天使との邂逅を歓ぶのはまあ分かる。
だが竜は天使ではないし、むしろその敵だ。魔物は天上の神々と敵対する地底の神々の下僕。なのに、このヒトの子は。
(我を天使≠セと――?)
竜はそれを不快に思う以前に感心した。この子供はヒトならば一目見ただけで竦み上がる竜の怪躯を前にして天使≠ニうたった。本物の天使というのは確か、白い羽の生えたヒトの姿をしていると聞いたが……。
それは幼さゆえの無知と無邪気か、はたまた死にかけて幻でも見ているのか。竜は俄然興味が湧いた。今宵は満月で機嫌が良いから、この子供が死ぬまでの間話し相手になってやってもいい、と思ったのだ。
「ヒトの子よ。
汝はどうして一人、このような場所で倒れている?」
「……ぼく、は……逃げて……来たんだ……こわい……人たちの……ところから……」
「こわい人たち?」
「うん……ぼくに、ずっと……ずっと……死んだ人を……埋めさせるの……町から……さらって……殺した、人たち……を……」
「ほう、さては賊の類か。ならば汝は賊どもの奴隷といったところかな?」
「どれい……そう、かも……どれい、か……」
半分しか開いていない子供の
瞳は、月明かりも映さぬほどに濁っていた。耳元で死神が子守唄でも歌っているのだろう、ひどく眠たそうで、ゆっくりと瞬きを繰り返している。
「フフ、愚かな。死体なぞわざわざ埋めずとも、放っておけば我らが綺麗に喰ろうてやるのに。汝はその短き生の大半を無駄にしたな」
「天使さま、は……人を……食べるの……?」
「ああ、食べるとも。それが我が
神の命ならば」
「でも……ぼくの、ねがいは……叶ったよ……」
「汝の願いとは?」
「ぼく……ずっと……神さまに……祈ってたんだ……神さま……どうか、ぼくを……あなたのところへ……連れて、いって……下さい、って――」
――それはすなわち死を望む日々だったということか。それとも神を信じれば救われるというヒト独特の信仰ゆえか。どちらにしても敬虔なことだな、と竜は憫笑した。
その結果天上の神々がこの子供に与えようとしているものは何だ。死≠ニいう絶対的な暗闇ではないか。
ヒトは祈れば天上の神々が救ってくれるなどと甘美な妄想を抱いているようだが片腹痛い。神は誰も救わない。この世で己を救える者がいるとすればただ一人――他ならぬ己だけだ。
「そうか。ならば汝の願いを叶え、神の御許へ運んでやろう」
「ほ……ほんとう、に……?」
「ああ。我が翼に懸けて二言はない」
――もっとも、我が連れていってやれるのは死の神マヴェットのもとだがな。
内心でそう付け足して、竜はニタリと笑みを刻んだ。
それが見えているのかいないのか、子供はなおも嬉しそうにぽろぽろぽろぽろ泣いている。血と
脂汗と涙で濡れた頬を月明かりで光らせながら。
「あ……りが、と……天使……さま……」
――哀れな、とは思わなかった。
ヒトの愚かさを眺めるは、智恵ある魔物にとって最上の娯楽だった。
この子供は邪竜を天使と疑わぬまま喰われ、虚しく死ぬ。
運が良ければ魔物として生まれ変わることも能うだろうが、これほど小さく力なき魂は肉体の死と共に消し飛んで終わりだろう。
子供は満たされた顔で目を閉じた。
夜風が白金を梳いたような子供の髪を揺らしていた。
たぶんそれは美しい光景なのだろうが、生憎魔物に美しいという概念はない。
竜は
顎を開いた。
そうして今度こそヒトの子を丸呑みにしようとして、
「――う、うわあああああ!! 魔物だ……!!」
突然、背後の木陰から濁声が上がった。
振り向くとそこには目を見開き、
剣を手にした
男がいる。